林檎乃麗鉄道辞典


  お断り

この辞典は一部の参考資料からの情報を除き、林檎乃麗が鉄道取材、ホームページ作成の過程で推測した情報があります。
そのため鉄道会社の規定にないことや事実と異なる部分が含まれているかも知れません。
もし明らかに誤りと思われる部分を発見された方はお手数ですが、
ブログ「林檎乃『とほほ・・・。』ブログ」コメント欄にてお知らせいただければ幸いです。
尚、ブログコメント欄への書き込みに関しては本編内容と無関係でもかまいません。
随時加筆修正していきたいと思います。
またこの辞典の全ての文責は林檎乃麗に帰属します。
内容について鉄道会社への問い合わせなどはおやめいただきますようにお願いいたします。


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参考資料
 



 愛知循環鉄道 あいちじゅんかんてつどう

愛知環状鉄道は東海道本線岡崎から中央本線高蔵寺を結ぶ第三セクターである。
もともとは岡崎から多治見までを結ぶ路線として計画され、
岡崎から新豊田までは敷設され、1976年4月26日からは旅客営業されていたが、
1986年5月27日に第3次特定地方交通線として廃止が承認され、
同年8月11日に第三セクターに転換去ることが決定、9月19日に設立された。
未成線の瀬戸線として建設されていた瀬戸市から高蔵寺まで、
及びこの二つの路線を繋げて岡崎から高蔵寺までの区間を建設、
1988年1月31日に全区間が愛知環状鉄道に転換された。


 あいの風とやま鉄道 あいのかぜとやまてつどう

あいの風とやま鉄道は2015年3月14日の北陸新幹線金沢延伸に伴い、
並行在来線のうち富山県内の市振から倶利伽羅までの区間100.1kmを引き継いだ、
富山県を中心に沿線自治体などが出資して誕生した第三セクター鉄道である。
同時に転換開業したIRいしかわ鉄道、えちごトキめき鉄道と相互直通する。


 明知鉄道 あけちてつどう

明知鉄道は明知線を運営する第三セクター鉄道である。
明知線は静岡県掛川から愛知県大野、静岡県浦川、愛知県武節を経て、
岐阜県恵那に至る鉄道として計画された遠美線の一部として、
1933年5月24日に大井(現・恵那)から阿木までが部分開業、
1934年1月26日に岩村まで延伸、6月24日に明知(現・明智)まで延伸して全通した。
1981年9月18日に 第1次廃止対象特定地方交通線として廃止承認され、
それを受けて岐阜県や地元自治体が中心となり明知鉄道が設立、
1985年11月16日に国鉄明知線が廃止され、明知鉄道に転換された。


 アンパンマン特急 あんぱんまんとっきゅう

土讃線のアンパンマン列車が固定編成であるのに対して、
予讃線のアンパンマン列車は1両ごとに名前が付いている。
11両が予讃線2000系アンパンマン特急に在籍し、
非貫通型の展望先頭車両は2004「ばいきんまん号」と2005「ドキンちゃん号」の2両である。
貫通型の連結可能な先頭車両は2109「しょくぱんまん号」、
2110「クリームパンダ号」、2113「メロンパンナちゃん号」、
2107「カレーパンマン号」、2152「ロールパンナ号」がある。
中間車両には2217「パンこうじょうのなかま号」、2208「どんぶりまんトリオ号」、
2210「あかちゃんまん号」、2204「おむすびまんトリオ」がある。



 飯田線 いいだせん

飯田線は東海道本線豊橋と中央本線辰野間を結ぶ地方交通線である。
全区間がJR東海に所属し、基本的に119系が使用されている。
119系はローカル線向けの直流通勤形電車である105系をベースに、
ローカル線向けの近郊形電車として開発され、飯田線に投入された。
119系は飯田線のみに配属された専用電車で、
急勾配に対応した1M方式が採用されている。
豊橋-豊川間は複線だが、その先は単線となっている。
豊橋から小坂井駅手前の信号場まではJR東海が下り線、名鉄が上り線を所有しており、
両社が共用することで複線として使用している。
飯田線はには豊川鉄道、鳳来寺鉄道、三信鉄道、伊那電気鉄道の4つの鉄道会社が開業させた区間を、
国有化して一つの路線としたものである。
豊橋-大海間は豊川鉄道が開業させた。
1987年7月15日に豊橋-豊川間が開業され、
1900年9月23日に大海までの延伸した。
1925年には電化され、1926年4月1日より愛知電気鉄道が小坂井から豊川まで乗り入れを開始した。
大海から三河川合間は1923年2月1日に鳳来寺鉄道が開業させた。
この区間も1925年7月に電化された。
三河川合-天竜峡間は1927年に設立された三信鉄道によって開業された。
地層のもろさや天竜川渓谷沿いという建設地であるために工事は困難を極め、
朝鮮半島からの労働者の過酷な労働条件や賃金未払いなど、多くの問題をはらんだ中での工事だった。
この難工事に成功したことで、飛鳥組の熊谷三太郎は熊谷組を造る基盤を得た。
三信鉄道は最初から電化開業させていた。
1932年10月30日に天竜峡から門島までが開業、
1933年12月21日には三河川合から三輪村からが開業した。
その後延伸をくり返し、1937年8月20日には最後まで残った小和田-大嵐間が開業して全通した。
天竜峡-辰野間は伊那電気鉄道が開業させた。
設立当初は伊那電車軌道と名乗っていた。
1909年12月28日に辰野-松島間が軌道法によって開業した。
この辰野は西町に変更され、後に廃駅となった伊那電車軌道の辰野駅である。
この区間は一部に供用区間も存在した。
この先は地方鉄道法による鉄道線として延伸開業していき、
1927年12月26日に天竜峡までの延伸が完成し、辰野から天竜峡までが全通した。
1919年には社名を伊那電気鉄道に変更し、
1923年3月16日には辰野-伊那松島間を経路変更し、軌道法から鉄道法に変更した。
この4つの鉄道が国有化され、路線名が飯田線に変更されたのは1943年8月1日である。
1955年4月には佐久間ダム建設のため、佐久間-大嵐間がルート変更された。


 伊賀鉄道 いがてつどう

赤字であった近鉄伊賀線を引き受け、近鉄が98%、地元の伊賀市が2%が出資して設立、
鉄道施設を近鉄が所有、伊賀鉄道が運営する上下分離方式で2007年10月1日より運行を開始した。
2017年4月1日より鉄道施設が近鉄から伊賀市に無償譲渡され、
公有民営方式に移行、これに伴って伊賀市の出資率が25%に増加した。
それでも株式の75%を保有する近鉄グループホールディングスの連結子会社であることには変わりはない。


 池上線 いけがみせん

大井町線は目黒蒲田電鉄が敷設した路線で、1927年7月6日に大井町から大岡山までの区間が開業、
この区間は開業当時から大井町線の名称が与えられていた。
1929年11月1日に自由が丘から二子玉川までの区間が二子玉川線として開業、この時に同時に開業した。
同年12月25日には大岡山と自由が丘までの区間が開業し、
二子玉川線を大井町線に統合して大井町から二子玉川までの区間が開業、直通運転も開始された。
1939年10月1日に東京横浜電鉄が目黒蒲田電鉄に合併後、東京横浜電鉄に改称する。
戦時中の1942年5月1日に小田急電鉄、京浜電気鉄道(現・京浜急行電鉄)を合併、
社名も東京急行電鉄に改称されたが戦後に小田急と京急は独立した。
戦時中の1943年7月1日には軌道線だった二子玉川から溝の口までを1,067mmに改軌、大井町線に編入した。
1963年10月11日に大井町線を“田園都市線”に改称されたが、
1979年8月12日に田園都市線が新玉川線経由で渋谷に至り、
営団(現・東京メトロ)半蔵門線に直通運転を開始、
これに伴って大井町から二子玉川までの区間が再び切り離されて「大井町線」となる。
2009年7月11日に田園都市線の複々線の内側を走行して溝の口まで直通する。


 いざぶろう・しんぺい いざぶろう・しんぺい

「いざぶろう・しんぺい」は九州新幹線開業と同時にJR九州が投入した観光特化の列車で、
人吉から松吉に向かう列車は「いざぶろう」、
松吉から人吉に向かう列車は「しんぺい」と列車名が上下で変わる珍しい列車である。
「いざぶろう」は1909年の肥薩線開業時の逓信大臣山縣伊三郎のから、
「しんぺい」は肥薩線開業時の鉄道院総裁後藤新平からとられている。
肥薩線の矢岳第一トンネルは想像以上の難工事で、
この工事に携わった人を労う石額が、
矢岳方入口に山縣伊三郎の「天険若夷」が掲げられ、
吉松方入口に後藤新平の「引重致遠」が残ることから、
それぞれ「いざぶろう」と「しんぺい」の名が付けられたそうである。
現在の鹿児島本線は海岸沿いを走るが、
人吉盆地を越えるこのルートが始めに作られ、当時は鹿児島本線を名乗っていた。


 茨城交通 いばらぎこうつう

1921年に設立し、袴塚-湊間の水浜線を敷設した水浜電車と、
1923年に設立し、赤塚-御前山間の茨城線を敷設した茨城交通と、
1907年に設立し、勝田-阿字ヶ浦線の湊線を敷設した湊鉄道が、
戦時中の1944年8月1日、茨城県内の交通統合に伴い、合併して茨城交通となった。
水浜線は1966年6月1日に全廃、茨城線は1971年3月11日に全廃され、
現在は湊線も廃止の方向で検討が進められ、
2008年4月1日に第三セクターのひたちなか海浜鉄道へ譲渡され、
現在はバス路線のみを運行する会社となった。


 井原鉄道 いばらてつどう

井原鉄道は井原線を運営する第三セクター鉄道で、1986年12月1日に設立された。
現在の井原線の区間はかつて井笠鉄道という軽便鉄道が運行されていたことはあったが、
国有鉄道は運行されておらず、吉備線の延長線として井原線が計画されていた。
井原線の建設に併せて井笠鉄道は廃止となり、路線跡が買収されて井原線に転用されることになった。
日本鉄道建設公団によって井原線の建設が始まったが、
1980年施行の国鉄再建法によって井原線の建設は中止、凍結となってしまった。
これを受けて岡山県、広島県、総社市、倉敷市などが出資し井原鉄道が設立され、
建設途中の井原線の転換を受けて建設を引き継ぎ、1999年1月11日に開業した。
井原線の正式区間は総社から神辺までの41.7kmだが、
運行はJR伯備線総社からJR福塩線神辺までの区間となっており、
総社-清音間は伯備線に乗り入れる第2鉄道事業者となる


 指宿枕崎線 いぶすきまくらざきせん

指宿枕崎線は鹿児島中央から枕崎までを結ぶ非電化の地方交通線で、
1930年12月7日に指宿線として西鹿児島(現・鹿児島中央)から五位野までが開業、
1934年5月20日に喜入まで延伸、同年12月19日には指宿まで延伸した。
指宿から枕崎までは鹿児島南海鉄道という会社が既に免許を取得していたが資金難で解散していた。
1936年3月25日には山川まで延伸している。
戦時中は工事が凍結されていたが、戦後の1960年3月22日には西頴娃まで延伸、
1963年10月31日には枕崎まで延伸が完了、この時路線名を指宿枕崎線に変更した。


 因美線 いんびせん

因美線は最初軽便線として1919年12月20日に鳥取から用瀬まで敷設、
1922年に軽便制度廃止により因美軽便線は因美線に改称、
1923年には6月5日に用瀬から智頭まで延伸した。
一方、津山からの工事も1928年3月15に美作加茂までが部分開業、因美南線となった。
そのため既存の鳥取から智頭までが因美北線に改称された。
1931年9月12日には因美南線が美作河井まで延伸、
1932年7月1日に智頭から美作河井までが開業し、因美北線を因美南線に編入して因美線に改称、全通した。
その後、1936年10月10日に津山から東津山までの区間が姫新線に編入された。



 内房線 うちぼうせん

内房線は外房線蘇我から房総半島の西側、東京湾側を半周し、
外房線安房鴨川に接続する幹線である。
外房線が房総鉄道という私鉄として誕生したのに対し、
内房線は官設鉄道として敷設された路線である。
1912年3月28日に木更津線の名称で、
蘇我から姉ヶ崎の区間が開業した。
同年8月21日に木更津まで延伸した。
1915年1月15日に上総湊まで延伸、
1916年10月11日に浜金谷まで延伸、
1917年8月1日に安房勝山まで延伸、
1918年8月10日に那古船形まで延伸、
1919年5月24日に安房北条まで延伸した。
この時に同時に路線名を木更津線から北条線に変更した。
1921年6月1日に南三原まで延伸、
1922年12月20日に江見まで延伸、
1924年7月25日に太海まで延伸、
1925年7月11日に安房鴨川まで延伸し全通した。
房総鉄道として敷設され、1907年に国有化された現在の外房線は、
大原から先は国有鉄道として房総線の名称で延伸、
1929年4月15日に上総興津から安房鴨川まで延伸、
北条線は房総線に編入されたが、
1933年4月1日に蘇我から安房鴨川までの区間が房総西線に分離、
1972年7月15日に房総西線が内房線に改称された。



 A-train えいとれいん

日立製作所がダブルスキン構造のアルミニウム合金車体を用いた新しい車両製造システム。
生産方法を抜本的に見直し、部品モジュールを効率化してシンプルな構造としたため、
部品点数が従来は数万点あったが、この方法では数百点にまで削減されている。
アルミ押し出し型材を用いたダブルスキン構体を採用してシンプルな構造でありながら車体強度や軽量化を両立、
FSW溶接工法という摩擦攪拌溶接を採用してアルミ材にツールを押しつけて回転させて接合、
これによって内装を完成後に構体に差し込んで取り付ける自立型内装構造を採用した。


 江差線 えさしせん

江差線は鉄道院によって敷設された路線で、
1913年9月15年に上磯軽便線の名称で五稜郭から上磯の区間が開業、
1922年9月2日に上磯線に改称された。
1930年10月25日に上磯から木古内まで延伸、
この時終着駅として同時に開業した。
1935年12月10日には湯ノ岱まで延伸、
1936年11月10日に江差まで延伸して路線名を江差線に改称した。
また木古内から分岐して松前線も1937年10月12日に開業したが、
こちらは海峡線の開業と引き替える形で、1988年2月1日に廃止されている。
松前線の一部路線が海峡線に転用され、同年3月13日に海峡線が開業した。
これと同時に五稜郭から木古内までの区間が電化、
特急や電気機関車牽引の寝台列車もこの区間を利用するようになった。
一方で木古内から江差の区間は非電化のままで、
同一路線ながら木古内を境に二極化していった。
そして2014年5月22日に木古内から江差の区間が廃止された。
2016年3月26日に北海道新幹線が新青森から新函館北斗の区間が開業、
並行在来線である木古内から五稜郭の区間がJR北海道から分離され、
北海道が中心となって設立された道南いさりび鉄道に移管された。
移管された区間の路線名が道南いさりび鉄道線となり、江差線の名称は消失した。


 えちごトキめき鉄道 えちごときめきてつどう

2015年3月14日の北陸新幹線金沢延伸に伴い、
並行する信越本線および北陸本線の新潟県内区間を転換した。
信越本線妙高高原から直江津までを転換した妙高はねうまラインは直流電化路線、
北陸本線市振から直江津までを転換した日本海ひすいラインは全線電化区間だが、
市振から糸魚川までは交流60Hz、糸魚川から直江津までは直流で電化している。
そのため日本海ひすいラインでは気動車を使用している。



 大井町線 おおいまちせん

大井町線は目黒蒲田電鉄が敷設した路線で、1927年7月6日に大井町から大岡山までの区間が開業、
この区間は開業当時から大井町線の名称が与えられていた。
1929年11月1日に自由が丘から二子玉川までの区間が二子玉川線として開業、この時に同時に開業した。
同年12月25日には大岡山と自由が丘までの区間が開業し、
二子玉川線を大井町線に統合して大井町から二子玉川までの区間が開業、直通運転も開始された。
1939年10月1日に東京横浜電鉄が目黒蒲田電鉄に合併後、東京横浜電鉄に改称する。
戦時中の1942年5月1日に小田急電鉄、京浜電気鉄道(現・京浜急行電鉄)を合併、
社名も東京急行電鉄に改称されたが戦後に小田急と京急は独立した。
戦時中の1943年7月1日には軌道線だった二子玉川から溝の口までを1,067mmに改軌、大井町線に編入した。
1963年10月11日に大井町線を“田園都市線”に改称されたが、
1979年8月12日に田園都市線が新玉川線経由で渋谷に至り、
営団(現・東京メトロ)半蔵門線に直通運転を開始、
これに伴って大井町から二子玉川までの区間が再び切り離されて「大井町線」となる。
2009年7月11日に田園都市線の複々線の内側を走行して溝の口まで直通する。


 大手私鉄 おおてしてつ

大手私鉄とは民間鉄道事業者のうち、特に経営規模が大きい15社と東京メトロを合わせた16社が、
国土交通省鉄道局などの統計資料などで大手私鉄と分類されている。
東京都市圏、名古屋都市圏、大阪都市圏、福岡都市圏及びその周辺に大きく路線網を展開している。
完全民営化したJR東日本、JR東海、JR西日本は大手私鉄には含まれない。

※大手私鉄の企業別詳細はこちら



 界磁添加励磁制御 かいじてんかれいじせいぎょ

電車の制御システムの一つ。
直巻整流子電動機を使用しながら、
界磁制御用電源を別に設けて界磁電流制御による回生ブレーキを行う鉄道車両の速度制御方式。


 岳南電車 がくなんでんしゃ

岳南電車は岳南鉄道が2013年に鉄道部門を子会社化して設立した完全子会社である。
東海道本線鈴川(現・吉原)駅は東海道吉原宿からは離れた場所にあり、
鈴川と吉原の中心部とを結ぶ鉄道として戦前に敷設された日産重工業専用鉄道を一部流用して、
1949年11月18日に鈴川(現・吉原)から吉原本町までの区間が開業した。
翌年1950年4月18日に吉原(現・本吉原)まで延伸、
1951年12月20日に岳南富士岡まで延伸、
1953年1月20日に岳南江尾まで延伸し、全区間が開業した。
旅客営業のほかに貨物営業も行っていたが、2012年には貨物列車の運行を廃止、
鉄道部門の収益悪化に伴って2013年4月1日に子会社化した。
岳南鉄道はもともと駿豆鉄道(現・伊豆箱根鉄道)が主に出資して設立されたが、
1956年9月に富士山麓電気鉄道(現・富士急行)の系列に移った。


 加古川線 かこがわせん

加古川線は山陽本線加古川駅から福知山線谷川をまでの、
路線距離487.5kmの全線単線の直流電化路線である。
加古川線は加古川水系の河川舟運を代替する目的で設立された播州鉄道が、
加古川町から国包(現・厄神)までの区間を1913年4月1日に敷設したのに始まる。
同年8月10日には西脇(西脇市とは別駅)まで延伸、
同年10月22日に途中駅として野村(現・西脇市)が開業した。
1915年5月14日に起点の加古川町を国鉄加古川に統合、
播州鉄道は1923年12月21日に播丹鉄道に路線を譲渡、
播丹鉄道によって1924年12月27日に野村から谷川まで延伸、全通した。
戦時中の1943年6月1日に播丹鉄道が国有化され、
加古川から野村を経由して谷川までの区間を加古川線、
野村から分岐して西脇の区間はその後鍛冶屋まで延伸した区間を含めて鍛冶屋線となる。
鍛冶屋線は第3次特定地方交通線として廃止が承認され、
分割民営化後にJR西日本に継承後の1990年4月1日に全線が廃止された。
この時に野村は駅名を西脇市に改称した。


 鹿島鉄道 かしまてつどう

もともと鹿島神宮へのアクセスとして計画された鉄道で、
1924年6月8日に石岡から常陸小川まで部分開業した時の社名は、鹿島参宮鉄道だった。
鹿島参宮鉄道は1929年5月16日には現在の終点である鉾田まで延伸している。
鹿島参宮鉄道は1965年6月1日に常総筑波鉄道と合併し、社名を関東鉄道とした。
常総筑波鉄道は1913年11月1日に取手から下館間を開通させた常総鉄道と、
1914年4月11日に設立され、
1918年4月17日に土浦から筑波までを開通させた筑波鉄道が、
1945年3月30日に合併して誕生した。
この鉄道は1927年に鬼怒川砂利という会社と合併しているが、
鬼怒川線は1964年までに全廃している。
鹿島参宮鉄道も1898年4月に設立された竜崎馬車鉄道を、
1944年5月13日に吸収合併している。
竜崎馬車鉄道は竜崎鉄道と社名を変え、
1900年8月14日に竜崎(現・竜ヶ崎)から佐貫までが開業した。
1965年に関東鉄道となった時点で所有していた路線は、
常総鉄道が敷設した取手-下館間の常総線、
筑波鉄道が敷設した土浦-岩瀬間の筑波線、
鹿島参宮鉄道が敷設した石岡-鉾田間の鉾田線、
竜崎鉄道の敷設した佐貫-竜ヶ崎間の竜ヶ崎線があり、
これに合併前に廃止となった大田郷-三所間の鬼怒川線の合計5路線があった。
しかし収益の良くない筑波線と鉾田線は関東鉄道から分離され、
筑波線は1979年に新たに設立された筑波鉄道に、
鉾田線は鹿島鉄道に分社され、関東鉄道の100%子会社として再建を目指した。
しかし筑波線は1987年に廃止されている。
その後も頑張ってきた鹿島鉄道だが、2007年3月に廃止された。


 貨車 かしゃ

貨車とは貨物用車両を指す言葉で、それぞれの用途によって多くの形態があり、
また国鉄、JR貨物のみでなく、私鉄でも貨車を所有して貨物列車を運行したり、また企業所有の貨車も存在する。
また車掌車や事業用車両なども貨車に含める場合がある。
基本的には屋根のある有蓋車、屋根のない無蓋車、タンク車やホッパ車などのそれ以外の貨車に分類される。

車両記号は用途を表すカタカナ文字に加え、積載出来る重量もカタカナの文字で“ム”、“ラ”、“サ”、“キ”で表す。
13t以下は記号無し、14t~16tは“ム”、17t~19tは“ラ”、20t~24tは“サ”、25t以上は“キ”を用いる。

※貨車の詳細はこちら


 可部線 かべせん

可部線は大日本軌道広島支社によって敷設されたのが最初で、
1909年12月19日に横川から祇園(現・廃止)までの区間が開業、
1910年11月19日古市橋まで延伸、1911年6月12日に可部まで延伸された。
路線は1919年3月11日に可部軌道に譲渡、
1926年5月1日には広島電気に譲渡された。
その後路線は広島電気によって改軌、電化され、
1931年7月1日に広島電気全額出資の広浜鉄道に譲渡された。
その後1936年9月1日に国有化され、可部線の名称となった。
国有化直後の1936年10月13日には安芸飯室まで非電化区間として延伸、
戦時中には一部の駅が休止されたが、戦後の1946年8月15日に布まで延伸、
1954年3月30日に加計まで延伸された。
1968年9月4日には可部線可部から加計までの区間が、
国鉄赤字83年に揚げられ廃止勧告を受けるが、
翌年の1969年7月27日には三段峡まで延伸、全通した。
山陰本線浜田から三段峡を結ぶ今福線の計画があり、
可部線と直通して山陽本線と山陰本線を結ぶ予定になっていて、
1974年には実際に工事にも着手されたが、
1980年12月27日に制定された国鉄再建法により工事は中止された。
国鉄分割民営化後にJR西日本が可部から三段峡の廃止を表明、
2003年12月1日に廃止された。
しかし廃止された区間にあった河戸駅付近の住民から再延伸の運動が起こり、
2013年2月1日に可部線電化延伸についてJR西日本と広島市が合意、
広島市は国の補助を受けて可部からあき亀山までの区間を敷設、
JR西日本はこの区間を第三種鉄道事業者として乗り入れのこととして、
2017年3月4日に延伸開業した。


 神岡鉄道 かみおかてつどう

神岡鉄道は旧国鉄特定地方交通線の神岡線を所有する第三セクターであり、
神岡線はJR高岡本線猪谷から奥飛騨温泉口までを結ぶ19.9kmの路線だった。。
旅客営業路線のほか、神岡鉱山前にある神岡鉱山で産出される硫酸の輸送を受け持つ貨物鉄道の側面もある。
1984年1月20日に設立され、同年10月から営業を開始した。
しかし神岡鉱山の硫酸輸送がトラックに切り替えられたことから経営が行き詰まり、
2006年12月1日に廃止された。


 唐津線 からつせん

唐津線は唐津炭田などで産出される石炭を唐津港に輸送するため設立された唐津興業鉄道が敷設した路線で、
1898年12月1日に山本(現・廃止)から妙見(現・西唐津)から大島までが部分開業した。
翌年1899年6月13日に厳木まで延伸、同年12月25日に莇原まで延伸した。
唐津興業鉄道は1900年4月に社名を唐津鉄道に変更、
唐津鉄道は1902年2月23日に九州鉄道に合併、
その後も延伸工事は続き、1903年12月14日に久保田まで延伸し全通した。
九州鉄道は1907年7月1日に国有化され、
1909年10月12日に久保田からから西唐津までが唐津線となる。


 関西本線 かんさいほんせん

関西本線は関西鉄道が1890年2月19日に三雲から柘植までを敷設したのに始まる。
同年12月25日に柘植から四日市まで延伸、
1894年7月5日には桑名まで延伸、
名古屋側からは1895年5月24日に名古屋から前ヶ須(現・弥富)まで開業、
同年11月7日に弥富から桑名までの区間が開業、名古屋から草津までが全通した。
支線として1897年1月15日に柘植から上野(現・伊賀上野)までが開業、
同年11月11日に上野から加茂までが延伸、
1898年4月19日に大仏(現・廃止)まで延伸、
この時名古屋から加茂までが本線、柘植から草津までを支線に変更、
1899年5月21日に奈良まで延伸した。
木津から奈良までを奈良鉄道、奈良から湊町(現・JR難波)までは大阪鉄道が敷設、
1907年10月1日に関西鉄道が国有化され、
1909年10月12日に線路名称制定により名古屋から湊町までが関西本線に制定された。


 岩徳線 がんとくせん

岩徳線は岩国から櫛ケ浜を結ぶ43.7kmの非電化単線の地方交通線である。
山陽本線全通後、短絡線として1920年代に建設が開始され、
1929年4月5日に麻里布(現・岩国)から岩国(現・西岩国)の区間が開業、
この部分開業当時は“岩徳線”の名称だった。
1932年5月29日に櫛ヶ浜から周防花岡までの区間が岩徳西線として開業、
それに伴い、麻里布から岩国までの既設区間は岩徳東線に改称された。
岩徳西線は1934年3月28日には高水まで延伸、
同年12月1日には岩国から高水の区間が開業して全通、
これに伴い岩徳西線、岩徳東線はともに山陽本線に編入された。
同時に柳井を経由していた既設区間は山陽本線から分離され、柳井線とされた。
しかしその後、山陽本線の複線化が計画されたが、
新設した短絡線ではカーブが多いことや長大トンネルがあることから、
1944年10月11日には岩徳西線、岩徳東線として敷設された区間は、
山陽本線から切り離され岩徳線となり、柳井線が再び山陽本線に編入された。



 軌間 きかん


左右のレール内側の長さを軌間といい、
世界標準の1,435mmを標準軌という。
これより狭い軌間を狭軌、広い軌間を広軌いう。
日本では新幹線や一部の民営鉄道が標準軌を採用、
JR在来線は狭軌の1,067mmを採用している。
また、京王線、東急世田谷線などは1,372mmを採用している。
これは東京馬車鉄道(現・都電荒川線)が採用したことから、
馬車軌間とも呼ばれている。
また特殊狭軌と呼ばれる762mmを採用した鉄道もあり、
ナローゲージとも呼ばれる。
かつての軽便鉄道が採用した軌間で、
多くが狭軌1,067mmに改軌したが、
四日市あすなろう鉄道や黒部峡谷鉄道などが残っている。


 機関車 きかんしゃ

機関車とは動力を持たない客車や貨物車両を牽引することを目的として造られた車両で、
動力専用車両となって自らは旅客や貨物の運搬には従事しない。
機関車は主に蒸気、ディーゼル、電気の3種類に分類される。

 蒸気機関車(Steam Locomotive/SL)・・・石炭を燃焼し、ボイラーの熱で発生した水蒸気の力によって動輪を回転させるものである。
 ディーゼル機関車(Diesel Locomotive/DL)・・・ディーゼルエンジンを動力源とする機関車で、液体式と電気式がある。
 電気機関車(Electric Locomotive/EL)・・・電力によってモーターを回す方式で、供給電力によって交流、直流、交直流に分けられる。

車両記号はアルファベット2文字と2桁、もしくは3桁で顕される。
アルファベットの1文字目は動力の種別を顕し、“D”はディーゼル機関車、“E”は電気機関車を顕す。
初めてできた機関車である蒸気機関車は他と区別する必要がなかったためにアルファベット1文字目は省略する。
アルファベット2文字目は動軸数を顕す。
動軸とは動力が伝わる車輪に繋がる車軸のことで、アルファベットの順番で数がわかるようになっている。
つまり“D51型”の“D”はアルファベットで4番目なので動輪に繋がる動軸は4本ということになる。


 姫新線 きしんせん

姫新線は作備東線の名称で1923年8月21日に津山口から美作追分までが敷設されたのに始まる。
津山口から津山までは現在津山線に編入されている。
1924年5月1日に久世まで延伸、1925年3月15日に中国勝山まで延伸、
一方、作備西線として1929年4月14日に新見から岩山間の区間が部分開業、
1930年4月1日に中国勝山から岩山までの区間が開業し、
作備西線と新規開業区間を編入して作備線に改称された。
津山から東津山までの区間は因美南線として1928年3月15日に開業、
1932年7月1日に因美線全通とともに因美線に改称され、
1936年10月10日に津山から東津山までの区間が因美線から姫新線に編入された。
姫路方面からは姫津線として1930年9月1日に姫路から余部のでが部分開業、
1931年12月23日には東觜崎まで延伸、1932年7月11日に播磨新宮まで延伸、
1934年3月24日には三日月まで延伸した。
同年11月28日には東津山から美作江見までが開業して姫津西線が開業、
姫津線として開業していた姫路から三日月までが姫津東線に改称された。
1935年7月30に日には佐用まで延伸、
1936年4月8日に美作江見まで延伸され、姫津西線を姫津東線に編入して姫津線に改称された。
同年10月10日に作備線、因美線東津山から津山までを姫津線に編入の上、姫新線に改称した。
路線の営業距離は158.1km、全区間が非電化単線である。


 気動車 きどうしゃ

気動車は自力走行できる旅客用車両のうち、電動機を登載しないものをいう。
つまり電車型でありながらパンタグラフから電気を取り入れて走る車両以外のもので、
かつてはガソリンカーなどもあったが今はディーゼルエンジンを搭載しているものをいう。
非電化区間用として国鉄時代に多くの車両が造られ、時代に取り残される形でJR化後も活躍したが、
地方線区のサービス向上の一環としてローカル線の気動車に新造車を投入する動きが加速し、
国鉄時代の経年車両も次第に姿を消しつつある。
気動車車両の詳細については拙作「気動車」を参考にされたい。

「気動車」
http://dieselcar.bokunenjin.com/


 布浦臨海鉄道 きぬうらりんかいてつどう

衣浦臨海鉄道は衣浦湾の工業地帯の貨物輸送を目的に、
国鉄(現・JR貨物)、川崎製鉄(現・JEFスチール)や、
沿線自治体が出資して誕生した第三セクター鉄道である。
自社所有する機関車はDE10形と同一使用の、
KE65形4機が所有、廃車増備の関係で、1から3と5が在籍する。


 客車 きゃくしゃ

旅客営業に従事する車両のことで、特に動力を持たず機関車に牽引されて使用される車両を指すことが多い。
座席車の昼行車両と寝台設備のある夜行車両に大別され、夜行車両を特に寝台車という。
現在は客車による定期運用はその使命を終え、イベントなどに一部が使用されるものの大半が廃車となっている。
寝台車においても廃止が進んでいて近年新造されたのはE26系だけである。

車両記号は電車とは違い、カタカナ2文字で1文字目は自重、2文字目以降は用途などを顕す。

客車は機関車の牽引能力を測るためにはじめに自重を表記する。
自重とは車両本体の重量に定員分の乗客、規定積載量の荷物などの重量を加えたものである。

  ・・・22.5t未満
  ・・・22.5t以上27.5t未満
  ・・・27.5t以上32.5t未満
  ・・・32.5t以上37.5t未満
  ・・・37.5t以上42.5t未満
  ・・・42.5t以上47.5t未満
  ・・・47.5t以上

2文字目以降は車両の種類などを顕していて、等級に関しては電車に準拠する。

座席車

  ・・・グリーン車
  ・・・普通車

寝台車

  ロネ・・・A寝台車
  ハネ・・・B寝台車
  ・・・展望車
  ・・・食堂車

  ・・・郵便車
  ・・・荷物車
  ・・・配給車
  ・・・緩急車(車掌室あり)

※客車についての詳細はこちら


 急行形 きゅうこうがた

国鉄の定めた車両形式で、優等列車への充当が目的の車両形式の一つである。
客室が出入口と仕切られ、横型腰掛を備え、長距離の運用に適した性能を有する車両形式のものと定義される。
平たく云えば、デッキ付きの片側2扉のボックスシート車と云える。

直流急行形電車
 153系、155系、157系、159系、163系、165系、167系、169系
交直流急行形電車
 451系、453系、455系、457系、471系、473系、475系
急行形気動車
 キハ58系、キハ56系、キハ57系、キハ58系、キハ65形、キハ91系

※後期直流急行形電車の詳細は「165系列図鑑」のこちら


 九州旅客鉄道 きゅうしゅうりょきゃくてつどう

九州旅客鉄道株式会社は1987年4月1日に国鉄分割民営化によって誕生した、
九州全域と関門トンネル、JR西日本との境界域の山口県内に路線を所有する旅客鉄道会社である。
略称は「JR九州」、コーポレートカラーは赤色である。
本社所在地は福岡県福岡市博多区博多駅前3丁目25番21号で、
支社は新幹線鉄道事業部と北部九州地域本社、長崎支社、大分支社、熊本支社、鹿児島支社があり、
地域外では東京支店、沖縄支店がある。
形態は株式会社だが、株主は独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構が100%保有しており、
完全民営化はされていない。
総営業キロ数は2121.7kmで、新幹線137.6kmと在来線1984.1km、20線区を所有する。
2009年3月21日からICカード乗車券「SUGOCA(スゴカ)」のサービスを開始した。
「SUGOCA」は「Smart Urban GOing CArd」の略である。
車両デザインにはドーンデザイン研究所の水戸岡鋭治氏を起用し、
JRグループの中でも独特のデザインを有している。

※JR九州の「現有路線」及び「車両基地」はこちら


 久大本線 きゅうだいほんせん

久大本線は久留米から大分に至る地方交通線で、「ゆふ高原線」の愛称がある。
全線が非電化単線で、路線距離は141.5kmである。
久大本線は大湯鉄道によって部分開業した路線を、
国有化後に延伸して開業した九州を横断する地方交通線である。
大湯鉄道によって1915年10月30日に大分市から小野屋までが部分開業した。
1922年12月1日に大分鉄道は国有化され、大湯線となった。
国有化を機に大分市は大分に統合されて廃止された。
1923年9月29日に湯平まで延伸、同年7月29日に北油布まで延伸、
1926年11月26日には野矢まで延伸、1928年10月28日に豊後中村まで延伸、
1929年12月15日に豊後森まで延伸、1932年9月16日に北山田まで延伸、
1933年9月29日に天ケ瀬まで延伸された。
一方、久留米側からは久大線として1828年12月24日に久留米から筑後吉井までが部分開業、
1931年7月11日に筑後大石まで延伸、1932年3月12日に夜明けまで延伸、
1934年3月3日に日田まで延伸、同年11月15日に天ケ瀬まで延伸、全通した。
この時同時に大湯線を久大線に編入、1937年6月27日に久大本線に路線名を変更した。


 京都高速鉄道 きょうとこうそくてつどう

京都高速鉄道は京都市営地下鉄三条京阪-御陵間を建設した、
京都市や京阪電鉄などが出資していた第三セクター方式の鉄道会社。
三条京阪-御陵間は京都高速鉄道が第3種鉄道事業者として施設を所有し、
京都市営地下鉄が第2種鉄道事業者として乗り入れを行っていたが、
1988年4月8日に設立され、2008年度末に解散した。
解散後は京都地下鉄東西線全区間が京都市直営となった。


 近郊形電車 きんこうがたでんしゃ

通勤、近郊形電車は系列を顕す3桁の数字の十の位は0~3を使用するが近郊形は主に1を使用する。
近郊形の正確な定義は分からないが、中距離需要に対応するようにクロスシート車が基本となっている。
但し、現在では近郊形車両でも通勤需要に対応しなければならないケースも多く、ほとんどロングシートの近郊形も登場している。

直流近郊形電車

111系列が直流区間の近郊形として最初に登場し、標準型となった。
100kW電動機の111系がベースとなり、出力を120kWに増強した113系、勾配用ブレーキをつけた115系がある。
111系電動車は現存していないが、制御車にはクハ111のまま使用されている。
JR四国の113系はJR東日本からの譲渡車で、クハ113形、クハ112形の新形式が付番された。
前面デザインもリニューアルされ、第1編成は青系、第2編成は赤系、第3編成は黄系のカラーリングとなっている。
211系列は111系列の後続として1985年に登場した。
直流型において百の位の3はJR東海が好んで使用する。
瀬戸大橋線で使われている213系にはクロ212形のグリーン車が連結されている。

直流急行型電車

165系列は急行型として誕生し、急行としての運用を終えてから近郊形として流用された。
アコモ改造車や塗色変更車などが登場したが、現在では運用が終了している車両が多い。

交直流近郊形電車

交直流型は1961年に登場した401系列が基本型となっていて、十の位が0だが通勤形ということではなく、
通勤・近郊形として使用されているものと思われる。
直流+交流50kHzで主電動機100kWが401系、その主電動機120kWの出力増強版が403系、
直流+交流60kHzで主電動機100kWが421系、その主電動機120kWの出力増強版が423系である。
交流50kHzと60kHzの周波数汎用型として登場したのが415系である。
415系には鋼製車両とステンレス車両があり、また1両だけ2階建て車両も存在する。

交直流急行型電車

401系列の急行型として1962年に登場したのが451系列で、153系電車を基本としている。
直流+交流50kHzで主電動機100kWが451系、その主電動機120kWの出力増強版が453系、
直流+交流60kHzで主電動機100kWが471系、その主電動機120kWの出力増強版が473系である。
453系が登場したのは1963年、473系が登場したのは1965年で、直ぐに475系が増備されたために1ユニットのみの登場であった。

1965年に165系直流急行型電車を元に登場したのが455系列である。
直流+交流50kHzが455系、
直流+交流60kHzで475系である。
交流50kHzと60kHzの周波数汎用型として登場したのが457系である。

交流近郊形電車

交流区間は北海道と九州が中心で、交流専用の近郊形電車が誕生した地は北海道である。
JR九州のオリジナル車両は百の位が8になっている。


 近鉄名古屋線 きんてつなごやせん

近鉄名古屋線は近鉄名古屋から伊勢中川の78.8kmの路線である。
全区間複線の直流電化区間で、標準軌1,435mmで敷設されている。
この路線を最初に敷設したのは伊勢鉄道で、
1915年9月10日に白子から身田町(現・高田本山)の区間を敷設した。
この時は狭軌で敷設されている。
1616年1月9日には白子から千代崎まで延伸、
1917年1月1日には身田町から江戸橋、部田(現・廃止)まで延伸、
同年12月22日には千代崎から楠まで延伸、
1919年10月25日には楠から海山道まで延伸、
1922年3月1日には海山道から新四日市(現・近鉄四日市)まで延伸した。
伊勢鉄道は1926年9月12日に伊勢電気鉄道に社名変更した。
1929年1月30日には四日市から桑名まで延伸した。
伊勢に路線を敷設していた参宮急行電鉄は、
1930年5月18日に伊勢中川から久居まで延伸した。
1931年7月4日には久居から津新町まで延伸、
1932年4月3日には津新町から津まで延伸した。
伊勢電気鉄道は1936年9月15日に参宮急行鉄道に合併した。
1938年6月26日には関西急行電鉄が関急名古屋(現・近鉄名古屋)から桑名の区間が開業、
関西急行電鉄は1940年1月1日に参宮急行電鉄に合併、
1941年3月15日に大阪電気軌道、通称“大軌”が参宮急行電鉄を合併、
社名を関西急行鉄道に変更した。
関西急行鉄道は戦時中の1944年6月1日に陸上交通事業調整法により、
南海鉄道と合併して近畿日本鉄道と社名を変更する。
南海鉄道は現在の南海電鉄南海線を敷設した会社である。
戦後、1947年6月1日にに旧南海鉄道の路線を南海電気鉄道に譲渡する。
南海電気鉄道は現在の南海高野線の一部などを経営していた、
高野山電気鉄道を同年3月15日に改称したもので、
実質的に旧南海鉄道の受け皿として社名変更した。



 グリーンライン ぐりーんらいん

横浜市営地下鉄グリーンラインは中山から日吉までの13.0kmの路線で、
車上一次鉄輪式リニアモーター方式が採用されている。
正式名称は横浜市高速鉄道4号線で、2001年から着工され、
2008年3月30日に全線が一気に開業した。



 京王線 けいおうせん


京王電鉄京王線は新宿から京王八王子を結ぶ37.9kmで、
新宿から府中までの区間は京王電気軌道が敷設した。
1913年4月15日に笹塚から府中までの区間を部分開業、
その後も小刻みに延伸し、1916年10月31日に府中まで延伸した。
一方、府中から京王八王子までの区間は玉南電気鉄道が敷設、
1925年3月24日に府中から東八王子(現・京王八王子)までを部分開業させた。
玉南電気鉄道は標準軌で敷設されたため、
軌間1372mmで敷設された京王線とは直通できなかった。
そこで京王電気軌道は1926年12月27日に玉南電気鉄道を合併した。
その上で玉南電気鉄道が敷設された区間を軌間1372mmに改軌した。


 京王井の頭線 けいおういのがしらせん

京王電鉄井の頭線は渋谷から吉祥寺を結ぶ12.7kmの路線である。
京王電鉄は本線系統が馬車軌間である1,372mmを採用しているのに対し、
井の頭線はJRなどと同じ1,067mmを採用している。
そのため明大前駅で京王線と接続しているのにも拘わらず、相互乗り入れはない。
井の頭線はもともと帝都電鉄によって狭軌として開業した。
1933年8月1日に渋谷から井の頭公園までが部分開業、翌年4月1日に全通した。
1940年5月1日に小田原急行電鉄(現・小田急電鉄)と合併し、帝都線となる。
1942年5月1日には東京横浜電鉄と合併し、東京急行電鉄の路線となった。
この時に路線名が帝都線から井の頭線と変更された。
戦後、東京急行電鉄(俗に云う大東急)が解体される時に、
小田急側が箱根登山鉄道を系列下にしたいと主張したため、
その代わり井の頭線を路線の少ない京王側に譲渡することとなり、
京王は井の頭線の旧路線名を取って暫く京王帝都電鉄と名乗っていた。
京王電鉄に社名変更されたのは1998年7月1日のことである。

現在、1000系と3000系の2種類の車両が使用されているが、
1000系は20m級片側4扉であるのに対し、3000系は18.5m級片側3扉であり、
1000系増備と3000系の廃車が続いている。
1000系も3000系もステンレス車両であるが、上半分が編成毎にカラーリングされてる。
1000系は5両編成で1次車、2次車は2M3Tだが、3次車以降は3M2Tに変更され、
5次車から前面の行き先表示板などが変更されている。
塗色はブルーグリーン、アイボリー、サーモンピンク、ライトグリーン、
バイオレット、ベージュ、オレンジベージュ、ライトブルーの7色があり、
レインボーカラーなどと呼ばれている。
ベージュに関しては5次車からオレンジベージュに変更されている。

※「京王井の頭線1000系 図鑑」はこちら


 京王相模原線 けいおうさがみはらせん

京王相模原線は京王電気軌道が多摩川から採取された砂利を運搬するため、
1916年6月1日に調布から多摩川原(現・京王多摩川)までが開業した。
多摩川支線としてこの区間は1971年4月1日に京王よみうりランドまで延伸した。
砂利鉄道からレジャー鉄道に変わり、更に多摩ニュータウンへの延伸していった。
1974年10月18日に京王多摩センターまで延伸、
1988年5月21日に南大沢まで延伸、
1990年3月30日に橋本まで延伸、全通した。


 京成千原線 けいせいちはらせん

京成千原線は経営が破綻した千葉急行線の路線を京成が引き継ぎ、
1988年から営業を開始した路線であり、
京成線となった現在でも他の京成線とは別運賃で計算される。
千葉急行線は京成電鉄と小湊鉄道が出資して1973年に設立、
その後沿線の千葉・市原ニュータウン計画が持ち上がり、
関係する千葉県、千葉市、市原市、住宅・都市整備公団なども出資に参加した。
千葉急行線は京成千葉中央から千葉・市原ニュータウンを経由し、
最終的には小湊鉄道海士有木を目指して造られた。
あまり知られていないが小湊鉄道は京成電鉄の系列会社であり、
京成電鉄は京成千葉線を延伸して系列の小湊鉄道に接続することを目指していた。
そもそも小湊鉄道はその名の通り、
内房線五井から外房線安房小湊を結ぶ路線として地元有志によって造られた。
しかし当初から資金不足に悩み、
五井から上総中野まで延伸した段階で計画は事実上凍結された。
外房線まで延伸は出来なかったが、“小湊”は会社名だけに残されることになった。
1942年(昭和17年)には戦時下の交通統合政策により京成電鉄の系列下になった。
戦時中は燃料不足、路線の破壊などで鉄道会社の経営が厳しくなるが、
国内輸送路の確保が軍事上にも重要事項であったため、
中小鉄道会社が政治的指導によって国鉄や大手私鉄の系列下になった。
小湊鉄道もそういった事情によって千葉県の大手私鉄京成電鉄の系列下になった。
これは推測に過ぎないが、
京成にとっては“お荷物”を無理矢理押しつけられたと思っていたに違いない。
戦後の復興政策により、国鉄千葉駅の移転が計画された。
しかしそれに際して京成千葉線との交差が問題となり、
京成千葉駅はそれまでの千葉の中心街から現在位置に移転された。
しかしそれでは千葉の中心街から移転する京成にとっては不利であり、
その代償として国鉄本千葉駅を500m南に移転して跡地を京成に譲り、
更に系列会社の小湊鉄道が海士有木(あまありき)から千葉への延伸が推進された。
京成千葉線と小湊鉄道が直通すれば、系列会社の小湊鉄道にも好機になるし、
それまで国鉄内房線に流れていた小湊鉄道の客も京成に取り込める。
1958年2月にこの計画は一斉に行われた。
しかし小湊鉄道は創立当時から資金難に見舞われて、
この路線を建設することがなかなか出来なかった。
そのため京成電鉄と小湊鉄道が共同出資して1973年2月千葉急行を設立、
同年7月に小湊鉄道が所有していた免許が千葉急行に譲渡された。
その後千葉・市原ニュータウンの計画が具体化し、
千葉・市原ニュータウン内を貫通するルートに変更された。
しかしこのニュータウンの造成が遅れたことや建設費が高騰などが影響し、
千葉急行線が千葉中央-大森台間が部分開業したのは1992年4月になってしまった。
その後も延伸工事がなされ、1995年4月にはちはら台まで延伸した。
しかし千葉・市原ニュータウンの入居率が思ったほど延びなかったことや、
一部の乗客が首都圏へのアクセスがよい外房線鎌取駅に流れたことなどがあり、
千葉急行電鉄の経営は予想以上に悪化してしまい、
1998年10月1日にとうとう経営が破綻して会社は解散、
経営は京成電鉄に引き継がれた。
引き継ぎの条件として千葉急行線の運賃もそのまま継続し、
京成線とは別料金で計算されることとなった。
現在では設立の経緯が違うために京成津田沼-千葉中央間が京成千葉線、
千葉中央-ちはら台間が京成千原線となっているが、
実質的には直通運転されている。


 芸備線 げいびせん

芸備線は備中神代から三次を経て広島に至る地方交通線である。
全区間が非電化単線で、路線距離は159.1kmに及ぶ。
芸備線は広島から備後庄原までを芸備鉄道が敷設、
備後庄原から備後落合は鉄道省が荘原線として、
備中神代から備後落合までは三神線として開通した。
芸備鉄道は広島から三次までを敷設する鉄道として設立、
1915年4月28日に広島から志和地までが部分開業、
同年6月1日に三次(現・西三次)までが開業した。
1922年6月7日に塩町まで延伸、
1923年12月8日には備後庄原までが延伸された。
1933年6月1日に既設区間の備後十日市(現・三次)から備後庄原までが国有化、
この区間の路線名が庄原線となる。
庄原線は1934年3月15日に備後西城まで延伸、
1935年12月20日には備後落合までの延伸を果たした。
一方、1930年2月10日には三神線として備後神代から矢神までが開業、
同年11月25日には東城まで延伸、1935年6月15日には小奴可まで延伸、
1936年10月10日には備後落合まで延伸、庄原線は三神線に編入され、
備中神代から備後十日市(現・三次)までが三神線となる。
1937年7月1日には芸備鉄道が国有化、
これと同時に三神線を編入して広島から備中神代までが芸備線となった。


 気仙沼線 けせんぬません

気仙沼線は前谷地から気仙沼までを結ぶ非電化単線として、
1977年12月11日に90.3kmが全通したが、
東日本大震災により一部区間が廃止、BRT転換され、
現在の鉄道線は17.5kmとなっている。
気仙沼線は明治期の三陸縦貫鉄道構想が礎になっており、
大船渡線の一部として1956年4月11日に、
気仙沼から気仙沼港の区間が開業したのが始まりである。
翌年、1957年2月11日に南気仙沼から分岐して本吉までが開業、
南気仙沼から気仙沼港の区間が支線としてともに気仙沼線として独立した。
一方、1968年10月24日には現在の鉄道線区間である、
前谷地から柳津の区間が柳津線として開業した。
1977年12月11日に柳津から本吉の区間が開業、
柳津線を編入して全通した。
支線の南気仙沼から気仙沼港の貨物線1.3kmは、
1979年11月1日に廃止された。
2011年3月11日に発生した東日本大震災で被災、
同年4月29日に前谷地から柳津の区間が運転再開したが、
残された区間は被害が深刻で鉄道での復旧は断念され、
2012年12月22日に柳津から気仙沼間が気仙沼線BRTに転換された。



 高徳線 こうとくせん

高徳線はその名の通り、高松市と徳島市を結ぶ非電化路線である。
徳島から隣の佐古までは徳島線と高徳線の供用区間で、
この区間を先に敷設したのは徳島鉄道で、
1899年2月16日に徳島から鴨島までの区間を開業した。
この時、徳島から隣の佐古まで区間も敷設されていた。
徳島鉄道は1907年9月1日に公有化されている。
もう一つ高徳線との一部を敷設したのは阿波電気軌道で、
1916年に部分開業、のちに延伸していったが、
1933年7月1日に国有化され、一部の既設区間が阿波線となった。
阿波電気軌道が敷設した区間のうち、
板野から阿波線への分岐の池谷を経由して吉成までは高徳線となった。
高徳線としての敷設され最初に部分開業したのは1925年8月1日で、
高松から志度までの区間だった。
1926年3月21日には讃岐津田まで延伸、
1928年4月15日には引田まで延伸した。
阿波鉄道が1933年7月1日に国有化され、阿波線となる。
1935年3月20日には引田から板西(現・板野)までと、
吉成から佐古の区間が開業、高松から徳島までが高徳本線として全通した。
同時に阿波線の板西から鍛冶屋までの区間は鍛冶屋線となったがのちに廃止されている。
国鉄分割民営化後の1988年6月1日にJR四国線路名称改正が行われ、
本線表示を廃止、高徳本線は高徳線となった。


 高野線 こうやせん

南海電鉄高野線は堺から高野山への参詣鉄道として高野鉄道が敷設した路線で、
1898年1月30日に大小路(現・堺東)から狭山までの区間を開業させたのに始まる。
道頓堀(現・汐見橋)から長野(現・河内長野)まで敷設したところで、
東武鉄道の再建に関わった根津嘉一郎の出資で出来た高野登山鉄道が事業を継承する。
三日市町まで延伸工事が進んだところで社名を大阪高野鉄道に変更、
1922年9月6日に南海鉄道が大阪高野鉄道を合併、高野線となる。
しかし橋本から高野山までの免許を失ったことから南海鉄道は、
1925年3月28日に高野山電気鉄道が設立して免許を再度買収、
1929年2月21日に極楽橋まで延伸して全通した。
戦時中の1944年6月1日に南海鉄道と関西急行鉄道も合併して近畿日本鉄道となった。
しかし戦後の1947年6月1日に南海鉄道の路線は近鉄から分離、
この時、高野山電気鉄道が南海電気鉄道に社名変更の上、
旧南海鉄道の路線の譲渡を受けて、南海線とした。


 御所線 ごせせん

近鉄御所線は南大阪線尺度から分岐して近鉄御所までを結ぶ5.2kmの路線で、
南和電気鉄道が1930年12月9日に全区間一気に開通させた。
開業当時の駅名は南和御所町という駅名だった。
もともと南和電気鉄道は大阪鉄道の傍系会社で、
戦時中の1943年2月1日に関西急行鉄道が大阪鉄道を合併、
1944年4月1日に南和電気鉄道も関西急行鉄道に合併された。
更に1944年6月1日には関西急行鉄道と南海鉄道が戦時合併、
社名を近畿日本鉄道に変更したが、
戦後の1947年6月1日には南海鉄道の路線は分離され、
高野山鉄道に譲渡され、社名を南海電気鉄道に変更した。


 御殿場線 ごてんばせん

御殿場線は東海道本線の一部として開業した。
日本で最初に鉄道が敷設されたのは新橋から横浜(現・桜木町)の区間で、
1872年10月14日に官設鉄道として開業した。
この官設鉄道は東京と大阪を結ぶ鉄道として計画されたもので、
1874年5月11日には大阪から神戸の区間も開業している。
1887年7月11日には横浜から国府津が開業、
1889年2月1日に国府津から静岡の区間が開業、
この時、国府津から沼津の区間は現在の御殿場線のルートが採用された。
現在の東海道本線のルートは山岳地帯を通過するため、
当時の技術では直通の建設が困難とされ、
国府津から御殿場を経由して沼津に至るルートが採用された。
しかしこのルートも勾配がきつく補助機関車が必要としたことから、
1918年頃から国府津から小田原、熱海を経由するルートを建設、
1920年10月21日に熱海線として国府津から小田原の区間が開業、
1922年12月21日に小田原から真鶴まで延伸、
1924年10月1日に湯河原まで延伸、1925年3月25日に熱海ので延伸、
箱根山を貫く丹那トンネルが1934年12月1日に完成、
熱海から沼津までの区間が開通した。
これに伴い、御殿場経由だった東海道本線は、熱海線ルートに変更、
熱海線が東海道本線に組み入れられ、
国府津から御殿場経由で沼津に至る区間は御殿場線として分離された。



 篠栗線 ささぐりせん

篠栗線は1904年6月19日に九州鉄道が石炭輸送のために吉塚から篠栗までを敷設、
篠栗もこの時に終着駅として同時に開業した。
翌年1905年2月16日には博多まで鹿児島本線と変更する単線を敷設した。
九州鉄道は1907年7月1日に国有化、1909年10月12日の線路名称制定で篠栗線となる。
敷設当時は鹿児島本線も篠栗線も単線として使用されていたが、
篠栗線を鹿児島本線に編入して複線化に利用するため、分岐点が再び吉塚となる。
筑豊地区から博多方面の短絡線として1968年5月25日に篠栗から桂川まで延伸、
筑豊本線と接続することになった。
2001年10月6日には篠栗線の電化が完了、
これと同時に電化路線として福北ゆたか線の愛称設定が決まった。


 佐世保線 させぼせん

佐世保線は長崎本線肥前山口から分岐して佐世保までを結ぶ48.8kmの幹線である。
交流電化されている単線で、博多から特急も直通する。
早岐から大村線も分岐していて、ハウステンボス行きの特急も通過する。
九州新幹線長崎ルートが開業すると肥前山口から武雄温泉までの区間が組み込まれる予定になっている。
九州鉄道が鳥栖と長崎を結ぶ幹線鉄道(現・長崎本線)の一部として建設されたもので、
1895年5月5日に佐賀から武雄(現・武雄温泉)までが開業、
1897年7月10日に早岐まで延伸、1898年1月20日に支線として佐世保まで延伸した。
長崎本線となる幹線も1897年7月22日に長崎(現・浦上)まで延伸している。
九州鉄道は1907年7月1日に国有化され、
1909年10月12日に佐賀から早岐までが長崎本線、早岐から佐世保が佐世保線となった。
有明線として開業していた肥前山口から諫早までの区間が1934年12月1日に長崎本線に編入、
これと同時に長崎本線として開業していた肥前山口から早岐までと、
既に佐世保線として開業していた支線の早岐から佐世保までを佐世保線とした。
1935年11月9日に北佐世保まで延伸したが、
1936年10月1日に佐世保鉄道が国有化されて松浦線が設立、
この時に佐世保線にも接続したが、1943年8月30日に佐世保から北佐世保までが松浦線に編入された。


 山陰本線 さんいんほんせん

山陰本線は中国地方の日本海側、山陰地方を結ぶ、
京都から幡生までの676.0kmの幹線で全区間がJR西日本の所有である。
京都から園部までは京都鉄道に敷設され、国有化後に綾部まで延伸された。
綾部から福知山までは現在の福知山線の一部として阪鶴鉄道によって敷設、
阪鶴鉄道が国有化後に阪鶴線となった。
福知山から香住までは播但線の一部として敷設された。
一方、宇田郷から阿川までは美祢線の一部として開業、
阿川から幡生までは小串線として開業、
間の香住から宇田郷までは山陰本線として順次開業され、
1933年2月24日に須佐から宇田郷までが延伸開業して全通、
全区間を山陰本線に編入した。


 山陽電気鉄道 さんようでんきてつどう

山陽電気鉄道は兵庫から明石までに軌道線を敷設した兵庫電気軌道と、
明石駅前(現・山陽明石)から姫路駅前(現・山陽姫路)までを敷設した神戸姫路電気鉄道に由来する。
1907年に設立された兵庫電気軌道は1917年4月12日に兵庫から明石の区間が完成した。
1919年に設立された明姫電気鉄道、のちに社名変更して神戸姫路電気鉄道は、
1923年に明石から姫路までの区間を完成させた。
現在の関西電鉄の前身となった宇治川電気が1927年1月1日に兵庫電気軌道を合併、
3ヶ月後の同年4月1日には神戸姫路電気鉄道を合併し、
翌年の1928年8月26日には兵庫から姫路への直通運転も開始された。
宇治川電気は1933年6月6日に電鉄部を独立させ、山陽電気鉄道が設立された。


 山陽本線 さんようほんせん

山陽本線は私鉄の山陽鉄道が敷設した神戸から下関までの区間を国有化してもので、
1888年11月1日に兵庫から明石までの区間が開業、12月23日には明石から姫路まで延伸、
1989年9月1日には兵庫から神戸まで延伸、官設鉄道(現・東海道本線)と接続する。
同年11月11日には姫路から竜野仮停車場まで延伸、
1890年7月10日には竜野仮停車場から有年まで延伸、12月日に三石仮停車場まで延伸、
1891年3月18日に岡山まで延伸、4月25日は倉敷まで延伸、
同年7月14日には笠岡まで延伸、9月11日には福山まで延伸、11月31日には尾道まで延伸、
1892年7月20日には三原(現・糸崎)まで延伸、1894年6月10日には広島まで延伸、
1987年9月25日には徳山まで延伸、1898年3月17日には三田尻(現・防府)まで延伸、
1900年12月3日には厚狭まで延伸、1901年5月27日には馬関(現・下関)まで延伸、全通された。
山陽鉄道は1906年12月1日に国有化され、1909年10月12日の線路名称制定で山陽本線となった。


 三陸鉄道 さんりくてつどう

三陸鉄道は岩手県が中心となって宮古市、大船渡市、
一関市、久慈市、釜石市などの沿線自治体と、
沿線企業が出資して1981年11月10日に設立された、
第三セクター鉄道事業者である。
明治期の三陸縦貫鉄道構想が礎になっており、
戦前の1939年9月17日に釜石から都までの山田線が開業、
戦後になって1972年2月27日には宮古から田老の宮古線、
1973年7月1日には盛から吉浜までの盛、
1975年7月20日には普代から久慈までの久慈線が相次いで開業した。
しかしこのあとは国鉄の財政悪化により建設が凍結、
未成線の吉浜から釜石までの15.2 km、田老から普代までの32.2 kmは、
路盤は既に完成しており、レールの敷設もほぼ終了していた。
更に1981年9月18日には盛線、宮古線、久慈線も、
国鉄再建法による第1次特定地方交通線に指定され廃止が決定された。
これを受けて岩手県と沿線自治体は廃止線、未成線を引き受け、
第三セクターの三陸鉄道を設立して未成線の工事を継続、
1984年4月1日に宮古から久慈までの北リアス線、
盛から釜石までの南リアス線が開業した。
2011年3月11日の東日本大震災で全線が不通、
その後順次開業していったが、災害復興により経営が悪化、
上下分離方式が検討された。
山田線のうち、宮古から釜石までの区間は、
JR東日本が復興させた上で同区間を三陸鉄道に移管、
2019年3月23日に山田線宮古から釜石までの区間と、
北リアス線、南リアス線の含めて全区間がリアス線となった。

 リアス線/盛~久慈 163.0 km

 北リアス線/宮古~久慈 71.0 km
 南リアス線/盛~釜石 36.6 km
 山田線/釜石~宮古 55.4 km



 事業用車両 じぎょうようしゃりょう

事業用車両は営業用車両以外に保線や運搬などの事業継続のために投入される車両のことである。
検測車などには新造車もあるが、多くは改造車が使用されている。


 四国旅客鉄道 しこくりょきゃくてつどう

四国旅客鉄道株式会社1987年4月1日に国鉄分割民営化によって誕生した、
四国及び本四備讃線のJR西日本との境界域の岡山県に路線を所有する鉄道会社である。
略称は「JR四国」、コーポレートカラーは水色である。
本社所在地は香川県高松市浜ノ町8番33号で支社はない。
企画部、営業部、事務所として、
愛媛企画部、徳島企画部、高知企画部、岡山企画部、大阪営業部、東京事務所がある。
形態は株式会社だが、株主は独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構が100%保有しており、
完全民営化はされていない。
所有路線は9路線、855.2kmで、JR旅客各社の中では少ない。

※JR四国の「現有路線」及び「車両基地」はこちら


 試作用車両 しさくようしゃりょう

試作車両は新しい量産車両を造る前に試験的に造る車両で、
試験終了後に量産化改造して営業投入される場合と、廃車にされる場合とがある。


 志摩線 しません

志摩線は志摩電気鉄道によって敷設された路線で、
当初は鳥羽から鵜方浜(現・鵜方)までの計画だったが、
風光明媚な英虞湾岸の賢島まで敷設した方が収益が見込めるとなり、
工事着工直前に真珠港(現・廃止)までの計画に変更された。
1929年7月23日に鳥羽から真珠港までの区間が一気に開業した。
開業前の賢島は真珠の養殖場があったが基本的には無人島だった。
しかし鉄道路線が開業したことにより観光地化された。
志摩電気鉄道は戦時中の1944年2月11日に、
神都線(現・廃止)を所有する宮川電気、
内部線、八王子線(現・四日市あすなろう鉄道)を敷設した三重軌道、
湯の山線(現・近鉄)を敷設した四日市鉄道、
北勢線(現・三岐鉄道)を敷設した北勢鉄道、
松坂線(現・廃止)を廃止した松阪軽便鉄道と合併、
三重交通が発足志摩電気鉄道の路線は志摩線となった。
1964年2月1日に三重交通の鉄道路線は三重電気鉄道に分離譲渡され、
三重交通はその後バス会社として現在も存続している。
三重電気鉄道は翌年、1965年4月1日に近畿日本鉄道に合併した。
1969年7月1日に賢島から真珠港までの区間が廃止された。


 車両記号の基礎 しゃりょうきごうのきそ


JRの車両記号は国鉄時代に作られたルールを基本的に継承している。
但し、JR東日本は自社の開発車両として“E”をつけ、
またJR四国では独自の4桁の車両記号を採用している。

電車の場合、基本編成は3桁で顕し、それに繋げて個別車両を識別する数字をつけていく。
更に別系列にするほどではない多少の変化を番台をつけることで顕すこともある。

更に個別車両には車両の特徴を顕すカタカナの記号を付ける。
カタカナ記号には車両の構造を顕す記号と座席の等級を顕す記号が組みあらわされる。

車両の構造をあらわす記号は以下の3種類がある。

  ・・・制御車(運転台のある車両)
  ・・・電動車(モーターが取り付けられている車両)
  ・・・付随車(中間のモーターのない車両)

運転台のある車両にモーターがついている場合は“クモ”となる。
また気動車(内燃機関で動く列車)の場合、統一で以下の記号を使用する。

  ・・・気動車(気動車全てに使用)

気動車の場合、全て“キ”で顕し運転台のあるなしの区別はしない。
現実的にはほとんどの車両が運転台が着いており、運転台のあるなしを区別する必要がほとんどない。

座席の等級をあらわす記号は“イロハ”で顕し、以下のようになる。

  ・・・グリーン車
  ・・・普通車

これは鉄道創設当時から1960年までは一等車から三等車を“イロハ”で顕していた時の名残である。

電車の形式を表す数字は3桁で表され、百の位は供給される電気の方式、十の位は使用用途を顕す。
一の位は奇数で原則として登場順につけられていく。
またこの数字にマイナス1した数字と組み合わせて使用される。
これは前後にある制御車や2両をひとつとして使用する新性能電車の電動車に対してペアで使用される。

  百の位・・・1~3直流、4~6交直流、7~8交流、9試作車両等
  十の位・・・0~3通勤形、近郊形、5~8急行型、特急型、9試験車など


 準大手私鉄 じゅんおおてしてつ

大手私鉄15社と営団地下鉄が民営化された東京メトロを合わせた16社が、
国土交通省鉄道局などの統計資料などで大手私鉄とされている。
それに対し、中小私鉄ほど規模は小さくないが、大手私鉄に数えられない企業を準大手私鉄という。
明確な定義はないが、現在以下の5社が準大手私鉄として数えられている。

新京成電鉄・・・京成電鉄の持分法適用関連会社であり、京成グループの一つである。東証一部上場。
山陽電気鉄道・・・兵庫電気軌道と神戸姫路電気鉄道が宇治川電気と合併し、鉄道部門が独立してできた会社。大証一部上場。
大阪府都市開発・・・大阪府が中心となって設立された第三セクター。鉄道事業だけでなく、流通センターなども運営している。
北大阪急行電鉄・・・阪急阪神ホールディングスの連結子会社であるが、大阪府も出資しているため、第三セクター鉄道でもある。
神戸高速鉄道・・・阪急電鉄、阪神電気鉄道、山陽電気鉄道、神戸電鉄の路線を接続するための路線のみを所有する第三セクター鉄道。

※準大手私鉄の企業別詳細はこちら


 ジョイフルトレイン じょいふるとれいん

ジョイフルトレインの正確な定義は不明だが、国鉄時代から登場した団体専用列車やイベント、行楽を目的とした特別列車をいう。
客車改造の特別列車が以前は多く存在したが今では多くが廃車となった。
電車は485系特急車両の足回りを再利用して車体新造のジョイフルトレインが多く誕生したが、
現在では車体も再利用した小規模の更新にとどめたジョイフルトレインも造られるようになった。


 上越新幹線「とき325号」脱線事故 じょうえつしんかんせんとき325ごうだっせんじこ

2004年10月23日17時56分に新潟県中越地震が発生し、
震源地に近い上越新幹線浦佐-長岡駅間で、
走行中の東京発新潟行下り「とき325号」200系K25編成が脱線した。
新幹線の脱線事故としては東海道・山陽新幹線も含めて開業以来初めてとなる。
乗客乗員に負傷者はなかった。
「とき325号」の脱線地点手前のレールに大きな損傷はなく、
地震の揺れによる脱線と見られている。


 上越線 じょうえつせん

上越線は高崎から信越本線宮内までを結ぶ162.6kmの路線で、
1920年から建設が開始された。
それまでは首都圏から新潟に行くには信越線経由で碓氷峠を越え、
直江津から日本海側を行かなければならなかった。
特に碓氷峠は勾配がきつく、日本の鉄道で最難関の箇所といわれていた。
そのため開通当時はアプト式鉄道で結び、
EF63型電気機関車が誕生し、粘着運転が出来るようになってからも、
横川と軽井沢で機関車の付け替えを行わなければならず、
またかなりの遠回りになってしまっていた。
そこで高崎から上越地区へダイレクトに結ぶ路線のニーズが高まり、
信越本線のバイパス路線として上越線が建設された。
1920年宮内側から上越北線が建設され、
翌年には新前橋から上越南線の建設が始まった。
1931年9月1日に単線路線として全線開通した。
その5年後には信号場だった土合が駅に昇格している。
1957年からは複線化工事が新前橋から始まり、
1967年には新清水トンネルが完成している。
それまでは勾配差の大きい上越線はループ線を描いて山岳区間を抜けていた。
しかし戦後トンネル掘削技術が向上し長いトンネルを掘ることが可能になり、
新しくできた下り線はトンネル内を一気に進む線形を取った。


 蒸気機関車 じょうききかんしゃ

蒸気機関車は蒸気機関によって動く機関車のことで、
Steam Locomotiveの略として“SL”と呼ばれている。
また「汽車」や蒸気船に対して「陸蒸気」などと云われたりもする。
駆動方式としてはピストン方式、タービン方式などがあり、
車体構造からタンク式、テンダー式などがある。

※「蒸気機関車 図鑑」はこちら
※「蒸気機関車 解説」はこちら
※「蒸気機関車 一覧表」はこちら


 上信電鉄 じょうしんでんてつ

高崎から下仁田方面には富岡製糸場で生産された運搬する目的で、
乗合馬車が建設されたが、業績不振から廃業となっていた。
1884年に日本鉄道により現在の高崎線が高崎まで延伸、
再びこの地域に鉄道建設の気運が高まり、
小坂鉄山や青倉石灰山などの産出物の搬出を目的に上野鉄道が設立された。
因みに「上野」は「こうずけ」と読む。
上野鉄道は1894年9月13日に設立され、
翌年高崎から下仁田まで免許状が下付された。
1987年5月10日に高崎から福島(現・上州福島)までが開業、
同年7月7日に南蛇井まで延伸、同年9月10日には下仁田まで延伸し全通した。
蒸気機関から電気鉄道への変更や長野県の中込まで延伸する計画が持ち上がり、
1921年8月25日に社名を上信電気鉄道に改称した。
1924年には上州富岡までの電化が完成したが、
延伸計画の方はは電力供給などの問題から断念された。
1964年5月11日に現在の社名の「上信電鉄」に改称された。


 譲渡車 じょうとしゃ

一般的に都市部で使用されていた大手私鉄などの車両を、
地方鉄道などに有償、もしくは無償で譲渡し、使用される車両のこと。
譲渡に際してワンマン化、台車や集電装置などを改造することが多い。
また場合によっては第三セクター化された際に、
それまでの使用車両をそのまま譲渡することもある。


 新幹線 しんかんせん

新幹線はそれまでの国鉄車両とは全く新しい思想で造られた幹線でそれまでの国鉄の狭軌から、
国際的に多く使用されている標準軌が採用されている。
大きく東海道・山陽新幹線系列と東北・上越新幹線の系列に大別できる。
また東北新幹線に接続する山形新幹線、秋田新幹線は在来線を改軌して直通させたミニ新幹線である。
車両ももちろん新幹線用に新造され、カタカナによる分類は存在しない。
国鉄分割民営化後は東海道新幹線がJR東海、山陽新幹線はJR西日本、九州新幹線はJR九州、
その他の東北・上越新幹線系列はJR東日本に属する。
系列は100桁で顕し、初めて誕生した車両は他との分類が必要ないために0系と呼ばれている。
またJR東日本は途中から自社開発車両に“E”をつけるようになり、
それに伴って新幹線車両は独自に分類するようになった。
600系として開発されていた車両が“E1系”を名乗ったために600系は欠番になっている。


 寝台列車 しんだいれっしゃ

寝台列車とは夜行列車のうち、寝台設備を備えた寝台車で構成される列車をいう。
寝台列車のうち、特急列車として運転される列車を特に“寝台特急”という。
一般的には客車を寝台車として機関車が牽引する形が一般的であるが、
一部には寝台設備を有する電車が充当されることもある。
かつては日本全国に多くの寝台列車が走っていたが、最近では年々減少しており、
国鉄分割民営化以降、JRによって寝台車両が製造されたのは、
E26系客車「カシオペア」と285系直流電車「サンライズエクスプレス」の2系列のみである。

※寝台列車に関する詳細はこちら



 スジ すじ

ダイヤグラム表の中で、斜めの線のこと。
この表は縦軸に距離、横軸に時間をとって、
列車がどの時間帯にどの場所、あるいは駅にいるのかを表したもので、
列車を斜めの線で表現し、この斜めの線をスジという。
ここから転じて列車の運行ダイヤをスジという場合もある。



 仙石線 せんせきせん

仙石線は1925年6月5日に、
宮城電気鉄道が仙台から西塩釜までを敷設したのが始まりで、
戦時中の1944年5月1日に宮城電気鉄道は国有化され、仙石線となった。
2000年3月11日には仙台から陸前原ノ町までが地下化された。
宮城電気鉄道が直流で電化したため、
東北本線などが交流電化されている中で、異端の存在になっている。
現在も元山手線の205系3100番台が使用されている。
山手線からの改造、転籍は4両編成19本だったが、
東日本大震災でM7編成とM9編成が廃車となった。



 総武本線 そうぶほんせん

総武本線は東京から銚子までの幹線であり、錦糸町から御茶ノ水までの支線、
また小岩から分岐して金町、越中島貨物駅を結ぶ貨物専用線もある。
東京から錦糸町までは快速線のみで、錦糸町から千葉までは複々線となっており、
緩行線と快速線と別々の線路が敷設され、快速線は停車駅のみホームが設置されている。
千葉からは佐倉までは複線、佐倉から銚子までは単線となっている。
総武緩行線は中央緩行線と直通運転されていて、一般的にこの路線を「総武線」と呼び、
電車の案内表示も「中央・総武線」と表示されている。
旅客案内では千葉から銚子までの区間を「総武本線」とすることもある。
総武快速線は千葉から銚子本線に直通するほか、内房線、外房線にも乗り入れ、
また佐倉から成田線にも乗り入れている。
官設鉄道や現在の東北本線などを敷設した日本鉄道などの開業により、
全国的な鉄道敷設ブームが起こり、千葉県内でも佐原や成東の名士が名乗りを上げ、
本所(現・錦糸町)から佐原までを武総鉄道が出願、
本所(現・錦糸町)から銚子までを武州鉄道が出願した。
しかし江戸時代から海運が発達、また利根川開削などもあり、両社とも却下された。
競合した両社は合併を協議、1889年1月に総武鉄道が設立された。
社名は下総国、上総国の両総と武蔵国を結ぶ鉄道の意味で名付けられた。
1894年7月20日に市川から佐倉の区間が開業した。
同年12月9日には市川から本所(現・錦糸町)まで延伸、
1987年5月1日には佐倉から成東、
同年6月1日に成東から銚子まで延伸された。
1904年4月5日には本所から両国橋(現・両国)が延伸、
この時、東武鉄道亀戸線が亀戸から両国橋まで乗り入れてを開始、
この乗り入れは1910年3月27日まで続いた。
1906年3月31日に公布された鉄道国有法により、
総武鉄道は1907年9月1日に国有化された。
1909年10月12日の線路名称制定により総武本線となった。
1932年7月1日に両国から御茶ノ水まで延伸した。
総武緩行線の区間が全通、この時点ではお茶の水が起点となった。
成田空港開業に合わせて東京から成田に直通路線が計画され、
錦糸町から千葉までを複々線化、
東京から錦糸町まで地下トンネルを敷設することとされた。
1972年7月15日に東京から錦糸町までの区間が開業、
起点を御茶ノ水から東京に変更、錦糸町から御茶ノ水の区間は支線となった。
東京から銚子までは120.5km、錦糸町から御茶ノ水は4.3km、
旅客線は全線直流電化されている。


 外房線 そとぼうせん

外房線はその名の通り、房総半島の外側を走る路線であり、
総武本線千葉から安房鴨川までの93.3kmを結ぶ区間である。
また安房鴨川で内房線と接続し、房総半島を一周する。
外房線は以前は房総東線と呼ばれていたが、
1972年の房総東線、房総西線の房総線全線電化完了を機に、
房総東線を外房線、房総西線を内房線と名称変更した。
房総東線、房総西線と云うよりも外房線、内房線と云う方が路線をイメージしやすい。
以前は房総一周の急行も運行されていたが、
現在では外房線の特急「わかしお」は安房鴨川まで、
内房線の特急「さざなみ」は館山までで一部千倉まで行くが、特急同士の接続はない。
外房線は当初馬車鉄道として計画され、「房総鉄道馬車」の社名で設立された。
そのご計画が変更され1893年(明治26年)に「房総鉄道」に社名変更され、
1896年(明治29年)に蘇我-大網間が開業し、
更に資材運搬用の仮線として建設した千葉-蘇我間も本線として営業が許可された。
1897年(明治30年)2月には一ノ宮まで延伸、
1899年(明治32年)12月には大原間で延伸した。
大網から房総本線成東までの延伸工事も同時に進められていたが、
1907年(明治40年)に施行された鉄道国有法によって国に買収され、
大網-成東間は東金線になり、千葉-大原間は房総線となった。
国有化されてから1913年(大正2年)6月に勝浦まで、
1927年(昭和2年)4月には上総興津まで、
1929年(昭和4年)4月には安房鴨川まで延伸が完了した。
1892年(明治25年)に公布された鉄道施設法に従って、
当初から国によって建設された北条線(現・内房線)が、
1925年(大正14年)に安房鴨川まで既に開通していた。
北条は現在の館山である。
もともとは木更津線の名前で建設されていたが北条まで延伸した時に改称した。
1929年に房総線が北条線安房鴨川まで延伸して直通した段階で、
房総線が房総東線、北条線が房総西線に名称変更された。
房総東西線を合わせて房総線として呼ばれることもあった。
房総両線の電化が進み、1972年(昭和47年)には全線の電化が完了、
この時に房総東線を外房線、房総西線を内房線と名称変更した。
同時に大網駅を現在の場所に移設し、スイッチバックを解消した。
外房線特急は以前は総武本線経由で千葉まで来ていたが、
1990年(平成2年)に京葉線が東京駅まで延伸したのを機に京葉線経由に変更された。



 第三セクター鉄道 だいさんせくたーてつどう

第三セクター鉄道とは、第三セクター方式で運営される鉄道会社のことである。
本来は国や地方公共団体が経営する公企業を第一セクター、
私企業を第二セクターとするのに対し、それ以外の法人という意味であるが、
一般的には国や地方公共団体と民間が合同で出資・経営する企業を第三セクターという。
第三セクター鉄道は以下のように分類できる。

1.旧国鉄やJRの赤字ローカル線である特定地方交通線、及び建設中に凍結された工事路線を引き継いだもの。
2.整備新幹線の開業に伴い、JRから分離された並行在来線区間を引き継いだもの。
3.赤字の私鉄路線を引き継いだもの。
4.臨海工業地帯の貨物鉄道のため、旧国鉄やJR貨物が沿線自治体と荷主企業の共同出資で設立した臨海鉄道。

国土交通省のホームページで紹介されている「地方鉄道・第3セクター」で現有路線は37社。

※第三セクター鉄道の会社別詳細はこちら


 太宰府線 だざいふせん

太宰府線は西日本鉄道天神大牟田線西鉄二日市から分岐して太宰府までを結ぶ2.4kmの単線である。
現在の鹿児島本線に当たる九州鉄道二日市と太宰府を結ぶ馬車軌道を敷設するため、
1902年5月15日に設立された太宰府馬車鉄道により、
同年5月1日太宰府から二日市駅前(湯町口)までの区間が開業する。
太宰府馬車鉄道は太宰府軌道に社名を変更、1913年から動力を馬力から蒸気に変更する。
現在の西日本鉄道となる九州鉄道の傘下に入り、1927年9月24日に太宰府から二日市までを電化、
蒸気区間として残された二日市から二日市駅前(湯町口)までが1929年9月5日に廃止され、
太宰府軌道は1934年6月30日に九州鉄道に合併され、太宰府線となった。


 田沢湖線 たざわこせん

田沢湖線は奥羽本線大曲から東北本線盛岡を結ぶ地方交通線で、
標準軌に改軌され、新在直通特急「こまち」が運行される、
秋田新幹線のルートの一部にもなっている。
盛岡側からは橋場軽便線として、大曲側からは生保内軽便線として建設された。
橋場軽便線として1921年6月25日に盛岡から雫石が開業、
1922年7月15日に橋場まで延伸したが、
戦時中の1944年10月1日に雫石から橋場は、
不要不急路線として休止された。
生保内線として1921年7月30日に大曲から角館までが開業、
同年12月11日に神代まで延伸、
1923年8月31日に生保内(現・田沢湖)まで延伸された。
橋場軽便線線、生保内軽便線は1922年9月2日、
それぞれ橋場線、生保内線に改称されている。
戦後、1964年9月10日に雫石から赤渕までの区間が生橋線として開業、
生橋線は1966年10月20日に赤渕から田沢湖に延伸、
橋場線、生保内線を編入の上、田沢湖線に改称した。
生保内が田沢湖に改称したのは1966年10月1日である。
田沢湖線は1966年3月30日より全線休止、バス代行となり、
約1年を掛けて狭軌から標準軌に改軌、
1997年3月22日より標準軌として営業再開、
秋田新幹線「こまち」が新在直通特急として盛岡から乗り入れてくる。


 弾丸列車 だんがんれっしゃ

戦前、戦中にあった東京から大阪、下関へ至る標準軌採用の高速鉄道計画。
対馬海峡に海底トンネルを掘り、朝鮮半島や満州国への延伸計画もあり、
朝鮮総督府鉄道や南満州鉄道で採用されていた標準軌で敷設することが計画された。
東海道本線、山陽本線と平行して新しく主要幹線を敷設することから、
鉄道省内部では「新幹線」、「広軌幹線」と呼ばれていたが、
一般的には「弾丸列車」と称されていた。
一部工事もスタートしたが、太平洋戦争の激化で頓挫し、終戦を迎えた。



 筑肥線 ちくひせん

筑肥線はかつて博多から伊万里までを結ぶ路線として唐津市内を通らない別ルートで開業したが、
部分電化によって一部の区間が経路変更や廃止になったため、
現在では姪浜から唐津までの42.6kmの東区間と山本から伊万里までの25.7kmの西区間に分かれる。
北九州鉄道が1923年12月5日に福吉から浜崎まで敷設したのに始まる。
翌年1924年4月1日には福吉から前原(現・筑前前原)まで延伸、
同年7月7日には浜崎から虹の松原(現・虹ノ松原)まで延伸、
1925年4月15日には前原から姪ノ浜(現・姪浜)まで延伸した。
さらに同年6月15日には姪浜から新柳町まで延伸、虹の松原から東唐津まで延伸、
同年11月20日には新柳町から南博多まで延伸、
1926年10月15日には南博多から博多まで延伸して国有鉄道に近接させた。
1929年4月1日には東唐津から山本まで延伸、
1935年3月1日には山本から伊万里まで延伸し、博多から伊万里までが全通した。
北九州鉄道は1937年10月1日に国有化され、路線は筑肥線と名称制定された。
福岡市地下鉄1号線(現・空港線)が1983年3月22日に開業、
同時に筑肥線の博多から姪浜までの区間は廃止となった。
虹ノ松原から山本までの10.4kmを廃止、唐津から虹ノ松原までの5.1kmを新規開業、
唐津から姪浜までの区間を電化して福岡市地下鉄1号線との相互乗り入れも同時に開始した。
この時点で現在のルートは完成するが、唐津から山本までの区間は唐津線と二重戸籍となっていた。
1987年4月1日の国鉄分割民営化でJR九州が誕生したのと同時に二重戸籍を改称、
唐津から山本までは唐津線となり、筑肥線は2つに分断された。


 智頭急行 ちずきゅうこう


智頭急行は建設途中の智頭線を引き受けて設立された設立された第三セクター鉄道である。
山陽本線と山陰本線を繋ぐ連絡線として計画されていた智頭線は、
日本鉄道建設公団により建設が進められていたが、
国鉄の経営悪化を受け1980年に成立した日本国有鉄道経営再建促進特別措置法で建設が凍結された。
凍結時点で用地買収は95%、路盤は30%、軌道は10%が完成しており、
鳥取、岡山、兵庫の3県が中心となって出資された第三セクターが建設を継続することとなり、
1986年5月31日に“智頭鉄道”の社名で設立された。
その後智頭鉄道が引き受けて工事が進められ、
1994年6月17日に社名を“智頭急行”に変更、同年12月3日に智頭線は開業した。


 中央本線 ちゅうおうほんせん

中央本線の元となったのは、明治の鉄道黎明期に誕生した甲武鉄道である。
これは甲斐(現・甲府)と武蔵(現・東京)を結ぶ鉄道として、
1889年4月11日に新宿-立川間を開業させた。
その後、1894年10月19日には牛込(現・廃止)まで延伸、
翌年には飯田町まで延伸した。
飯田町は現在の飯田橋とは異なる。
1904年12月31日には御茶ノ水まで延伸した。
1906年3月31日公布の鉄道国有法により、甲武鉄道は国有化された。
その一方で八王子より先は官設鉄道として建設された。
1901年8月1日には八王子から上野原までが開業し、
1903年6月11日には甲府までの延伸した。
更に官設鉄道は延伸を進め、1906年6月11日には塩尻までの延伸を完了する。
また1908年4月19日には御茶ノ水から更に昌平橋(現・廃止)まで延伸し、
1909年10月12日に国有鉄道線路名称設定で中央東線となった。
1911年には中央西線を編入する形で中央本線となる。
1912年4月1日には万世橋が開業して昌平橋は廃止、
1919年1月25日に東京駅に乗り入れとなった。
こうして中央東線は現在の形で全通するのだが、
この時は塩尻峠を迂回するため、岡谷から辰野を経由して塩尻に至るルートであった。
現在の辰野支線が本線としての正式ルートだったのである。
現在のみどり湖を経由する新ルートになったのは1983年6月21日からで、
この時に岡谷から辰野に至り、塩尻に行くルートは辰野支線に格下げになった。
現在では言い出せんが岡山で直通していることから岡谷-辰野間はいいが、
塩尻-辰野間は123系1両編成が1両のみで運行をになっているのが現状である。
一方で中央西線は官設鉄道として1900年7月25日に名古屋-多治見間が開業し、
1911年5月1日には木曽福島まで延伸した。
塩尻-宮ノ越間は1910年11月25日に中央東線として開業したが、
1911年5月1日に宮ノ越-木曽福島間が開業し、
中央本線が全通した時に宮ノ越-塩尻間が中央西線に編入されている。


 中小私鉄 ちゅうしょうしてつ

中小私鉄とはJR、大手私鉄16社と準大手私鉄5社以外の鉄道会社のこと。
地方公共団体の資本が入った第三セクター鉄道とそれ以外の地方鉄道に分けられる。
国土交通省のホームページで紹介されている「地方鉄道・中小民鉄」で現有路線は61社。

※中小私鉄の会社別詳細はこちら



 通勤形電車 つうきんがたでんしゃ

通勤、近郊形電車は系列を顕す3桁の数字の十の位は0~3を使用するが特に0をロングシート車に使用する。
つまり通勤形車両は原則的に十の位が0となる。
但し、最近では通勤形と近郊形の両方の用途に使用できる汎用型車両も開発され、特に3が使用される。

直流型通勤電車

モハ90系として登場した新性能電車は国鉄の電車の型式番号が3桁に整理された時に101系となった。
国鉄が開発したのは205系までで、207系以降は分割民営化後のJRの開発である。
但し、301系は営団地下鉄(当時)直通用に開発された車両で、103系をベースとしているため、
その数字をひっくり返して301系と名付けたものと思われる。
103系は地下鉄直通の貫通扉が設置されものは1000番台に分類され、
営団(現・東京メトロ)千代田線・常磐緩行線相互乗り入れ用は1000番台、
営団(現・東京メトロ)東西線・総武緩行線相互乗り入れ用は1200番台、
福岡市営地下鉄空港線・筑肥線相互乗り入れ用は1500番台がある。
209系はJR東日本が「寿命半分、重量半分、コスト半分」の思想の元に開発した車両で、
E231系以降の開発にその存在が活かされている。
1992年に901系が試作され、A~C編成が2年間に渡って試験走行し、2年後に209系が誕生した。
その後量産化改良され、901系900番台から920番台として営業投入されている。

交直流型通勤電車

交直流型でロングシートの通勤需要特化の車両はE501系のみである。
常磐線は取手以遠で交流に変わるため、従来の通勤電車はすべて取手止まりで、そこから先は403系列に任されていたが、
沿線の宅地化などで取手以遠の通勤需要が伸びてきたため、
これに対応するために209系をベースに交直流通勤形電車が開発された。

交流型通勤電車

交流型通勤電車はJR東日本所属の701系のみである。
JR東日本の交流区間である東北地区で幅広く活躍している。



 ディーゼル機関車 でぃーぜるきかんしゃ

電気機関車はディーゼルエンジンを動力源とする機関車のことで、
Diesel Locomotiveの略称として“DL”と呼ばれることがある。
エンジンを積んだ機関車を「内燃機関」と呼び、
かつてはガソリン機関車もあったが、今は存在しないため、
内燃機関車をディーゼル機関車の意味で使われることがある。
動力伝達方式には機械式、電気式、液体式の3種類がある。
液体式はディーゼルエンジンの出力をトルクコンバータと遊星歯車を介して変速し、
動輪に伝えることで駆動力を得る機関車。
電気式はディーゼルエンジンで発電機を回すことで電力を得てモーターで駆動する機関車。
機械式はマニュアルトランスミッションの自動車同様、ディーゼルエンジンの出力をクラッチで断続し、
ギアボックスの歯車の組み合わせを変えて必要な駆動力を得る機関車。

※「ディーゼル機関車 図鑑」はこちら
※「ディーゼル機関車 解説」はこちら
※「ディーゼル機関車 一覧表」はこちら


 帝都高速度交通営団 ていとこうそくどこうつうえいだん

帝都高速度交通営団は帝都高速度交通営団法によって1941年7月4日に設立された、
第二次世界大戦時の国家体制維持のための経営財団のひとつで、
東京都の地下鉄の整備運営を目的に設立された。
一般的には略して“営団地下鉄”と呼ばれていた。
戦後GHQによって営団は解体、公社化されたが、営団地下鉄はそのまま残された。
現在日比谷線、銀座線、丸ノ内線、東西線、南北線、有楽町線、千代田線、半蔵門線、8路線を所有している。

 銀座線/浅草-渋谷 14.3km(1927年/軌間1435mm、直流600V・第三軌条方式)
 丸ノ内線/池袋-荻窪、中野坂上-方南町 27.4km(1954年/軌間1435mm、直流600V・第三軌条方式)
 日比谷線/北千住-中目黒 20.3km(1961年/軌間1067mm、直流1500V・架空電車線式)
 東西線/中野-西船橋 30.8km(1964年/軌間1067mm、直流1500V・架空電車線式)
 千代田線/綾瀬-代々木上原、綾瀬-北綾瀬 24.0km(1971年/軌間1067mm、2直流1500V・架空電車線式)
 有楽町線/和光市-新木場、同新線 28.3km(1974年/軌間1067mm、直流1500V・架空電車線式)
 半蔵門線/ 渋谷 - 押上 16.8km(1978年/軌間1067mm、直流1500V・架空電車線式)
 南北線/目黒 - 赤羽岩淵 21.3km(1991年/軌間1067mm、直流1500V・架空電車線式)
 副都心線/和光市-池袋 20.2km(2008年/軌間1067mm、直流1500V・架空電車線式)


 鉄道院 てつどういん

鉄道院は明治時代後期から大正時代に存在した鉄道行政を司る行政機関であり、のちに鉄道省に昇格した。
鉄道関係の所轄官庁はもともと工部省鉄道寮(後の工部省鉄道局)が受け持ち、
工部省が廃止され、鉄道局は内閣直属となった。
その後、現業部門が独立して帝国鉄道庁となったが、再度鉄道局と帝国鉄道庁を統合して、
1908年12月5日に内閣鉄道院が新設され、内閣の直属機関となった。
1920年5月15日に内閣直属機関から省として独立し、鉄道省となった。


 鉄道国有法 てつどうこくゆうほう

1906年3月31日に公布された民間の鉄道を国有化させるための法律である。
これによって多くの私鉄が国有化され、
施行前の官設鉄道の営業距離は約2,600kmだったが、施行後は約7,100kmとなった。
これによって全国規模の国有鉄道が実現し、私鉄は地域輸送に限定されることとなった。
買収された私鉄は以下の17社である。

買収年月日 買収鉄道会社名 現路線名 買収営業キロ 買収車両
機関車 客車 貨車
1906年10月1日 北海道炭礦鉄道 函館本線の一部 329.1 km 79 102 1753
甲武鉄道 中央線御茶ノ水-八王子間 44.7km 13 62 266
1906年11月1日 日本鉄道 東北本線、山手線など 1,385.3 km 368 857 6411
岩越鉄道 磐越西線郡山-喜多方間 79.7km 23 112
1906年12月1日 山陽鉄道 山陽本線など 667.7 km 152 534 2075
西成鉄道 大阪環状線の一部など 7.4km 23 227
1907年7月1日 九州鉄道 鹿児島本線の一部など 712.6 km 256 391 7148
北海道鉄道 函館本線函館-南小樽間 255.9km 27 44 265
1907年8月1日 京都鉄道 山陰本線の一部 35.7 km 100
阪鶴鉄道 福知山線尼ヶ崎-福知山間 113.1km 17 44 260
北越鉄道 信越本線の一部 138.1km 18 74 298
1907年9月1日 総武鉄道 総武本線の一部 117.8 km 24 121 274
房総鉄道 外房線の一部 63.4km 32 95
七尾鉄道 七尾線 55.4km 19 77
徳島鉄道 徳島線徳島-川田間 34.6km 25 46
1907年10月1日 関西鉄道 関西本線など 442.9 km 121 571 1273
参宮鉄道 紀勢本線の一部、参宮線津-山田間 42.0km 10 88 74


 鉄道事業者 てつどうじぎょうしゃ

1986年12月4日に公布された鉄道事業法によって、
鉄道事業の運営形態を線路の所有と車両運行により、3つに分類される。

第1種鉄道事業

自らが敷設する線路を使用して鉄道運送を行う事業。
線路と車両の両方を所有する形態。

第2種鉄道事業

他社が所有する線路を使用して鉄道運送を行う事業。

第3種鉄道事業

線路を他社に譲渡する目的で敷設する事業、及び線路を敷設して第2種鉄道事業者に専ら使用させる事業。


 鉄道事業法 てつどうじぎょうほう

鉄道事業法は1986年12月4日に公布された鉄道事業及び索道事業等の運営について規定する日本の法律である。
日本国有鉄道の分割民営化に伴い、日本国有鉄道法、地方鉄道法、索道規則に代わって制定された、
日本の鉄道事業を一元的に規定する法律である。
所管省庁は国土交通省である。


 鉄道省 てつどうしょう

鉄道省は大正時代から太平洋戦争中まで存在した鉄道行政を司る省である。
現業部門の帝国鉄道庁と監督行政を受け持つ鉄道院が統合され、
1908年に誕生した鉄道院は内閣の直属機関だったが、
権限の強化などを目指して省として昇格し、1920年5月15日に鉄道省となった。
鉄道省は1943年11月1日、戦時体制に伴う官庁統廃合で逓信省と合併し、運輸通信省となった。
旧鉄道省が所管していた部門は運輸通信省鉄道総局が所掌した。
1945年5月19日、運輸通信省は内閣所轄の逓信院として分離させ運輸省に改組した。
戦後、国有鉄道の管理運営を1949年6月1日に日本国有鉄道に移管した。
運輸省は2001年1月6日に建設省や国土庁など再編され、国土交通省となった。


 鉄道敷設法 てつどうふせつほう

鉄道敷設法は、1892年6月21日に公布された国が建設すべき鉄道路線を定めた法律である。
この法律では北海道以外の予定線33線が規定されていた。

北海道については北海道鉄道敷設法が1896年5月14日公布に規定。

鉄道省が発足した1920年には鉄道敷設法に掲げられたほとんどの路線が完成していたが、
地方路線がほとんど規定されておらず、全国の路線網のさらなる充実を図るために、
同年抜本的な改正が実施された。
これを一般に改正鉄道敷設法という。
改正鉄道敷設法別表には、予定線として149路線が掲げられており、
ローカル線(地方交通線)建設の根拠とされた。
別表には順次52路線が追加されていった。

鉄道敷設法は1988年、日本国有鉄道改革法等施行法が施行されたことにより、鉄道国有法、地方鉄道法とともに廃止された。

鉄道敷設法第2条に規定する予定鉄道線路はこちら


 田園都市線 でんえんとしせん

池上線は池上本門寺への参詣客輸送のため設立された池上電気鉄道によって敷設された路線で、
1922年10月6日に蒲田から池上までの区間が開業した。
翌年、1923年には池上から雪ヶ谷(後に調布大塚と統合、現・雪が谷大塚)まで延伸、
1927年8月28日には桐ヶ谷(現・廃止)まで延伸、同年10月9日には大崎広小路まで延伸、
1928年6月17日には五反田まで延伸して全通した。
全通後の1934年10月1日に池上電気鉄道は目黒蒲田電鉄に吸収合併、
1939年10月1日に東京横浜電鉄が目黒蒲田電鉄に合併後、東京横浜電鉄に改称する。
戦時中の1942年5月1日に小田急電鉄、京浜電気鉄道(現・京浜急行電鉄)を合併、
社名も東京急行電鉄に改称されたが戦後に小田急と京急は独立した。


 電気機関車 でんききかんしゃ

電気機関車は電気を動力源としている機関車のことで、
Electric Locomotiveの略称として“EL”と呼ばれることがある。
架線からパンタグラフを通じて電力を取り入れ、電動機で動力へ変換し走行する。
電源の種類により、直流、交流、交直流に分類される。

※「直流電気機関車 図鑑」はこちら
※「交直流電気機関車 図鑑」はこちら
※「交流電気機関車 図鑑」はこちら
※「民間鉄道の電気機関車 図鑑」はこちら
※「電気機関車 解説」はこちら
※「直流電気機関車 一覧表」はこちら
※「交直流電気機関車 一覧表」はこちら
※「交流電気機関車 一覧表」はこちら


 電車 でんしゃ

パンタグラフなどで外部から電気を取り入れ、電動機によって走行する鉄道車両である。
一般的には旅客用車両がほとんどであり、「電動客車」の略とされる。
機関車牽引による列車を動力集中方式と呼ぶのに対し、動力分散方式と呼ばれる。
一般的に鉄道車両全般を“電車”と呼ぶこともある。
電車車両の詳細については拙作「電車」を参考にされたい。

「電車」
http://train.bokunenjin.com/


 電車の形式 でんしゃのけいしき

鉄道車両の形式は国鉄、JR各社と民間鉄道それぞれで違うが、
一般的に電車の場合、国鉄、JR四国を除くJR各社は3桁、
JR四国と民間鉄道会社は4桁を使用する場合が多い。
また民間鉄道では4桁で表現出来なくなった場合、5桁を使用しているところもある。
気動車の場合は一般的に“形”で表すことが多いが、
電車の場合、“形”をまとめて“系”で表すことが多い。
3桁の国鉄の形式表記は国鉄時代に規定で決められ、
百の位は電気の方式、十の位は車両の種類を表すとしている。
百の位は1から3が直流、4と5が交直流、7と8が交流を表す。
十の位は0から2が通勤形、近郊形、5から7が急行形、8が特急形としていた。
これはあくまで国鉄での規定であり、分割民営化後のJR各社では独自の形式を符合できる。
しかし国鉄から引き継いだ車両を多く所有していることもあり、
JR各社は基本的にこの形式符号を引き継いでいる。
JR四国では4桁の独自の符号形式を採用し、
JR東日本は途中から自社の車両であることを表す“E”をつけるようにしている。
また急行が減少し、急行形の専用車両の製造がないことから、
十の位の付番はJR化以降、独自に決められているようである。
ただ、百の位の区分けは原則としてJR化以降も守られている。

 ※「国鉄、JRの電車の付番法則」の詳細はこちら


 天神大牟田線 てんじんおおむたせん

天神大牟田線は九州鉄道と大川鉄道によって敷設された路線で、
福岡から熊本までの開業を目指していたが、用地買収などが難航し大牟田までの延伸で断念された。
1924年4月12日に福岡(現・西鉄福岡(天神))から久留米の区間が開業、
この時終着駅として開業、1932年12月28日に津福まで延伸した。
上久留米から津福、大善寺を経由して榎津までを敷設していた大川鉄道が、
1937年6月22日に九州鉄道に合併され、津福から大善寺の区間が改軌して電された。
同年10月1日には大善寺から柳河(現・西鉄柳川)までが延伸、
1938年9月1日に柳河(現・西鉄柳川)から中島(現・西鉄中島)までが開業、
同年10月1日には栄町(現・新栄町)まで延伸、1939年7月1日に大牟田まで延伸、全通した。
戦時中の1942年9月19日に陸上交通事業調整法により、
九州電気軌道は福博電車、九州鉄道、博多湾鉄道汽船、筑前参宮鉄道等と合併、
その3日後の9月22日に九州電気軌道は西日本鉄道に改称された。



 東海旅客鉄道 とうかいりょきゃくてつどう

東海旅客鉄道株式会社は1987年4月1日に国鉄分割民営化によって誕生した、
東海、甲信、近畿地方および神奈川県の一部の在来線と東海道新幹線を所有する旅客鉄道会社である。
略称は「JR東海」、コーポレートカラーはオレンジ色である。
本社所在地は愛知県名古屋市中村区名駅1丁目1番4号、
東京本社は東京都港区港南2丁目1番85号JR東海品川ビルA棟がある。
他に東海鉄道事業本部(旧名古屋鉄道管理局)、新幹線鉄道事業本部(旧新幹線総局)、
静岡支社(旧静岡鉄道管理局)、三重支店、飯田支店、関西支社、海外事務所はワシントン、ロンドン、シドニー。
2005年7月29日までに独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構保有の224万株のうち、
約195万株が一般市場に売却、
2006年4月5日に同機構保有の全株(28万6071株)がJR東海に売却され、
JR東日本、JR西日本に次いで完全民営化を果たした。
1,982.0kmの鉄道路線を第一種鉄道事業として所有している。
2006年11月25日からICカード乗車券「TOICA(トイカ)」のサービスを開始した。
「TOICA」は「TOkai Ic CArd」の略である。
鉄道総合技術研究所と共同でジェイアール式マグレブ(磁気浮上式鉄道)の実験を行っており、
首都圏と中京圏の間にリニアモーターカー式の中央新幹線を全額自己負担で建設する予定である。

※JR東海の「現有路線」及び「車両基地」はこちら


 東武亀戸線 とうぶかめいどせん

東武亀戸線はもともと本線として機能していた時代もあった路線である。
現在の東武鉄道の本線格は浅草から伊勢崎までの伊勢崎線であるが、
東武鉄道の最初の開業区間は1899年8月に開業した北千住から久喜までだった。
しかし東武鉄道は最初から吾妻橋を起点に考えていたようで、
さらには越中島までの延伸計画もあったが、なかなか認可が下りなかった。
1902年4月1日にようやく吾妻橋までの延伸が許可された。
この延伸の時に同時に申請されたのが曳舟から分岐して亀戸までの支線であり、
1904年4月5日に開業して亀戸から総武鉄道(現・JR総武線)に入り両国まで乗り入れていた。
これによって曳舟から吾妻橋までの区間は廃止された。
両国が東武鉄道にとっても起点駅となったのだが、
1907年9月1日に総武鉄道が国有化されると再び起点を吾妻橋に戻し、
旧吾妻橋(現・とうきょうスカイツリー)を起点として駅名を「浅草」とし、
1910年3月に旅客営業を再開、これに伴って総武線への乗り入れは中止された。
現在の起点の浅草への乗り入れは京成電鉄と競合した。
京成電鉄は自社に有利に免許が交付されるように政界工作し、
それが発覚して社長が逮捕されるなどの事件となった。
京成電鉄はこのことにより浅草乗り入れを断念して、
東武鉄道が1931年5月に旧浅草を業平橋に改称、浅草雷門(現・浅草)まで開業させた。
業平橋は東京スカイツリー開業に合わせ、2012年3月17日に改称された。


 東北本線 とうほくほんせん

東北本線は明治時代に日本鉄道という会社が施設した長距離路線で、
1883年に上野-熊谷間が開業した。
つまり上野-大宮間は高崎線と東北本線が共有しているが、
そもそもこの区間は高崎線の路線として開業した区間なのである。
その後1885年には大宮-宇都宮間が開業したが、
まだ利根川橋梁が完成していなかったため、この区間は船を利用していた。
約1年後の1886年6月17日に利根川橋梁が完成し、宇都宮まで直通した。
その後もどんどん北に延伸していき、1891年には青森まで開通している。
1906年には鉄道国有法によって国有化されたが、
東京-上野間が完成したのは1925年11月1日になってからである。
つまり東北本線の始発駅は長い間上野駅であり、
現在も東京-上野間は東北本線ということになっているが、
実際は京浜東北線や山手線の一部であって、
現在でも東北本線、高崎線の列車はほとんどが上野駅を始発としている。


 道明寺線 どうみょうじせん

現在の道明寺線と南大阪線の一部となる柏原から古市までの区間は、
1898年3月24日に 河陽鉄道が敷設してもので、
この時道明寺も中間駅として開業した。
翌年1899年5月11日には河陽鉄道が敷設した区間を河南鉄道が承継、
河南鉄道は1919年3月8日に社名を変更して大阪鉄道となる。
1922年4月18日に道明寺から分岐して布忍までの区間が開業する。
戦時中の1943年2月1日に関西急行鉄道が大阪鉄道を吸収合併、
更に1944年6月1日には関西急行鉄道と南海鉄道が戦時合併、
社名を近畿日本鉄道に変更したが、
戦後の1947年6月1日には南海鉄道の路線は分離され、
高野山鉄道に譲渡され、社名を南海電気鉄道に変更した。


 都営新宿線 とえいしんじゅくせん

都営新宿線は東京10号線として計画された地下鉄のひとつで、
「芦花公園方面より新宿及び靖国通りの各方面を経由し、
市ヶ谷、神保町、須田町及び浜町の各方面を経て住吉町方面へ至る路線」とされ、
更に調布から深川住吉町、橋本から芦花公園、住吉町から千葉ニュータウンが追加されている。
都営地下鉄なのに終点の本八幡は千葉県内なのにここまで路線が延びているのは、
JR総武線や京成本線との乗り換えの利便性のほか、
千葉ニュータウン方面に延伸計画があったためのようである。
本八幡から千葉ニュータウンまでは千葉県が中心となり、
「東京10号線延伸新線」として第三セクターを設立して敷設する予定だったが、
千葉県の財務状況などの問題などもあって実現せず、
千葉ニュータウンへのアクセスは京成が中心となって北総鉄道が設立され、
また現在では成田空港への新たなアクセス路線として京成スカイライナーが使用している。


 常滑線 とこなめせん

名古屋鉄道常滑線は神宮前駅から常滑までの29.3kmの複線路線で、
常滑線から延伸する形で空港線が接続する。
1912年2月18日に愛知電気鉄道によって、
傳馬(現・廃止)から大野(現・大野町)の区間が敷設されたのに始まる。
同年8月1日には傳馬から秋葉前(現・廃止)まで延伸、
翌年の1913年3月29日に大野町から常滑まで延伸、
同年8月31日には秋葉前から神宮前まで延伸して全通した。


 特急電車 とっきゅうでんしゃ

特急型車両は1958年11月に東海道本線に登場したモハ20系(現・151系)がその礎となる。
特急とは「特別急行」の略で、急行の上位バージョンに当たるが、急行列車の衰退で“特急”そのものがひとつの固有名詞化した。
国鉄時代には直流181系列、交直流481系列が主力として全国ほぼ一律のデザインで、
「月光型」と呼ばれたシンボリックな車両が賑わいを見せていたが、
国鉄分割民営化後は、JR各社が挙って観光需要を喚起しようとオリジナルデザインの車両を投入し、
JR各社の特色が出ている多種多様な車両が全国を駆けめぐっている。

直流特急型電車

181系列は国鉄時代に誕生した直流特急型の標準タイプで1958年に登場した151系の出力増強版として登場した。
登場時はボンネット型だったが、後に581系の姿を模したデザインとなり、交直流の485系と並んで国鉄特急型の顔となった。
国鉄時代に通勤需要にも対応できる特急型車両として185系が登場した。
JR化後はJR東日本、西日本が主に百の位を2、JR東海は好んで3を使用する。
百の位の3は振り子型に用いられる傾向がある。
十の位はJR東日本が5、JR西日本が8を好んで使用する。

交直流特急型電車

481系列は1960年代に登場した首都圏の直流区間と地方の交流区間を結ぶ中長距離対応の特急型電車である。
直流と関西圏の60Hz交流区間を走る481系が1964年に登場、続いて関東圏の50HZ交流区間を走る483系が登場、
1968年には汎用型の直流、交流50Hz、交流60Hzの全区間を走れる485系が誕生した。
581系列は昼夜兼用特急として開発された車両で、昼は座席車両、夜は寝台車両として使用できる。
581系は京阪神-九州間を結ぶ車両として直流、交流60KHz走行可能の車両として登場し、
翌年には東北エリア投入のため交流50KHz間も走れる3電源走行可能な車両として583系が誕生した。

交流特急型電車

交流型特急車両は1978年に北海道の寒冷地仕様として登場した781系に始まる。
国鉄型としては781系のみが造られた。
JR三島会社で交流型は新造され、特にJR九州では百の位に8を好んで使用する。

JR九州の883系は製造年次により、フロントデザインが異なる。

 1編成 1次車 7両編成 リーフ型フロントグリル
 2編成 1次車 7両編成 リーフ型フロントグリル
 3編成 2次車 7両編成 スリット型フロントグリル
 4編成 3次車 7両編成 S字型フロントグリル
 5編成 3次車 7両編成 S字型フロントグリル
 6編成 4次車 7両編成 S字型フロントグリル フロントカラーシルバー
 7編成 4次車 7両編成 S字型フロントグリル フロントカラーイエロー
 8編成 4次車 7両編成 S字型フロントグリル フロントカラーブラック



 中越鉄道 なかごしてつどう

中越鉄道は1897年5月4日に黒田-福野間を開業させたのがその始めである。
開業当時は既に官設鉄道北陸線の計画はあったものの、
まだ現在の高岡駅の場所が決まっていなかったために暫定的に黒田駅を開設した。
北陸線の場所が決定して高岡駅の場所が決定した1989年1月2日に、
現在の高岡駅に始点を変更している。
官設鉄道北陸線(現・北陸本線)が開業したのは1899年11月1日で、
結果的には中越鉄道に官営鉄道北陸線がそこに乗り入れる形になっている。
中越鉄道は更に1897年内に福光、城端と延伸を果たしている。
城端-高岡間を開業した中越鉄道は更に高岡駅を越えて、
1900年12月29日には伏木まで延伸した。
12年後の1912年4月4日には島尾まで延伸、
同年9月1日には氷見まで延伸が完了した。
1920年には中越鉄道が国有化されたが、
この時城端-伏木間が城端線、伏木-氷見間が氷見軽便線となった。
2年後には氷見軽便線が氷見線に改称、
1942年に城端線を城端-高岡、氷見線を高岡-氷見間と変更し、現在の形になる。


 成田線我孫子支線 なりたせんあびこしせん

成田線は総武本線佐倉から松岸までの本線と、
成田から我孫子までの我孫子支線、
成田から成田線分岐点までの空港支線があり、
全長119.1kmの幹線で、全線直流電化、
本線の佐倉から成田と空港支線が複線で、あとは単線である。
我孫子支線は成田線本線を敷設した成田鉄道が、
1901年2月2日に成田から安食まで敷設、
同年4月1日に安食から我孫子まで延伸して全通した。
成田鉄道は1920年9月1日に国有化された。


 ナローゲージ なろーげーじ

普通鉄道は2本のレールの上を車輪で走る形になっているが、
このレールの間を軌間といい、その長さには幾つかの種類がある。
日本では新幹線や一部の私鉄などで採用されている1,435mmの軌間で、
これは“標準軌”と呼ばれる。
日本では一番多いわけではないが、欧米で一般的に採用されているためにこう呼ぶ。
この1,435mmより広い軌間を“広軌”といい、国際的には“ブロードゲージ”と呼ばれる。
しかし現在の日本にはブロードゲージはない。
1,435mmより狭い軌間を“狭軌”といい、国際的には“ナローゲージ”と呼ぶ。
日本の標準的な狭軌(と、云う言い方も変だけれど)は、
現在のJRグループの在来線で採用されている1,067mmである。
また私鉄でもこの軌間を採用しているところは多い。
日本では「狭軌」と呼ぶ場合、1,067mmの軌間を差すことが多い。
「標準軌」と「狭軌」の間に1,372mmという軌間があり、
京王本線や都電、東急世田谷線などが採用しており、“偏軌”という。
また「馬車軌間」とも呼ばれる。
この軌間を最初に採用した経緯が、
馬車鉄道時代に標準軌では馬の足がレールに引っかかってしまうため、
標準軌より少し狭い軌間として採用されたことに由来する。
日本の鉄道は多くで相互乗り入れしている。
そのため相互乗り入れ先の軌間に改軌していることが多い。
これらの3つの軌間が日本の鉄道のほとんどで採用されているのだが、
一部の鉄道では更に狭い軌間を採用しているところがある。
これは“特殊狭軌”と呼ばれ、762mmの軌間である。
日本では762mmの軌間に対して“ナローゲージ”と呼ぶことが多い。
この軌間は鉄道黎明期で多く採用されたもので、軽便鉄道で多く採用された。
しかしその多くは廃止されたり、国鉄などに吸収された際に改軌され、
現在762mmのナローゲージが残っている路線は、
観光路線である黒部峡谷鉄道本線を除くと、
近畿日本鉄道内部と八王子線、
かつて近鉄路線でありながら地方鉄道である三岐鉄道に移管された北勢線などしかない。
近畿日本鉄道内部線は「うつべ」と読み、
営業距離は5.7km、8駅の単線路線。
近畿日本鉄道八王子線は営業距離1.3km、2駅の単線路線で、
八王子線は内部線日永から分岐していることから、
二つの路線を総称して“近鉄内部・八王子線”と呼ぶことが多い。
また三岐鉄道北勢線は営業距離20.4km、13駅の単線路線である。



 西日本旅客鉄道 にしにほんりょきゃくてつどう

西日本旅客鉄道株式会社は1987年4月1日に国鉄分割民営化によって誕生した、
北陸、近畿、中国地方、信越地方の一部の在来線と山陽新幹線の路線を所有する旅客鉄道会社である。
略称は「JR西日本」、コーポレートカラーは青色である。
本社所在地は大阪府大阪市北区芝田二丁目4-24、
東京本部は東京都千代田区丸の内3丁目4-1新国際ビルヂング9Fである。
支社は在来線の金沢支社、京都支社、大阪支社、和歌山支社、神戸支社、福知山支社、岡山支社、米子支社、広島支社と、
新幹線管理本部(旧新幹線総局)及び福岡支社である。
2004年3月12日に独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構保有の全株式が売却され、
JR東日本についで2番目に完全民営化を果たした。
新幹線644.0kmと在来線4,369.7kmの500線区の計5,013.7km、51線区を所有している。
2003年11月1日からICカード乗車券「ICOCA(イコカ)」のサービスを開始した。
「ICOCA」は「IC Operating CArd」の略である。
関西圏において昔から私鉄との激しい競争があり、
無理なスピードアップが2005年の福知山線脱線事故を引き起こしたとの指摘もある。

※JR西日本の「現有路線」及び「車両基地」はこちら


 日車式ブロック工法 にちしゃしきぶろっくこうほう

車両製造メーカーの日本車輌製造が開発した軽量ステンレス車両の製造法。
今までは車両の1両分の側構体を製造してから組み立てる方式がとられていたが、
その分大きなスペースが工場内に必要となり、組み立て工程での取り扱いも難しかった。
そこで側構体をいくつかのブロックに分けて別々に組み立ててから溶接する方法が編み出された。
最終工程の組み立て作業以外は狭い場所での製造が可能となり、
溶接時に継ぎ目の微調整が可能となるために寸法精度を高める効果もある。


 日南線 にちなんせん

日南線は宮崎空港線の起点駅になっている田吉までは交流電化されているものの、
大部分は非電化単線区間となっている全区間88.9kmの地方交通線である。
日南線の起点の南宮崎から内海までの区間を最初に敷設したのは宮崎軽便鉄道で、
1913年に 赤江(現・南宮崎)から内海までの全区間がが開業した。
宮崎軽便鉄道は1920年に社名を宮崎鉄道に変更、戦時政策によって宮崎鉄道は宮崎交通になる。
1962年1月に起きた土砂崩れのため一部区間が休止、同年7月1日に路線廃止となった。
油津から飫肥までの区間は宮崎県営鉄道が飫肥線として敷設した区間で、
1913年8月18日に飫肥から油津までの区間が開業した。
この時開業した飫肥は1931年9月8日に東飫肥に改称の上、新しく飫肥が延伸開業した。
これとは別に1932年8月1日に宮崎県営軌道が星倉から大藤までの区間が開業した。
宮崎県営鉄道飫肥線と宮崎県営軌道は1935年7月1日に国有化され、油津線となった。
志布志から北郷までは志布志線として開業した区間で1935年4月15日に志布志から榎原までが開業、
1936年3月1日に大堂津まで延伸、1937年4月19日に油津まで延伸、
1941年10月28日に北郷まで延伸した。
廃線となった宮崎交通の南宮崎から内海までの区間を流用して北郷までが新規に敷設され、
志布志線を編入して南宮崎から志布志までの区間が1963年5月8日に日南線として開業した。
1996年7月18日に宮崎空港線が開業し、それに併せて南宮崎から田吉までの区間が電化された。


 日本貨物鉄道 にほんかもつてつどう

日本貨物鉄道株式会社は1987年4月1日に国鉄分割民営化によって誕生した、
貨物事業専門の鉄道会社で、旅客事業会社とは違い、全国機補で事業を引き継いだ。
路線は貨物専用線のみを引き継ぎ、旅客路線と供用区間は分割された旅客会社の所有とし、
そのかわり線路使用料はアボイダブルコストを採用し、最小限に抑えている。
略称は「JR貨物」、コーポレートカラーはコンテナブルー色である。
本社所在地は東京都千代田区飯田橋3丁目13番1号、
他に北海道支社、東北支社、関東支社、東海支社、関西支社、九州支社がある。

※JR貨物の「現有路線」及び「車両基地」はこちら


 日本鉄道 にほんてつどう

日本鉄道は1881年11月11日に設立された、
華族や士族などが出資し設立された日本初の私鉄で、
東北本線や高崎線、山手線や常磐線の一部を敷設した、
現在のJR東日本管区の礎を築いた鉄道会社である。
現在の東海道本線が官設鉄道として敷設されたのに対し、
現在の東北本線が民間出費となったのは、
当時の明治政府が西南戦争の出費により財政的に厳しかったことも影響する。
1883年7月28日に上野から熊谷までの区間が開業、
同年10月21日には本庄、同年12月27日には新町まで延伸、
1884年5月1日には高崎まで延伸、同年8月20日には前橋まで延伸した。
1885年3月1日には支線として品川線が赤羽から品川まで敷設、
この品川線は現在の山手線の一部となっている。
同年7月16日には大宮から分岐して現在の東北本線となる宇都宮までが開業、
1886年10月1日には宇都宮から那須(現・西那須野)まで延伸、
同年12月1日には黒磯まで延伸、
1887年7月16日には郡山まで延伸、12月15日には塩竈まで延伸した。
この塩竈は現在の塩釜駅とは別の駅であり、
郡山から仙台まで延伸した際に、
建築資材を水揚げするために塩釜港まで貨物線を延伸したものである。
1890年4月16日に岩切から分離して一ノ関まで開業、
同年6月1日には宇都宮から支線が今市まで延伸、
同年8月1日には日光まで延伸した。
この支線が現在の日光線である。
同年11月1日には一ノ関から盛岡まで延伸、
1891年9月1日には青森まで延伸し、現在の東北本線は全通した。
1892年3月1日に水戸鉄道の路線を譲受された。
1894年1月4日には尻内(現・八戸)から八ノ戸(現・本八戸)までが開業、
同年10月1日には湊(現・陸奥湊)まで延伸、この支線は現在の八戸線である。
1897年1月1日には両毛鉄道の路線を譲受した。
同年11月1日には岩沼から分岐してから中村(現・相馬)まで開業、
この支線はのちの常磐線である。
1898年4月3日には中村から原ノ町まで延伸した。
日本鉄道は1906年に公布された鉄道国有法により、
同年11月1日に国有化され、1909年10月12日の線路名称制定により、
上野から青森が東北本線、大宮から高崎が高崎線などとなった。




 根岸線 ねぎしせん

根岸線は横浜から大船までの12駅、22.1kmの区間である。
運行上は京浜東北線と一体化されており、
使用する車両も共用している。
根岸線のうち、横浜から桜木町の区間は官設鉄道として、
日本で初めて敷設された区間の一部であり、
1872年6月12日に品川から横浜(現・桜木町)までの区間が仮開業、
同年10月14日に新橋(のちの汐留、現・廃止)から品川までが延伸した。
この延伸区間を含め、官設鉄道として正式開業した。
官設鉄道は東京と大阪、神戸を結ぶ鉄道として計画され、
1887年7月11日に国府津まで延伸された。
この時の敷設は横浜(現・桜木町)からスイッチバックして、
程ヶ谷(現・保土ケ谷)に至る線形だった。
スイッチバックを解消するため、1898年8月1日に、
神奈川から程ヶ谷までの短絡線が開業、
神奈川から横浜までの区間と横浜から程ヶ谷までの区間が支線になる。
1915年8月15日に短絡線の新線上に横浜駅が開業、
初代の横浜駅は桜木町に改称された。
また、桜木町から程ヶ谷の区間は廃止された。
桜木町から大船の区間は桜大線の仮称で日本鉄道建設公団により建設された。
1964年5月19日に桜木町から磯子までの区間が延伸、
東海道本線の支線だった横浜から桜木町の区間と合わせ、根岸線の名称となった。
関内、石川町、山手、根岸、磯子が同時に開業した。
1970年3月17日に磯子から光洋台までが延伸、新杉田、光洋台が開業、
1973年4月9日に大船まで延伸して全通、港南台、本郷台が開業した。
桜木町から大船までの鉄道施設は日本鉄道建設公団および、
その業務を承継した鉄道建設・運輸施設整備支援機構が保有、
国鉄およびJR東日本は貸付料を支払っていたが、
2014年にJR東日本に有償で譲渡された。



 のと鉄道 のとてつどう

のと鉄道は1987年4月30日に設立された第三セクターで、
翌年3月25日に国鉄能登線を引き継いだ。
能登線は北陸本線津幡から輪島まで伸びる七尾線の穴水駅から蛸島まで延びる路線で、
国鉄の特定地方交通線として廃止が決まった。
特定地方交通線とは、「日本国有鉄道経営再建促進特別措置法」、
所謂「国鉄再建法」に規定された地方交通線の中で、
旅客輸送密度4000人未満で鉄道路線廃止バス転換が妥当とされた路線のことである。
能登線は第3次廃止対象の12路線として選定路線の1つである。
輸送密度とは1日の平均輸送人数のことである。
のと鉄道は1988年3月25日から能登線を引き継いで開業した。
蛸島は能登半島の石川県珠洲市にある駅で、能登半島の先端に近い場所まで行く。
のと鉄道は更に1991年9月1日から七尾線の一部を引き継いだ。
七尾線はJR北陸本線津幡から輪島までを結ぶ107.9kmの路線だが、
津幡から和倉温泉が電化した際、非電化区間の和倉温泉-輪島の48.4kmを引き継ぎ、
更に電化区間の七尾-和倉温泉間をJR西日本と共同使用することによって、
七尾-輪島間を開業させた。
七尾-和倉温泉間5.1kmは在来線はのと鉄道が走るが、
特急「サンダーバード」が和倉温泉まで乗り入れるために、
ふたつの鉄道会社の運賃が発生し、そのため料金の設定が複雑になっている。
能登線、七尾線を引き継いだのと鉄道だが、
1年半にして七尾線の一部である穴水-輪島間を廃止し事業を縮小、
更に論議を呼んだ設立の基礎となった能登線穴水-蛸島間も2005年4月1日に廃止、
自社路線を持たない第2種鉄道事業者となった。



 廃車 はいしゃ

本来の使用目的を終了して車籍を抹消した鉄道車両のこと。
廃車の理由については大まかに、
経年による廃車、余剰、用途消失による廃車、事故廃車などが考えられる。
解体される場合と他の事業者に譲渡される場合がある。

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 伯備線 はくびせん

伯耆国(現在の鳥取県の一部)と備前国(現在の岡山県の一部)を結ぶ鉄道線として、
戦前の鉄道院、鉄道省によって丙線として建設された。
南北から建設が開始され、
山陰本線伯耆大山から建設が始まった伯備北線は1919年8月10日に伯耆溝口が部分開通し、
その後、徐々に延伸して192612月1日までに足立まで延伸した。
倉敷から建設された伯備南線は1925年2月17日に宍粟まで部分開通し、
その後延伸されて1927年7月31日に備中川面まで延伸された。
1928年10月25日に備中川面-足立間が開通して伯備線は全通した。


 播但線 ばんたんせん

播但線は山陽本線姫路から山陰本線和田山を結ぶ陰陽連絡線の一つである。
路線距離は65.7km、全区間が単線で、姫路から寺前までが直流電化されている。
播但線は播但鉄道により1894年7月26日に姫路から寺前までの区間が敷設された。
1895年1月15日には隣の長谷まで延伸、
同年4月17日には姫路から飾磨までと長谷から生野までが延伸、
1901年8月29日には生野から新井までが延伸された。
播但鉄道は1903年6月1日に全路線を山陽鉄道に譲渡、
山陽鉄道により1906年4月1日に新井から和田山まで延伸、全通した。
1906年12月1日に山陽鉄道は国有化され、
1909年10月12日の線路名称制定により、
姫路から飾磨港、姫路から和田山、
そして山陰東線として既設された城崎(現・城崎温泉)までが播但線に制定された。
播但線としてその後福知山まで延伸されるが、
1912年3月1日に和田山から福知山までの区間が山陰本線に編入された。
初代の飾磨は1915年9月21日に飾磨港に改称されたが、
戦後の1986年11月1日に姫路から飾磨港までの区間は廃止された。



 東日本旅客鉄道 ひがしにほんりょきゃくてつどう

東日本旅客鉄道株式会社は1987年4月1日に国鉄分割民営化によって誕生した、
東北地方、関東甲信越地方の大部分、静岡県の一部の在来線と東北、上越、北陸新幹線などを所有する旅客鉄道会社である。
略称は「JR東日本」、コーポレートカラーは緑色である。
本社所在地は東京都渋谷区代々木2-2-2、
他に東京支社、横浜支社、八王子支社、大宮支社、高崎支社、水戸支社、千葉支社、仙台支社、盛岡支社、秋田支社、新潟支社、長野支社がある。
2001年1月26日に独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構保有の株式が売却され、
JRの中では一番最初に完全民営化を果たした。
所有路線は計7526.8kmでJRグループでは一番長い。
2001年11月25日からICカード乗車券「Suica(スイカ)」のサービスを開始した。
「Suica」は「Super Urban Intelligent Card」の略である。

※JR東日本の「現有路線」及び「車両基地」はこちら


 尾西線 びさいせん

名古屋鉄道尾西線は路線距離30.9kmの電化路線である。
草津を起点にして名古屋方面に敷設された関西鉄道(現・JR関西本線)は、
1894年7月5日に四日市から桑名まで延伸したが、
その後名古屋までのルートとして弥富から最短ルートと、
津島を経由するルートが検討されたが、
結局津島経由のルートは誘致運動が実を結ばず廃案となった。
そこで地元の有志が出資して尾西鉄道が設立され、
1898年4月3日に弥富から津島までの区間が開業した。
更に津島から先も建設され、1899年2月17日には森上まで延伸、
同年7月18日には萩原まで延伸、1900年1月24日には一ノ宮まで延伸した。
その後、1914年8が節4日には新一宮から木曽川橋まで延伸、
1918年5月1日に貨物線として木曽川橋から木曽川港まで延伸して全通した。
尾西鉄道は1925年8月1日に名古屋鉄道に買収され、尾西線となる。
不要不急路線として戦時中の1944年3月21日に、
奥町から木曽川港までの区間が休止され、
戦後、1951年12月28日に奥町から玉ノ井までの区間が再開されたが、
1959年11月25日に玉ノ井から木曽川港までの区間は廃止が決まった。


 日高本線 ひだかほんせん

日高本線は苫小牧から様似までの142.5kmの非電化単線路線である。
本線とは名ばかりで、終点の様似まで行く列車は一日7本しかなく、
最終列車は静内止まりとなってしまうため、実質6本といっていい。
しかも142.5kmという長距離区間に拘わらず、
交換可能な駅は鵡川、日高門別、静内、本桐の4駅しかない。
このことからも以下に列車本数が少ないかが伺える。
当初の予定では様似から襟裳岬を通って広尾、帯広まで結ぶ予定であった。
しかし日高本線は様似まで、
帯広から広尾までは広尾線が開通していたがこれも既に廃止になっている。
それでも様似から襟裳岬に向かうバスが接続しているため、
観光路線としても成立している。
日高本線は苫小牧軽便鉄道、日高拓殖鉄道の二つの軽便鉄道が礎となっている。
苫小牧軽便鉄道は苫小牧の王子製紙にパルプの原料となる木材を運搬するために、
鵜川から馬車鉄道が敷設されたのに始まり、1913年に正式に設立された。
設立の2年前には蒸気鉄道に変更、佐瑠太(現・富川)まで延伸されている。
日高拓殖鉄道は1923年3月に設立され、
翌年には佐瑠太(現・富川)-厚賀間が開業、1926年に静内まで延伸された。
1927年8月1日にこの二つの軽便鉄道は国有化され、日高線となった。
1933年12月15日には日高三石、1935年10月24日には浦河
そして1937年8月10日に様似まで延伸して全通した。
戦時中の1943年11月1日に日高本線に改称された。


 日立電鉄 ひたちでんてつ

2005年3月まで日立電鉄線を営業していた鉄道会社である。
1927年7月30日に常北電気鉄道として設立され、
翌年12月27日に大甕-久慈(現・久慈浜)間が開業、
1929年7月3日には常北太田駅まで延伸した。
1941年に日立製作所の傘下に入り、1944年7月31日に日立バスと合併し、日立電鉄に改称する。
大甕-鮎川間が開業したのは戦後になってからの1947年9月1日になってからである。
利用客の減少や設備更新の経費が捻出できないことなどから、
2005年4月1日に全線が廃止された。
同年10月1日に日立電鉄バス、日立電鉄観光、日立電鉄サービスを統合して日立電鉄交通サービスを設立、
日立電鉄は日立電鉄交通サービスの持ち株会社となった。

 日立電鉄線/常北太田-鮎川18.1km



 福塩線 ふくえんせん

福塩線は山陽本線福山から芸備線塩町を結ぶ地方交通線で、
全線単線福山から府中は直流電化、府中から塩町は非電化区間である。
営業距離は78.0kmで、全27駅である。
1911年に設立された両備軽便鉄道が、
1914年7月21日に両備福山から府中町(現・府中)が開業、
1933年9月1日に国有化され、福塩線となる。
両備軽便鉄道は1922年4月9日に、
高屋線として神辺から高屋までの区間が開業したが、
この区間は買収されず、神高鉄道に譲渡され、
1940年井笠鉄道神辺線となったが、
戦後の1967年に廃止された。
国有化された福塩線は同年11月15日に福塩南線に改称、
同時に福塩北線として田幸(現・塩町)から吉舎までが開業、
1935年11月15日に上下まで延伸、
1938年7月28日に府中町まで延伸して全通した。
福塩南線は福塩北線に編入され、福塩線に改称された。
1935年12月14日に横尾から福山間までの区間が新設され、
横尾から両備福山の区間は廃止された。


 福北ゆたか線 ふくほくゆたかせん

福北ゆたか線は鹿児島本線黒崎から博多までを筑豊本線、篠栗線経由で結ぶ、
運転系統の愛称で正式な路線名ではないが一般的にはこちらが用いられている。
2001年10月6日に筑豊本線折尾から桂川、篠栗線全線の電化に合わせ、
全区間を交流電車での運行が可能になったため、新しく制定された。
路線名称別には以下のようになる。

 鹿児島本線/黒崎~折尾 5.2km
 筑豊本線/折尾~桂川 34.5km
 篠栗線/桂川~吉塚 25.1km
 鹿児島本線/吉塚~博多 1.8 km


 ブルーライン ぶるーらいん

横浜市営地下鉄ブルーラインは、湘南台からあざみ野までの40.4kmの路線で、
正式名称は関内から湘南台までが横浜市高速鉄道1号線、
関内からあざみ野までが横浜市高速鉄道3号線となっている。
1972年12月16日に伊勢崎長者町から上大岡の区間が開業、
1976年9月4日には上大岡から上永谷、伊勢崎長者町から横浜まで延伸、
1985年3月14日には上永谷から舞岡、横浜から新横浜まで延伸、
1987年5月24日には舞岡から戸塚までが延伸、
1993年3月18日には新横浜からあざみ野まで延伸、
1999年8月29日には戸塚から湘南台まで延伸し、全通した。



 ヘッドマーク へっどまーく

列車の愛称名を表示するために前面に取り付けられるもの。
かつては板状の愛称板を使用する事が多かったが、
近年では方向幕を使用したものも出てきて、運転席内から変更することが可能になった。
またJR化以降、デジタル表示による愛称名の表示をする車両も登場している。

※ヘッドマーク&トレードマークコレクションはこちら



 豊肥本線 ほうひほんせん

豊肥本線は大分から熊本を結ぶ九州を横断する路線で、148.0kmの単線路線で、
熊本から肥後大津までが交流電化され、肥後大津から大分までは非電化区間となっている。
豊肥本線は大分から玉来までは犬飼軽便線として敷設、宮地から熊本までは宮地軽便線として敷設され、
両線を繋いで豊肥本線となった地方交通線で、一部にはスイッチバックもある。
1914年4月1日に犬飼軽便線として大分から中判田間が部分開業、
1916年9月1日には竹中まで延伸、1917年7月20日には犬飼まで延伸、
1921年3月27日には三重町まで延伸した。
犬飼軽便線は1922年9月2日に犬飼線に改称、同年11月23日には緒方まで延伸、
1923年12月20日には朝地まで延伸、1924年10月15日には豊後竹田間まで延伸、
1925年11月30日には玉来まで延伸して犬飼線としては全通した。
一方、熊本側からは1914年6月21日に宮地軽便線として肥後大津まで部分開業、
1916年11月11日には立野まで延伸、1918年1月25日には宮地まで延伸した。
宮地軽便線も1922年9月2日に宮地線に改称されている。
1928年2月12日には立野から高森までの区間も開業している。
同年12月2日には犬飼線と宮地線を結ぶ区間が開業、両線を併せて豊肥本線と改称された。
この時宮地線の支線であった立野から高森までの区間は高森線として分離されたが、
1986年4月1日に高森線は廃止され、第三セクターの南阿蘇鉄道が継承している。


 北陸鉄道浅野川線 ほくりくてつどうあささのかわせん

北陸鉄道は石川線と浅野川線のふたつの路線を所有するが、
このふたつの路線は接続しておらず、独立した路線である。
しかも使用されている車両が浅野川線では元京王3000系を使用しているため、
東急7000系を使用している石川線とは同じ鉄道とは思えないほど、
イメージを異にしている。
北鉄金沢駅は地下に設置されており、
金沢駅東口の「もてなしドーム」には地下へのエスカレーターが設置されている。
北陸鉄道には無料急行という設定があり、ほぼ一駅飛ばしで運行される。


 北陸鉄道石川線 ほくりくてつどういしかわせん

北陸鉄道はふたつの鉄道路線を有するが、
前回金沢に来た時に取材した浅野川線がJR北陸本線の北側に延びるのに対し、
石川線は南側に延び、この新西金沢駅で接続するものの、
JR北陸本線とは基本的に独立した線形を描く。
その一つの終点の野町駅まで行く。
北陸鉄道石川線は元東急の7000系を譲り受けて2両編成化して使用している。
そのため東急7000系の前面のデザインをそのまま残している車両と、
中間車両に運転台を新設した車両とが存在する。
東急7000系は貫通扉が存在するが、
運転台を新設した車両は貫通扉はなく、妻切り型の正面を覆って窓を付けただけの、
ちょっとのっぺりとした印象の車両である。
この車両に乗って終点の野町まで行き、ここで駅取材する。
東急7000系は片側3扉車だが北陸鉄道石川線ではそれ程乗客も多くないため、
まん中の扉は開かなくなっている。


 北海道旅客鉄道 ほっかいどうりょきゃくてつどう

北海道旅客鉄道株式会社は1987年4月1日に国鉄分割民営化によって誕生した、
北海道全域と青函トンネル、JR東日本との境界域の青森県内に路線を所有する旅客鉄道会社である。
略称は「JR北海道」、コーポレートカラーは萌黄色である。
本社所在地は北海道札幌市中央区北11条西15丁目1番1号。
他に釧路支社、旭川支社、函館支社がある。
形態は株式会社だが、株式は独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構が100%保有しており、
完全民営化はされていない。
国鉄分割民営化時には鉄道路線は21路線、3,176.6kmを引き継いだが、
8路線、764.0kmを廃止し、新たに2路線、90.4kmを開業、線路付け替え等により3.2km減となっている。
現在は14路線、2,499.8kmを保有している。
2008年10月25日からICカード乗車券「Kitaca(キタカ)」のサービスを開始した。
「JR北海道の“北(きた)”のICカード」の意味である。

※JR北海道の「現有路線」及び「車両基地」はこちら



 マヤ検 まやけん

軌道検測車「マヤ34」によって軌道を検測すること。
「マヤ34」は1959年から1981年にかけて製造された軌道検測用の車両である。
10系客車をベースにした17m級車で、走行振動を抑えるような工夫がされている。
1959年に1が東急車輌で作られ、これは1967年に耐寒耐雪化工事を施されて北海道用2501となった。
2002から2010は日立製作所で作られた。
検測項目は軌間、水準、通り、高低、平面性、動揺の6項目で「マヤチャート」と呼ばれる記録紙に記録する。
国鉄分割民営化後、2501は廃車され、2002から2004の3両がJR東日本、2005、2007がJR西日本、
2006がJR四国、2008がJR北海道、2009がJR九州、2010がJR東海に引き継がれた。
老朽化や新型の軌道検測車の登場で活躍の場が次第に失われ、
1998年にJR東海の2010が廃車、2004年にJR東日本の2002、2003、
2007年にJR西日本の2005、2007が廃車になった。
現存するのはJR北海道札幌運転所の2008、JR東日本尾久車両センターの2004、
JR九州熊本車両センターの2009に在籍している。


 マレー式 まれーしき

マレー式は、関節蒸気機関車の様式のひとつで、スイスの技師アナトール・マレーによって考案された。
蒸気機関車で1個のボイラーに対して、2組の走行装置を持つ機関車のことである。
動輪が2組あるため、シリンダーが前後で高圧と低圧の2つを備えており、左右合わせて4つある。
駆動輪の数が多いために高出力で、駆動軸間の距離も短いために横圧が小さく急曲線にも対応出来る。
急勾配や曲線の多い山岳路線に適している。
しかし構造が複雑で製造費が高く、また保守点検も困難なために日本ではあまり使用されなかった。

4500型 マッファイ社(独)製/日本鉄道が購入→国有化 1両
4510型 マッファイ社(独)製/北海道鉄道が購入→国有化 1両
9020型 アメリカン・ロコモティブ(アルコ)社(米)製 6両
9750型 アメリカン・ロコモティブ社(米)製 24両
9800型 ボールドウィン社(米)製 18両
9850型 ヘンシェル・ウント・ゾーン社(独)製 12両



 水島臨海鉄道 みずしまりんかいてつどう

水島臨海鉄道は倉敷市交通局から譲渡された鉄道路線を有する第三セクター鉄道である。
水島本線などの鉄道線はもともと水島工業都市開発が所有したもので、
1952年に倉敷市交通局が発足してこれを継承、
この路線を継承するため国鉄や倉敷市などの出資で水島臨海鉄道は1970年2月2日に設立された。
1970年4月1日に倉敷市交通局の市営鉄道線全線を譲渡されて営業を開始したが、
その当時は貨物線のみで、旅客営業を開始したのは1972年9月18日である。
現在でも倉敷市から三菱自工前までの旅客営業線のほか、貨物専用線もいくつか存在する。


 美祢線 みねせん

美祢線は山陽本線厚狭から山陰本線長門市に至る46.0kmの非電化単線の路線である。
厚狭から南大嶺と現在は廃止になった南大嶺から大嶺までは、
大嶺炭田で産出される石炭の運搬のために山陽鉄道が敷設した区間で、
1905年9月13日に全通した。
翌年、1906年12月1日に山陽鉄道が国有化され、
1909年10月12日の線路名称制定で大嶺線となった。
一方、南大嶺から重安までは1916年9月15日に美祢軽便鉄道によって敷設された。
美祢軽便鉄道は1920年6月1日に国有化され、美禰軽便線となる。
同年10月30日には重安から於福までの区間が延伸した。
しかし軽便線の呼称廃止により1922年9月2日に美禰線となった。
1924年3月23日に於福から正明市(現・長門市)まで延伸、
この時の延伸区間と大嶺線が美禰線に編入され、全通した。
美禰線は1963年10月1日に美祢線の表記に変わった。


 宮津線 みやづせん

宮津線は北近畿タンゴ鉄道が所有する鉄道路線である。
西舞鶴から宮津を経由して豊岡まで至る路線である。
宮津線は国鉄の路線として開業、国鉄分割民営化後の1990年4月1日に、
第三セクターの北近畿タンゴ鉄道に移管された。
営業キロは83.6kmの単線で、宮津から天橋立の区間のみ電化されている。
2015年4月1日に鉄道事業をWILLER ALLIANCEの子会社のWILLER TRAINSに移管、
鉄道施設を第三種鉄道事業者として北近畿タンゴ鉄道が所有、
WILLER TRAINSが第二種鉄道事業者として京都丹後鉄道の名称で運営する。
2015年の上下分離式に移管した時に西舞鶴から宮津までの24.7kmに宮舞線、
宮津から豊岡までの58.9kmに宮豊線の愛称が付けられた。
鉄道省によって1924年4月12日に舞鶴(現・西舞鶴)から宮津が敷設された。
翌年1925年7月31日に丹後山田まで延伸、同年11月3日にに峰山まで延伸、
1926年12月25日に網野まで延伸された。
一方豊岡方面からも峰豊線として1929年12月15日に豊岡から久美浜までの区間が開業、
1931年5月25日には宮津線が網野から丹後木津(現・夕日ヶ浦木津温泉)まで延伸した。
1932年8月10日に丹後木津から久美浜までの区間が開通、
峰豊線として開業した区間を宮津線に組み入れて全通した。
1986年には第3次特定地方交通線に選定、廃止の対象になった。
それを受けて第三セクターとして存続されることとなり、
京都府が中心となって宮福線を開業させた宮福鉄道が引き受けることとなり、
宮福鉄道はこれを機に社名を北近畿タンゴ鉄道に変更、
国鉄分割民営化後の1990年4月1日にJR西日本より移管された。
収益の悪化により鉄道事業再構築事業の認定を受け上下分離式に移行、
北近畿タンゴ鉄道は施設のみを所有し、運営に関してはWILLER ALLIANCEに移行、
WILLER ALLIANCEは100%子会社のWILLER TRAINSを設立した。



 武蔵野線 むさしのせん

東海道本線と東北本線を結ぶ山手貨物線を迂回する、
“東京外環貨物線”として1927年鉄道敷設法で計画されたが、
戦時中に一時凍結、戦後の貨物量の増加から再度計画され、
1973年4月1日に府中本町から新松戸までが部分開業、
1978年10月2日に新松戸から西船橋まで延伸した。
府中本町から鶴見までは貨物専用線が伸びていて、
総路線距離は100.6kmにも及ぶ。



 名松線 めいしょうせん

名松線は松阪市と名張市を結ぶことを目的に計画された地方交通線で、
改正鉄道敷設法81の一部「・・・三重縣名張ヲ經テ松阪ニ至ル鐵道・・・」として敷設された。
1929年8月25日に松阪から権現前までが部分開業、
翌年1930年3月30日には井関まで延伸、
1931年9月11日に家城まで延伸、この時終着駅として開業した。
1935年12月5日には伊勢奥津まで延伸した。
既に1930年には参宮急行鉄道が桜井から名張を経由して参急中川(現・伊勢中川)と、
松阪から山田(現・伊勢市)を開業させたため、
名松線の存在意義は失われ、伊勢奥津から先の延伸は中止になった。
その後も台風などで何度か不通になることがあり、
1984年には特定地方交通線第2次廃止対象線となったが、
代替道路未整備を理由に廃止対象から除外された。
2009年10月8日に台風18号による豪雨で家城から伊勢奥津の区間で、
約40箇所の土砂崩れや路盤流出が生じて全線運休となった。
同年10月15日には松阪から家城の区間は再開したが、
その先の区間は被害が甚大で復旧は不可能として、
JR東海は廃止、バス転換の方針を打ち出した。
しかし沿線自治体は存続を要望、今後の台風被害なども考慮して、
沿線自治体が周辺の山間部や河川部の修復とその後の維持管理に対して、
今後も将来にわたって責任を持つことを条件に復旧工事が行われ、
2015年12月18日に不通区間が再開、全線復旧となった。


 名鉄広見線 めいてつひろみせん

広見線は東濃鉄道が部分開業させたのに始まる。
東濃鉄道は1918年に新多治見(現・多治見に統合)から広見(現・可児)までの区間を敷設、
1920年8月21日に御嵩(現・御嵩口)まで延伸させたが、
1926年9月23日に延伸区間の広見から御嵩までの区間を東美鉄道に譲渡、
その一方で2日後の同年9月25日に新多治見から広見までの区間を国有化、太多線となった。
名古屋鉄道は前年の1925年4月24日に今渡線として犬山口から今渡(現・日本ライン今渡)を敷設、
1929年1月22日には今渡から広見まで延伸、これと同時に広見線に改称された。
戦時中の1943年3月1日に名古屋鉄道は東美鉄道を合併して東美線としたが、
戦後の1948年5月16日に東美線を広見線に編入した。
1952年4月1日に御嵩を御嵩口に改称後、現在の御嵩まで延伸して全通した。



 モノレール ものれーる

モノレールは1本の軌条を使用する交通機関として誕生した。
2本のレールを使用する一般的な鉄道に対する意味で、
「一つのレール」という意の名称が付けられている。
一般的にレール上に車両を跨がせて走る跨座式と、
レールからぶら下がる懸垂式に分類される。
日本では跨座式が6路線、懸垂式が4路線の10路線が存在する。

東京モノレール羽田線17.8km(跨座式/アルヴェーグ式)
東京都交通局 - 上野懸垂線 0.3km (懸垂式:上野式)
多摩都市モノレール - 多摩都市モノレール線 16.0km (跨座式:日本跨座式)
千葉都市モノレール - 1号線 3.2km 2号線 12.0km (懸垂式:サフェージュ式)
舞浜リゾートライン - ディズニーリゾートライン線 5.0km (跨座式:日本跨座式)
湘南モノレール - 江の島線 6.6km (懸垂式:サフェージュ式)
大阪高速鉄道 - 大阪モノレール線 21.2km 国際文化公園都市線 6.8km (跨座式:日本跨座式)
スカイレールサービス - 広島短距離交通瀬野線 1.3km (懸垂式:ロープ駆動懸垂式)
北九州高速鉄道 - 小倉線 8.8km (跨座式:日本跨座式)
沖縄都市モノレール - 沖縄都市モノレール線 12.9km (跨座式:日本跨座式)



 山手線 やまのてせん

山手線は品川を起点、田端を終点とする20.6kmの鉄道路線である。
上下線の旅客線のほか、上下線の貨物線を有する複々線の路線である。
現在ではこの山手貨物線東北本線と東海道本線を結ぶ貨物線であるが、
この区間を利用して埼京線や湘南新宿ラインの旅客列車が運行されている。
山手線は東海道本線の支線扱いである。
運転系統的には路線としての山手線に加え、
東京から品川までの東海道本線、
東京から田端までの東北本線にそれぞれ専用線を設け、
複線で環状運転が行われている。
東京駅を含めて環状運転されているため、
上り、下りの区別が不可能であることから、
環状線の内側を走る運転方向を内回り、外側は外回りと称する。
東京駅を起点に考えると上野方面を内回り、品川方面を外回りと呼ぶ。
山手線が最初に敷設したのは1881年に設立された日本鉄道で、
この日本鉄道は東京から青森までの鉄道線を接することを目的に設立された。
この計画路線が現在の東北本線である。
日本鉄道は更に自社路線と官設鉄道(現・東海道本線)を繋ぐべく、
官設鉄道品川から日本鉄道赤羽までの連絡線を、
1885年3月1日に敷設、路線名を品川線とした。
開業時の中間駅は渋谷、新宿、板橋のみであった。
同年3月16日には遅れて目黒、目白が開業した。
日本鉄道はもうひとつの自社路線である土浦線(のちの海岸線、現・常磐線)からも、
官設鉄道への乗り入れを模索していた。
起点の上野まで乗り入れず、直接品が保線にアクセスするため、
1896年4月1日に日本鉄道田端が開業、
同年12月25日には南千住から分岐して田端にアクセスする貨物専用線を敷設した。
また品川線池袋信号所から田端までの短絡線、路線名豊島線とも建設が開始された。
日本鉄道は1901年8月8日に品川線と建設中の豊島線を統合し、山手線とした。
豊島線として建設された短絡線は1903年4月1日に開業、
これに合わせて池袋信号所が駅に昇格した。
こうして現在の品川から田端までの区間が開業した。
日本鉄道は1906年11月1日に国有化された。
東京駅が開業したのは1914年12月20日で、
日本鉄道時代の東北本線起点駅上野から、
貨物専用線の秋葉原までは1890年11月1日に開業していたが、
1925年11月1日には神田から上野までが開通、
貨物駅だった秋葉原も旅客営業を開始、山手線が環状運転を開始した。



 湯前線 ゆのまえせん

湯前線は肥薩線人吉から湯前を結ぶ路線で、改正鉄道敷設法で人吉から杉安まで計画され、
1924年3月30日に人吉から湯前までの区間が敷設された。
その先杉安まで計画されていたが延伸されることなく、
1987年2月3日に第3次特定地方交通線として廃止承認、
国鉄分割民営化後にJR九州に転換されたのち、
1989年10月1日に第三セクターのくま川鉄道に転換された。
本来はさらに日豊本線砂土原から杉安まで敷設されていたと接続する予定だったが、
妻線も1981年9月18日に第1次特定地方交通線として廃止承認され、
第三セクターに継承されることもなく1984年12月1日に全線廃止、バス路線に転換された。



 養老線 ようろうせん

養老鉄道養老線は1911年7月19日に設立された、
養老鉄道によって敷設された路線である。
この養老鉄道は初代で現在の養老鉄道とは別会社である。
1913年7月31日に養老から大垣までと、
大垣から池野のの区間が開業した。
1919年4月27日には養老から桑名までの区間と、
池野から揖斐までの区間が延伸、全通した。
初代の養老鉄道は1922年6月13日に揖斐川電気に合併、
揖斐川電気は1926年9月22日に鉄道施設を伊勢電気鉄道に譲渡、
1928年4月6日には鉄道事業を新設された養老電気鉄道に譲渡した。
伊勢電気鉄道は1929年10月1日に養老電気鉄道を合併、
1936年5月20日に養老電鉄が設立され、
伊勢電気鉄道から養老線を譲渡されたが、
1940年8月1日には参宮急行鉄道が養老電鉄を合併した。
1941年3月15日に大阪電気軌道、通称“大軌”が参宮急行電鉄を合併、
社名を関西急行鉄道に変更した。
関西急行鉄道は戦時中の1944年6月1日に陸上交通事業調整法により、
南海鉄道と合併して近畿日本鉄道と社名を変更する。
南海鉄道は現在の南海電鉄南海線を敷設した会社である。
戦後、1947年6月1日にに旧南海鉄道の路線を南海電気鉄道に譲渡する。
南海電気鉄道は現在の南海高野線の一部などを経営していた、
高野山電気鉄道を同年3月15日に改称したもので、
実質的に旧南海鉄道の受け皿として社名変更した。


 予讃線 よさんせん

予讃線は伊予国と讃岐国を繋ぐ鉄道路線として讃岐鉄道により敷設が開始された。
1889年5月23日に丸亀から多度津を経て琴平までの区間が敷設、
1897年2月21日には丸亀から高松まで延伸された。
讃岐鉄道は1904年12月1日に山陽鉄道に買収されたが、
1906年12月1日には山陽鉄道も国有化された。
1909年10月12日の線路名称制定により敷設路線が讃岐線とされた。
国有化後も延伸され、1913年12月20日には多度津から観音寺まで延伸、
1916年4月1日には川之江まで延伸、1917年9月16日には伊予三島まで延伸、
1919年9月1日には伊予土居まで延伸、1923年5月1日には伊予西条まで延伸、
1923年5月1日には壬生川まで延伸し同時に讃岐線から讃予線に改称された。
同年10月1日には伊予三芳まで延伸、同年12月21日には伊予桜井まで延伸した。
その後も延伸は続き1924年2月11日には今治まで延伸、
同年12月1日には伊予大井(元・大西)まで延伸、
1925年6月21日には菊間まで延伸、1926年3月28日には伊予西条まで延伸、
1927年4月3日には松山まで延伸した。
1930年2月27日には南郡中(元・伊予市)まで延伸、
同年4月1日に開業区間を予讃線に改称した。
1932年12月1日には伊予上灘まで延伸、
1933年8月1日には予讃線は予讃本線に改称された。
1935年6月9日には下灘までの区間が延伸開業した。
下灘から八幡浜までは愛媛鉄道によって敷設が開始された。
1918年2月14日には長浜町(元・伊予長浜)から伊予大洲までの区間が部分開業した。
しかし愛媛鉄道は1933年10月1日に国有化され、愛媛線となった。
国有化後も延伸工事は続き、1935年10月6日に伊予長浜から下灘まで延伸、
愛媛線は改軌して下灘で予讃本線と直通、愛媛線は予讃線に編入された。
同年11月28日には多度津から阿波池田までの区間が分離され土讃線に編入された。
1936年9月19日には伊予大洲から伊予平野まで延伸、
1939年2月6日には八幡浜まで延伸された。
八幡浜から宇和島までの区間は宇和島鉄道によって敷設が開始された。
1914年10月18日には宇和島から近永までの現在の予土線の区間が開業、
1933年8月1日に宇和島鉄道は国有化され、宇和島線とされた。
1941年7月2日に北宇和島から卯之町まで敷設され、
戦時中の1945年6月20日に八幡浜まで延伸され予讃本線と接続、
宇和島線の北宇和島から八幡浜までの区間も予讃本線に編入された。
国鉄分割民営化後にJR四国の所属となり、
1988年6月1日のJR四国線路名称改正により予讃線となった。


 四日市あすなろう鉄道 よっかいちあすなろうてつどう

四日市あすなろう鉄道は近鉄グループホールディングス傘下の鉄道事業会社、
近畿日本鉄道の子会社の第三セクター鉄道で、
旧近鉄の内部線及び八王子線の運営を引き継いでいる。
2012年6月29日、近畿日本鉄道は、
ナローゲージの内部線、八王子線を廃止してBRTに転換する方針を発表、
これに対して沿線の四日市市は路線存続を要望し、
近鉄と協議の結果、路線を四日市市が所有、
運営は第三セクターが行う公設民営方式が採用され、
近鉄が株式の75%、四日市市が25%を所有する、
四日市あすなろう鉄道が2014年3月27日に設立された。
翌年、2015年4月1日に鉄道施設を第三種鉄道事業者として四日市市が所有し、
運営は第二種鉄道事業者として四日市あすなろう鉄道が担当した。



 ライトレール らいとれーる

多くは超低床の新型軽量車両を用いた都市内交通のことで、
「Light Rail Transit」の略で「LRT」などと云われる。
日本語に訳せば「軽量軌道交通」となるものである。
海外では多少意味合いが異なるが、日本では「路面電車」と混同されることもある。
現在、超低床車両のみによる運行を行っているのは東急世田谷線と富山ライトレールだけで、
多くの日本の軌道線は超低床車両を一部に導入しているところはあるものの、
旧来の車両と共同使用が多く、その効果を発揮できないでいる路線がほとんどである。
しかし既存の軌道線、路面電車の将来的なあり方として注目されている。
路面電車、ライトレールの詳細については拙作「ライトレールの時代」を参考にされたい。

「ライトレールの時代」
http://lightrail.nekonikoban.org/



 陸上交通事業調整法 りくじょうこうつうじぎょうちょうせいほう

日中戦争が開戦し戦時体制が色濃くなった1938年(昭和13年)8月に施行された、
鉄道、バス会社の整理統合の政策的促進を図るための法律である。
当時乱立気味であった日本の交通機関は他社との競合や昭和恐慌による経営悪化を招いた。
都市圏の交通機関は大手私鉄による吸収合併が進んでいたが、利益優先のあまり疑獄事件にも発展する種々の問題を孕んでいた。
そのため苦心する交通事業者は政府に交通統合を正当化する法律の立法を求め、要請を受けた政府は同法を制定した。
当時日本は日中戦争に突入し戦時体制になりつつあったため
国家総動員法による国家統制と見られがちだがそれとは趣旨の異なるものであった。
同法の制定後「交通事業調整委員会」が設置され、
審議の結果同法を適用する地域として東京市及びその周辺、大阪市及びその周辺、富山県、香川県、福岡県の5地域が指定された。

※陸上交通事業調整法の詳細はこちら


 リトルダンサー りとるだんさー

日本の企業が共同して開発した超低床型の路面電車のシリーズである。
参加企業はアルナ工機(現・アルナ車両)、東芝、住友金属工業(現・日本製鉄)、
東洋電機製造、ナブコ(現・ナブテスコ)で、共同開発された。
低床車でありながら両サイドの車輪は車軸で結ばれており、
安定した走行が可能なのが特長である。
また日本製のために日本の関連法規にも準拠した設計になっている。
運営会社などの用途や仕様に合わせ、9つの種類がある。

※バリエーション別の詳細はこちら




 レール れーる

普通鉄道において2本の鋼材を並行に並べたもので、
この内側に車両の車輪を設置させ、鉄道車両の移動を案内するもの。
「軌条」ともいい、一般的には20mや25mの長さのものを繋いで使う。
一部にはロングレールで揺れの軽減を場合もある。
レールの幅は軌間といい、世界標準は1,435mmで一般的にこれを標準軌といい、
これより狭い軌間を狭軌、広い軌間を広軌という。
日本の鉄道の場合、新幹線や一部の私鉄では標準軌が採用されているが、
国鉄から転換されたJR各社では一部を除いて狭軌の1,067mmが採用されている。

※軌間別鉄道会社一覧はこちら




 和歌山線 わかやません

和歌山線は87.5kmの営業距離の単線直流電化された地方交通線である。
王寺から高田までは大阪鉄道によって敷設、
高田から五条までは南和鉄道が敷設、五条から和歌山までは紀和鉄道が敷設した。
1900年6月6日には大阪鉄道が関西鉄道に路線を譲渡、
1904年8月27日には紀和鉄道、同年12月9日には南和鉄道が関西鉄道に路線を譲渡、
鉄道国有法により1907年10月1日に関西鉄道が国有化され、
1909年10月12日の路線名称制定により王寺から和歌山市までが和歌山線となる。
1972年3月15日には紀和から和歌山市が紀勢本線に編入された。





参考資料

 書籍

伊藤久巳「よくわかる鉄道知識」イカロス出版、2002年11月出版
谷藤克也監修「史上最強カラー図解 プロが教える電車のメカニズム」ナツメ社、2011年3月出版


 雑誌

「JR列車リバイバル傑作選・各駅停車編58頁~85頁『JRローカル車両のすべて』」鉄道ジャーナル社、2002年6月出版
「鉄道ファン2001年5月『変化する首都圏のJR通勤形電車』2001年5月発行、第41巻5号 通巻481号
「鉄道ファン2002年3月号『JR特急BOX』」交友社、2002年3月1日発行、第42巻第3号通巻491号
「鉄道ダイヤ情報2002年3月号『165系列直流電車最前線 国鉄新性能電車の名脇役はいま』」交通新聞社、2002年3月1日発行、第31巻第3号通巻234号
「鉄道ファン2003年3月号『国鉄型特急電車2003』」交友社、2003年3月1日発行、第43巻第3号通巻503号
「鉄道ファン2003年3月号『POST』」交友社、2003年3月1日発行、第43巻第3号通巻503号
「鉄道ファン2003年4月号『JR機関車2003』」交友社、2003年4月1日発行、第43巻第4号通巻504号
「鉄道ファン2004年2月号『ブルートレイン大辞典』」交友社、2004年2月1日発行、第44巻第2号通巻514号
「鉄道ファン2004年3月号『POST』」交友社、2004年3月1日発行、第44巻第3号通巻515号
「鉄道ファン2004年3月号『REPORT JR貨物・門司機関区のディーゼル機関車』」交友社、2004年4月1日発行、第44巻第4号通巻516号
「鉄道ファン2005年7月号『JR各社の車両配置表平成17年4月1日現在』」交友社、2005年7月1日発行、第45巻第7号通巻531号
「鉄道ファン2006年7月号『省形電気機関車出生の記録1』」交友社、2006年7月1日発行、第46巻第7号通巻543号
「鉄道ファン2006年8月号『省形電気機関車出生の記録2』」交友社、2006年8月1日発行、第46巻第8号通巻544号
「鉄道ファン2006年9月号『省形電気機関車出生の記録3』」交友社、2006年9月1日発行、第46巻第9号通巻545号
「鉄道ファン2006年10月号『省形電気機関車出生の記録4』」交友社、2006年10月1日発行、第46巻第10号通巻546号
「鉄道ファン2006年12月号『省形電気機関車出生の記録5』」交友社、2006年12月1日発行、第46巻第12号通巻548号
「鉄道ファン2007年1月号『省形電気機関車出生の記録6』」交友社、2007年1月1日発行、第47巻第1号通巻549号
「鉄道ファン2007年2月号『省形電気機関車出生の記録7』」交友社、2007年2月1日発行、第47巻第2号通巻550号
「鉄道ファン2007年3月号『省形電気機関車出生の記録8』」交友社、2007年3月1日発行、第47巻第3号通巻551号
「鉄道ファン2007年4月号『省形電気機関車出生の記録9』」交友社、2007年4月1日発行、第47巻第4号通巻552号
「鉄道ファン2007年5月号『省形電気機関車出生の記録10』」交友社、2007年5月1日発行、第47巻第5号通巻553号
「鉄道ファン2007年6月号『省形電気機関車出生の記録11』」交友社、2007年6月1日発行、第47巻第6号通巻554号
「鉄道ファン2007年7月号『省形電気機関車出生の記録12』」交友社、2007年7月1日発行、第47巻第7号通巻555号
「鉄道ファン2007年8月号『省形電気機関車転身の記録1』」交友社、2007年8月1日発行、第47巻第8号通巻556号
「鉄道ファン2007年10月号『省形電気機関車転身の記録3』」交友社、2007年10月1日発行、第47巻第10号通巻558号
「鉄道ファン2009年7月号『JR各社の車両配置表平成21年4月1日現在』」交友社、2009年7月1日発行、第49巻第7号通巻579号
「鉄道ファン2009年2月号『日本海縦貫線にEF81を追う』」交友社、2009年2月1日発行、第49巻第2号通巻574号
「鉄道ファン2009年7月号『最終章を迎えた国鉄D形交流電気機関車~その1~』」交友社、2009年7月1日発行、第49巻第7号通巻579号
「鉄道ファン2009年4月号『JR「F」ブランドの国鉄形機関車 続編』」交友社、2009年4月1日発行、第49巻第4号通巻576号
「鉄道ファン2009年4月号『北の大地を駈けるDD51』」交友社、2009年4月1日発行、第49巻第4号通巻576号
「鉄道ファン2009年8月号『田端のEF81~その運用について~』」交友社、2009年8月1日発行、第49巻第8号通巻580号
「鉄道ファン2009年8月号『最終章を迎えた国鉄D形交流電気機関車~その2~』」交友社、2009年8月1日発行、第49巻第8号通巻580号
「鉄道ファン2009年8月号『JR特急形電車最新カタログ』」交友社、2009年8月1日発行、第49巻第8号通巻580号
「鉄道ファン2009年8月号『最終章を迎えた国鉄D形交流電気機関車~その2~』」交友社、2009年8月1日発行、第49巻第8号通巻580号
「鉄道ファン2009年10月号『旅客会社のEF65PF形』」交友社、2009年10月1日発行、第49巻第10号通巻582号
「鉄道ファン2009年12月号『DD51 近況報告』」交友社、2009年12月1日発行、第49巻第12号通巻584号
「鉄道ファン2011年10月号『EF64・EF65Pダイヤ改正後の近況』」交友社、2011年10月1日発行、第51巻第10号通巻606号
「鉄道ファン2012年4月号『貨物牽引用DD51 最新の動向』」交友社、2012年4月1日発行、第52巻第4号通巻612号
「鉄道ファン2013年9月号『DD51形「西日本組」のわだい』」交友社、2013年9月1日発行、第53巻第9号通巻629号
「鉄道ファン2014年10月号『DD51[愛]の今』」交友社、2014年10月1日発行、第54巻第10号通巻642号
「鉄道ファン2014年12月号『EF81 81[田]お召塗装に復帰!』」交友社、2014年12月1日発行、第54巻第12号通巻644号
「鉄道ファン2014年12月号『富山機関区 注目の電機を狙って』」交友社、2014年12月1日発行、第54巻第12号通巻644号
「鉄道ファン2015年3月号『トワイライト&北斗星の四半世紀』」交友社、2015年3月1日発行、第55巻第3号通巻647号
「鉄道ファン2015年4月号『さらば!北海道の貨物用DD51』」交友社、2015年4月1日発行、第55巻第4号通巻648号
「鉄道ファン2015年7月号『JR会社間の譲渡車両』」交友社、2015年7月1日発行、第55巻第7号通巻651号


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