林檎乃麗鉄道辞典


  お断り

この辞典は一部の参考資料からの情報を除き、林檎乃麗が鉄道取材、ホームページ作成の過程で推測した情報があります。
そのため鉄道会社の規定にないことや事実と異なる部分が含まれているかも知れません。
もし明らかに誤りと思われる部分を発見された方はお手数ですが、
ブログ「林檎乃『とほほ・・・。』ブログ」コメント欄にてお知らせいただければ幸いです。
尚、ブログコメント欄への書き込みに関しては本編内容と無関係でもかまいません。
随時加筆修正していきたいと思います。
またこの辞典の全ての文責は林檎乃麗に帰属します。
内容について鉄道会社への問い合わせなどはおやめいただきますようにお願いいたします。


 お願い

この辞典はの利用に当たっては、以下のジャンプボタンを使用するか、
ブラウザの「検索」機能をご利用いただくようにお願い致します。
Internet Explorerの場合は、「Ctrl」キーと「F」を同時に押していただくか、
メニューバーの」「編集(E)」をクリックしていただき、「このページの検索(F)」をクリックしていただきますと、
検索用のボックスが出てきます。
そこに検索したい語句を記入していただき、「次へ(N)」をクリックしていただければ、
この辞典に収録されている語句の場合、そこにジャンプ致します。
お手数ですが、よろしくお願い致します。


 ジャンプボタン

各項目へのジャンプボタンを設置しました。
以下の五十音表よりジャンプして下さい。

   
 
   
 
参考資料
 



 アンパンマン特急 あんぱんまんとっきゅう

土讃線のアンパンマン列車が固定編成であるのに対して、
予讃線のアンパンマン列車は1両ごとに名前が付いている。
11両が予讃線2000系アンパンマン特急に在籍し、
非貫通型の展望先頭車両は2004「ばいきんまん号」と2005「ドキンちゃん号」の2両である。
貫通型の連結可能な先頭車両は2109「しょくぱんまん号」、
2110「クリームパンダ号」、2113「メロンパンナちゃん号」、
2107「カレーパンマン号」、2152「ロールパンナ号」がある。
中間車両には2217「パンこうじょうのなかま号」、2208「どんぶりまんトリオ号」、
2210「あかちゃんまん号」、2204「おむすびまんトリオ」がある。



 飯田線 いいだせん

飯田線は東海道本線豊橋と中央本線辰野間を結ぶ地方交通線である。
全区間がJR東海に所属し、基本的に119系が使用されている。
119系はローカル線向けの直流通勤形電車である105系をベースに、
ローカル線向けの近郊形電車として開発され、飯田線に投入された。
119系は飯田線のみに配属された専用電車で、
急勾配に対応した1M方式が採用されている。
豊橋-豊川間は複線だが、その先は単線となっている。
豊橋から小坂井駅手前の信号場まではJR東海が下り線、名鉄が上り線を所有しており、
両社が共用することで複線として使用している。
飯田線はには豊川鉄道、鳳来寺鉄道、三信鉄道、伊那電気鉄道の4つの鉄道会社が開業させた区間を、
国有化して一つの路線としたものである。
豊橋-大海間は豊川鉄道が開業させた。
1987年7月15日に豊橋-豊川間が開業され、
1900年9月23日に大海までの延伸した。
1925年には電化され、1926年4月1日より愛知電気鉄道が小坂井から豊川まで乗り入れを開始した。
大海から三河川合間は1923年2月1日に鳳来寺鉄道が開業させた。
この区間も1925年7月に電化された。
三河川合-天竜峡間は1927年に設立された三信鉄道によって開業された。
地層のもろさや天竜川渓谷沿いという建設地であるために工事は困難を極め、
朝鮮半島からの労働者の過酷な労働条件や賃金未払いなど、多くの問題をはらんだ中での工事だった。
この難工事に成功したことで、飛鳥組の熊谷三太郎は熊谷組を造る基盤を得た。
三信鉄道は最初から電化開業させていた。
1932年10月30日に天竜峡から門島までが開業、
1933年12月21日には三河川合から三輪村からが開業した。
その後延伸をくり返し、1937年8月20日には最後まで残った小和田-大嵐間が開業して全通した。
天竜峡-辰野間は伊那電気鉄道が開業させた。
設立当初は伊那電車軌道と名乗っていた。
1909年12月28日に辰野-松島間が軌道法によって開業した。
この辰野は西町に変更され、後に廃駅となった伊那電車軌道の辰野駅である。
この区間は一部に供用区間も存在した。
この先は地方鉄道法による鉄道線として延伸開業していき、
1927年12月26日に天竜峡までの延伸が完成し、辰野から天竜峡までが全通した。
1919年には社名を伊那電気鉄道に変更し、
1923年3月16日には辰野-伊那松島間を経路変更し、軌道法から鉄道法に変更した。
この4つの鉄道が国有化され、路線名が飯田線に変更されたのは1943年8月1日である。
1955年4月には佐久間ダム建設のため、佐久間-大嵐間がルート変更された。


 伊賀鉄道 いがてつどう

赤字であった近鉄伊賀線を引き受け、近鉄が98%、地元の伊賀市が2%が出資して設立、
鉄道施設を近鉄が所有、伊賀鉄道が運営する上下分離方式で2007年10月1日より運行を開始した。
2017年4月1日より鉄道施設が近鉄から伊賀市に無償譲渡され、
公有民営方式に移行、これに伴って伊賀市の出資率が25%に増加した。
それでも株式の75%を保有する近鉄グループホールディングスの連結子会社であることには変わりはない。


 池上線 いけがみせん

大井町線は目黒蒲田電鉄が敷設した路線で、1927年7月6日に大井町から大岡山までの区間が開業、
この区間は開業当時から大井町線の名称が与えられていた。
1929年11月1日に自由が丘から二子玉川までの区間が二子玉川線として開業、この時に同時に開業した。
同年12月25日には大岡山と自由が丘までの区間が開業し、
二子玉川線を大井町線に統合して大井町から二子玉川までの区間が開業、直通運転も開始された。
1939年10月1日に東京横浜電鉄が目黒蒲田電鉄に合併後、東京横浜電鉄に改称する。
戦時中の1942年5月1日に小田急電鉄、京浜電気鉄道(現・京浜急行電鉄)を合併、
社名も東京急行電鉄に改称されたが戦後に小田急と京急は独立した。
戦時中の1943年7月1日には軌道線だった二子玉川から溝の口までを1,067mmに改軌、大井町線に編入した。
1963年10月11日に大井町線を“田園都市線”に改称されたが、
1979年8月12日に田園都市線が新玉川線経由で渋谷に至り、
営団(現・東京メトロ)半蔵門線に直通運転を開始、
これに伴って大井町から二子玉川までの区間が再び切り離されて「大井町線」となる。
2009年7月11日に田園都市線の複々線の内側を走行して溝の口まで直通する。


 いざぶろう・しんぺい いざぶろう・しんぺい

「いざぶろう・しんぺい」は九州新幹線開業と同時にJR九州が投入した観光特化の列車で、
人吉から松吉に向かう列車は「いざぶろう」、
松吉から人吉に向かう列車は「しんぺい」と列車名が上下で変わる珍しい列車である。
「いざぶろう」は1909年の肥薩線開業時の逓信大臣山縣伊三郎のから、
「しんぺい」は肥薩線開業時の鉄道院総裁後藤新平からとられている。
肥薩線の矢岳第一トンネルは想像以上の難工事で、
この工事に携わった人を労う石額が、
矢岳方入口に山縣伊三郎の「天険若夷」が掲げられ、
吉松方入口に後藤新平の「引重致遠」が残ることから、
それぞれ「いざぶろう」と「しんぺい」の名が付けられたそうである。
現在の鹿児島本線は海岸沿いを走るが、
人吉盆地を越えるこのルートが始めに作られ、当時は鹿児島本線を名乗っていた。


 茨城交通 いばらぎこうつう

1921年に設立し、袴塚-湊間の水浜線を敷設した水浜電車と、
1923年に設立し、赤塚-御前山間の茨城線を敷設した茨城交通と、
1907年に設立し、勝田-阿字ヶ浦線の湊線を敷設した湊鉄道が、
戦時中の1944年8月1日、茨城県内の交通統合に伴い、合併して茨城交通となった。
水浜線は1966年6月1日に全廃、茨城線は1971年3月11日に全廃され、
現在は湊線も廃止の方向で検討が進められ、
2008年4月1日に第三セクターのひたちなか海浜鉄道へ譲渡され、
現在はバス路線のみを運行する会社となった。


 井原鉄道 いばらてつどう

井原鉄道は井原線を運営する第三セクター鉄道で、1986年12月1日に設立された。
現在の井原線の区間はかつて井笠鉄道という軽便鉄道が運行されていたことはあったが、
国有鉄道は運行されておらず、吉備線の延長線として井原線が計画されていた。
井原線の建設に併せて井笠鉄道は廃止となり、路線跡が買収されて井原線に転用されることになった。
日本鉄道建設公団によって井原線の建設が始まったが、
1980年施行の国鉄再建法によって井原線の建設は中止、凍結となってしまった。
これを受けて岡山県、広島県、総社市、倉敷市などが出資し井原鉄道が設立され、
建設途中の井原線の転換を受けて建設を引き継ぎ、1999年1月11日に開業した。
井原線の正式区間は総社から神辺までの41.7kmだが、
運行はJR伯備線総社からJR福塩線神辺までの区間となっており、
総社-清音間は伯備線に乗り入れる第2鉄道事業者となる


 指宿枕崎線 いぶすきまくらざきせん

指宿枕崎線は鹿児島中央から枕崎までを結ぶ非電化の地方交通線で、
1930年12月7日に指宿線として西鹿児島(現・鹿児島中央)から五位野までが開業、
1934年5月20日に喜入まで延伸、同年12月19日には指宿まで延伸した。
指宿から枕崎までは鹿児島南海鉄道という会社が既に免許を取得していたが資金難で解散していた。
1936年3月25日には山川まで延伸している。
戦時中は工事が凍結されていたが、戦後の1960年3月22日には西頴娃まで延伸、
1963年10月31日には枕崎まで延伸が完了、この時路線名を指宿枕崎線に変更した。


 因美線 いんびせん

因美線は最初軽便線として1919年12月20日に鳥取から用瀬まで敷設、
1922年に軽便制度廃止により因美軽便線は因美線に改称、
1923年には6月5日に用瀬から智頭まで延伸した。
一方、津山からの工事も1928年3月15に美作加茂までが部分開業、因美南線となった。
そのため既存の鳥取から智頭までが因美北線に改称された。
1931年9月12日には因美南線が美作河井まで延伸、
1932年7月1日に智頭から美作河井までが開業し、因美北線を因美南線に編入して因美線に改称、全通した。
その後、1936年10月10日に津山から東津山までの区間が姫新線に編入された。




 A-train えいとれいん

日立製作所がダブルスキン構造のアルミニウム合金車体を用いた新しい車両製造システム。
生産方法を抜本的に見直し、部品モジュールを効率化してシンプルな構造としたため、
部品点数が従来は数万点あったが、この方法では数百点にまで削減されている。
アルミ押し出し型材を用いたダブルスキン構体を採用してシンプルな構造でありながら車体強度や軽量化を両立、
FSW溶接工法という摩擦攪拌溶接を採用してアルミ材にツールを押しつけて回転させて接合、
これによって内装を完成後に構体に差し込んで取り付ける自立型内装構造を採用した。


 えちごトキめき鉄道 えちごときめきてつどう

2015年3月14日の北陸新幹線金沢延伸に伴い、
並行する信越本線および北陸本線の新潟県内区間を転換した。
信越本線妙高高原から直江津までを転換した妙高はねうまラインは直流電化路線、
北陸本線市振から直江津までを転換した日本海ひすいラインは全線電化区間だが、
市振から糸魚川までは交流60Hz、糸魚川から直江津までは直流で電化している。
そのため日本海ひすいラインでは気動車を使用している。



 大井町線 おおいまちせん

大井町線は目黒蒲田電鉄が敷設した路線で、1927年7月6日に大井町から大岡山までの区間が開業、
この区間は開業当時から大井町線の名称が与えられていた。
1929年11月1日に自由が丘から二子玉川までの区間が二子玉川線として開業、この時に同時に開業した。
同年12月25日には大岡山と自由が丘までの区間が開業し、
二子玉川線を大井町線に統合して大井町から二子玉川までの区間が開業、直通運転も開始された。
1939年10月1日に東京横浜電鉄が目黒蒲田電鉄に合併後、東京横浜電鉄に改称する。
戦時中の1942年5月1日に小田急電鉄、京浜電気鉄道(現・京浜急行電鉄)を合併、
社名も東京急行電鉄に改称されたが戦後に小田急と京急は独立した。
戦時中の1943年7月1日には軌道線だった二子玉川から溝の口までを1,067mmに改軌、大井町線に編入した。
1963年10月11日に大井町線を“田園都市線”に改称されたが、
1979年8月12日に田園都市線が新玉川線経由で渋谷に至り、
営団(現・東京メトロ)半蔵門線に直通運転を開始、
これに伴って大井町から二子玉川までの区間が再び切り離されて「大井町線」となる。
2009年7月11日に田園都市線の複々線の内側を走行して溝の口まで直通する。


 大手私鉄 おおてしてつ

大手私鉄とは民間鉄道事業者のうち、特に経営規模が大きい15社と東京メトロを合わせた16社が、
国土交通省鉄道局などの統計資料などで大手私鉄と分類されている。
東京都市圏、名古屋都市圏、大阪都市圏、福岡都市圏及びその周辺に大きく路線網を展開している。
完全民営化したJR東日本、JR東海、JR西日本は大手私鉄には含まれない。

※大手私鉄の企業別詳細はこちら



 界磁添加励磁制御 かいじてんかれいじせいぎょ

電車の制御システムの一つ。
直巻整流子電動機を使用しながら、
界磁制御用電源を別に設けて界磁電流制御による回生ブレーキを行う鉄道車両の速度制御方式。


 岳南電車 がくなんでんしゃ

岳南電車は岳南鉄道が2013年に鉄道部門を子会社化して設立した完全子会社である。
東海道本線鈴川(現・吉原)駅は東海道吉原宿からは離れた場所にあり、
鈴川と吉原の中心部とを結ぶ鉄道として戦前に敷設された日産重工業専用鉄道を一部流用して、
1949年11月18日に鈴川(現・吉原)から吉原本町までの区間が開業した。
翌年1950年4月18日に吉原(現・本吉原)まで延伸、
1951年12月20日に岳南富士岡まで延伸、
1953年1月20日に岳南江尾まで延伸し、全区間が開業した。
旅客営業のほかに貨物営業も行っていたが、2012年には貨物列車の運行を廃止、
鉄道部門の収益悪化に伴って2013年4月1日に子会社化した。
岳南鉄道はもともと駿豆鉄道(現・伊豆箱根鉄道)が主に出資して設立されたが、
1956年9月に富士山麓電気鉄道(現・富士急行)の系列に移った。


 鹿島鉄道 かしまてつどう

もともと鹿島神宮へのアクセスとして計画された鉄道で、
1924年6月8日に石岡から常陸小川まで部分開業した時の社名は、鹿島参宮鉄道だった。
鹿島参宮鉄道は1929年5月16日には現在の終点である鉾田まで延伸している。
鹿島参宮鉄道は1965年6月1日に常総筑波鉄道と合併し、社名を関東鉄道とした。
常総筑波鉄道は1913年11月1日に取手から下館間を開通させた常総鉄道と、
1914年4月11日に設立され、
1918年4月17日に土浦から筑波までを開通させた筑波鉄道が、
1945年3月30日に合併して誕生した。
この鉄道は1927年に鬼怒川砂利という会社と合併しているが、
鬼怒川線は1964年までに全廃している。
鹿島参宮鉄道も1898年4月に設立された竜崎馬車鉄道を、
1944年5月13日に吸収合併している。
竜崎馬車鉄道は竜崎鉄道と社名を変え、
1900年8月14日に竜崎(現・竜ヶ崎)から佐貫までが開業した。
1965年に関東鉄道となった時点で所有していた路線は、
常総鉄道が敷設した取手-下館間の常総線、
筑波鉄道が敷設した土浦-岩瀬間の筑波線、
鹿島参宮鉄道が敷設した石岡-鉾田間の鉾田線、
竜崎鉄道の敷設した佐貫-竜ヶ崎間の竜ヶ崎線があり、
これに合併前に廃止となった大田郷-三所間の鬼怒川線の合計5路線があった。
しかし収益の良くない筑波線と鉾田線は関東鉄道から分離され、
筑波線は1979年に新たに設立された筑波鉄道に、
鉾田線は鹿島鉄道に分社され、関東鉄道の100%子会社として再建を目指した。
しかし筑波線は1987年に廃止されている。
その後も頑張ってきた鹿島鉄道だが、2007年3月に廃止された。


 貨車 かしゃ

貨車とは貨物用車両を指す言葉で、それぞれの用途によって多くの形態があり、
また国鉄、JR貨物のみでなく、私鉄でも貨車を所有して貨物列車を運行したり、また企業所有の貨車も存在する。
また車掌車や事業用車両なども貨車に含める場合がある。
基本的には屋根のある有蓋車、屋根のない無蓋車、タンク車やホッパ車などのそれ以外の貨車に分類される。

車両記号は用途を表すカタカナ文字に加え、積載出来る重量もカタカナの文字で“ム”、“ラ”、“サ”、“キ”で表す。
13t以下は記号無し、14t~16tは“ム”、17t~19tは“ラ”、20t~24tは“サ”、25t以上は“キ”を用いる。

※貨車の詳細はこちら


 神岡鉄道 かみおかてつどう

神岡鉄道は旧国鉄特定地方交通線の神岡線を所有する第三セクターであり、
神岡線はJR高岡本線猪谷から奥飛騨温泉口までを結ぶ19.9kmの路線だった。。
旅客営業路線のほか、神岡鉱山前にある神岡鉱山で産出される硫酸の輸送を受け持つ貨物鉄道の側面もある。
1984年1月20日に設立され、同年10月から営業を開始した。
しかし神岡鉱山の硫酸輸送がトラックに切り替えられたことから経営が行き詰まり、
2006年12月1日に廃止された。


 唐津線 からつせん

唐津線は唐津炭田などで産出される石炭を唐津港に輸送するため設立された唐津興業鉄道が敷設した路線で、
1898年12月1日に山本(現・廃止)から妙見(現・西唐津)から大島までが部分開業した。
翌年1899年6月13日に厳木まで延伸、同年12月25日に莇原まで延伸した。
唐津興業鉄道は1900年4月に社名を唐津鉄道に変更、
唐津鉄道は1902年2月23日に九州鉄道に合併、
その後も延伸工事は続き、1903年12月14日に久保田まで延伸し全通した。
九州鉄道は1907年7月1日に国有化され、
1909年10月12日に久保田からから西唐津までが唐津線となる。



 機関車 きかんしゃ

機関車とは動力を持たない客車や貨物車両を牽引することを目的として造られた車両で、
動力専用車両となって自らは旅客や貨物の運搬には従事しない。
機関車は主に蒸気、ディーゼル、電気の3種類に分類される。

 蒸気機関車(Steam Locomotive/SL)・・・石炭を燃焼し、ボイラーの熱で発生した水蒸気の力によって動輪を回転させるものである。
 ディーゼル機関車(Diesel Locomotive/DL)・・・ディーゼルエンジンを動力源とする機関車で、液体式と電気式がある。
 電気機関車(Electric Locomotive/EL)・・・電力によってモーターを回す方式で、供給電力によって交流、直流、交直流に分けられる。

車両記号はアルファベット2文字と2桁、もしくは3桁で顕される。
アルファベットの1文字目は動力の種別を顕し、“D”はディーゼル機関車、“E”は電気機関車を顕す。
初めてできた機関車である蒸気機関車は他と区別する必要がなかったためにアルファベット1文字目は省略する。
アルファベット2文字目は動軸数を顕す。
動軸とは動力が伝わる車輪に繋がる車軸のことで、アルファベットの順番で数がわかるようになっている。
つまり“D51型”の“D”はアルファベットで4番目なので動輪に繋がる動軸は4本ということになる。


 姫新線 きしんせん

姫新線は作備東線の名称で1923年8月21日に津山口から美作追分までが敷設されたのに始まる。
津山口から津山までは現在津山線に編入されている。
1924年5月1日に久世まで延伸、1925年3月15日に中国勝山まで延伸、
一方、作備西線として1929年4月14日に新見から岩山間の区間が部分開業、
1930年4月1日に中国勝山から岩山までの区間が開業し、
作備西線と新規開業区間を編入して作備線に改称された。
津山から東津山までの区間は因美南線として1928年3月15日に開業、
1932年7月1日に因美線全通とともに因美線に改称され、
1936年10月10日に津山から東津山までの区間が因美線から姫新線に編入された。
姫路方面からは姫津線として1930年9月1日に姫路から余部のでが部分開業、
1931年12月23日には東觜崎まで延伸、1932年7月11日に播磨新宮まで延伸、
1934年3月24日には三日月まで延伸した。
同年11月28日には東津山から美作江見までが開業して姫津西線が開業、
姫津線として開業していた姫路から三日月までが姫津東線に改称された。
1935年7月30に日には佐用まで延伸、
1936年4月8日に美作江見まで延伸され、姫津西線を姫津東線に編入して姫津線に改称された。
同年10月10日に作備線、因美線東津山から津山までを姫津線に編入の上、姫新線に改称した。
路線の営業距離は158.1km、全区間が非電化単線である。


 気動車 きどうしゃ

気動車は自力走行できる旅客用車両のうち、電動機を登載しないものをいう。
つまり電車型でありながらパンタグラフから電気を取り入れて走る車両以外のもので、
かつてはガソリンカーなどもあったが今はディーゼルエンジンを搭載しているものをいう。
非電化区間用として国鉄時代に多くの車両が造られ、時代に取り残される形でJR化後も活躍したが、
地方線区のサービス向上の一環としてローカル線の気動車に新造車を投入する動きが加速し、
国鉄時代の経年車両も次第に姿を消しつつある。
気動車車両の詳細については拙作「気動車」を参考にされたい。

「気動車」
http://dieselcar.bokunenjin.com/


 客車 きゃくしゃ

旅客営業に従事する車両のことで、特に動力を持たず機関車に牽引されて使用される車両を指すことが多い。
座席車の昼行車両と寝台設備のある夜行車両に大別され、夜行車両を特に寝台車という。
現在は客車による定期運用はその使命を終え、イベントなどに一部が使用されるものの大半が廃車となっている。
寝台車においても廃止が進んでいて近年新造されたのはE26系だけである。

車両記号は電車とは違い、カタカナ2文字で1文字目は自重、2文字目以降は用途などを顕す。

客車は機関車の牽引能力を測るためにはじめに自重を表記する。
自重とは車両本体の重量に定員分の乗客、規定積載量の荷物などの重量を加えたものである。

  ・・・22.5t未満
  ・・・22.5t以上27.5t未満
  ・・・27.5t以上32.5t未満
  ・・・32.5t以上37.5t未満
  ・・・37.5t以上42.5t未満
  ・・・42.5t以上47.5t未満
  ・・・47.5t以上

2文字目以降は車両の種類などを顕していて、等級に関しては電車に準拠する。

座席車

  ・・・グリーン車
  ・・・普通車

寝台車

  ロネ・・・A寝台車
  ハネ・・・B寝台車
  ・・・展望車
  ・・・食堂車

  ・・・郵便車
  ・・・荷物車
  ・・・配給車
  ・・・緩急車(車掌室あり)

※客車についての詳細はこちら


 急行形 きゅうこうがた

国鉄の定めた車両形式で、優等列車への充当が目的の車両形式の一つである。
客室が出入口と仕切られ、横型腰掛を備え、長距離の運用に適した性能を有する車両形式のものと定義される。
平たく云えば、デッキ付きの片側2扉のボックスシート車と云える。

直流急行形電車
 153系、155系、157系、159系、163系、165系、167系、169系
交直流急行形電車
 451系、453系、455系、457系、471系、473系、475系
急行形気動車
 キハ58系、キハ56系、キハ57系、キハ58系、キハ65形、キハ91系

※後期直流急行形電車の詳細は「165系列図鑑」のこちら


 九州旅客鉄道 きゅうしゅうりょきゃくてつどう

九州旅客鉄道株式会社は1987年4月1日に国鉄分割民営化によって誕生した、
九州全域と関門トンネル、JR西日本との境界域の山口県内に路線を所有する旅客鉄道会社である。
略称は「JR九州」、コーポレートカラーは赤色である。
本社所在地は福岡県福岡市博多区博多駅前3丁目25番21号で、
支社は新幹線鉄道事業部と北部九州地域本社、長崎支社、大分支社、熊本支社、鹿児島支社があり、
地域外では東京支店、沖縄支店がある。
形態は株式会社だが、株主は独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構が100%保有しており、
完全民営化はされていない。
総営業キロ数は2121.7kmで、新幹線137.6kmと在来線1984.1km、20線区を所有する。
2009年3月21日からICカード乗車券「SUGOCA(スゴカ)」のサービスを開始した。
「SUGOCA」は「Smart Urban GOing CArd」の略である。
車両デザインにはドーンデザイン研究所の水戸岡鋭治氏を起用し、
JRグループの中でも独特のデザインを有している。

※JR九州の「現有路線」及び「車両基地」はこちら


 久大本線 きゅうだいほんせん

久大本線は久留米から大分に至る地方交通線で、「ゆふ高原線」の愛称がある。
全線が非電化単線で、路線距離は141.5kmである。
久大本線は大湯鉄道によって部分開業した路線を、
国有化後に延伸して開業した九州を横断する地方交通線である。
大湯鉄道によって1915年10月30日に大分市から小野屋までが部分開業した。
1922年12月1日に大分鉄道は国有化され、大湯線となった。
国有化を機に大分市は大分に統合されて廃止された。
1923年9月29日に湯平まで延伸、同年7月29日に北油布まで延伸、
1926年11月26日には野矢まで延伸、1928年10月28日に豊後中村まで延伸、
1929年12月15日に豊後森まで延伸、1932年9月16日に北山田まで延伸、
1933年9月29日に天ケ瀬まで延伸された。
一方、久留米側からは久大線として1828年12月24日に久留米から筑後吉井までが部分開業、
1931年7月11日に筑後大石まで延伸、1932年3月12日に夜明けまで延伸、
1934年3月3日に日田まで延伸、同年11月15日に天ケ瀬まで延伸、全通した。
この時同時に大湯線を久大線に編入、1937年6月27日に久大本線に路線名を変更した。


 京都高速鉄道 きょうとこうそくてつどう

京都高速鉄道は京都市営地下鉄三条京阪-御陵間を建設した、
京都市や京阪電鉄などが出資していた第三セクター方式の鉄道会社。
三条京阪-御陵間は京都高速鉄道が第3種鉄道事業者として施設を所有し、
京都市営地下鉄が第2種鉄道事業者として乗り入れを行っていたが、
1988年4月8日に設立され、2008年度末に解散した。
解散後は京都地下鉄東西線全区間が京都市直営となった。


 近郊形電車 きんこうがたでんしゃ

通勤、近郊形電車は系列を顕す3桁の数字の十の位は0~3を使用するが近郊形は主に1を使用する。
近郊形の正確な定義は分からないが、中距離需要に対応するようにクロスシート車が基本となっている。
但し、現在では近郊形車両でも通勤需要に対応しなければならないケースも多く、ほとんどロングシートの近郊形も登場している。

直流近郊形電車

111系列が直流区間の近郊形として最初に登場し、標準型となった。
100kW電動機の111系がベースとなり、出力を120kWに増強した113系、勾配用ブレーキをつけた115系がある。
111系電動車は現存していないが、制御車にはクハ111のまま使用されている。
JR四国の113系はJR東日本からの譲渡車で、クハ113形、クハ112形の新形式が付番された。
前面デザインもリニューアルされ、第1編成は青系、第2編成は赤系、第3編成は黄系のカラーリングとなっている。
211系列は111系列の後続として1985年に登場した。
直流型において百の位の3はJR東海が好んで使用する。
瀬戸大橋線で使われている213系にはクロ212形のグリーン車が連結されている。

直流急行型電車

165系列は急行型として誕生し、急行としての運用を終えてから近郊形として流用された。
アコモ改造車や塗色変更車などが登場したが、現在では運用が終了している車両が多い。

交直流近郊形電車

交直流型は1961年に登場した401系列が基本型となっていて、十の位が0だが通勤形ということではなく、
通勤・近郊形として使用されているものと思われる。
直流+交流50kHzで主電動機100kWが401系、その主電動機120kWの出力増強版が403系、
直流+交流60kHzで主電動機100kWが421系、その主電動機120kWの出力増強版が423系である。
交流50kHzと60kHzの周波数汎用型として登場したのが415系である。
415系には鋼製車両とステンレス車両があり、また1両だけ2階建て車両も存在する。

交直流急行型電車

401系列の急行型として1962年に登場したのが451系列で、153系電車を基本としている。
直流+交流50kHzで主電動機100kWが451系、その主電動機120kWの出力増強版が453系、
直流+交流60kHzで主電動機100kWが471系、その主電動機120kWの出力増強版が473系である。
453系が登場したのは1963年、473系が登場したのは1965年で、直ぐに475系が増備されたために1ユニットのみの登場であった。

1965年に165系直流急行型電車を元に登場したのが455系列である。
直流+交流50kHzが455系、
直流+交流60kHzで475系である。
交流50kHzと60kHzの周波数汎用型として登場したのが457系である。

交流近郊形電車

交流区間は北海道と九州が中心で、交流専用の近郊形電車が誕生した地は北海道である。
JR九州のオリジナル車両は百の位が8になっている。




 京王井の頭線 けいおういのがしらせん

京王電鉄井の頭線は渋谷から吉祥寺を結ぶ12.7kmの路線である。
京王電鉄は本線系統が馬車軌間である1,372mmを採用しているのに対し、
井の頭線はJRなどと同じ1,067mmを採用している。
そのため明大前駅で京王線と接続しているのにも拘わらず、相互乗り入れはない。
井の頭線はもともと帝都電鉄によって狭軌として開業した。
1933年8月1日に渋谷から井の頭公園までが部分開業、翌年4月1日に全通した。
1940年5月1日に小田原急行電鉄(現・小田急電鉄)と合併し、帝都線となる。
1942年5月1日には東京横浜電鉄と合併し、東京急行電鉄の路線となった。
この時に路線名が帝都線から井の頭線と変更された。
戦後、東京急行電鉄(俗に云う大東急)が解体される時に、
小田急側が箱根登山鉄道を系列下にしたいと主張したため、
その代わり井の頭線を路線の少ない京王側に譲渡することとなり、
京王は井の頭線の旧路線名を取って暫く京王帝都電鉄と名乗っていた。
京王電鉄に社名変更されたのは1998年7月1日のことである。

現在、1000系と3000系の2種類の車両が使用されているが、
1000系は20m級片側4扉であるのに対し、3000系は18.5m級片側3扉であり、
1000系増備と3000系の廃車が続いている。
1000系も3000系もステンレス車両であるが、上半分が編成毎にカラーリングされてる。
1000系は5両編成で1次車、2次車は2M3Tだが、3次車以降は3M2Tに変更され、
5次車から前面の行き先表示板などが変更されている。
塗色はブルーグリーン、アイボリー、サーモンピンク、ライトグリーン、
バイオレット、ベージュ、オレンジベージュ、ライトブルーの7色があり、
レインボーカラーなどと呼ばれている。
ベージュに関しては5次車からオレンジベージュに変更されている。

※「京王井の頭線1000系 図鑑」はこちら


京成千原線 けいせいちはらせん


京成千原線は経営が破綻した千葉急行線の路線を京成が引き継ぎ、
1988年から営業を開始した路線であり、
京成線となった現在でも他の京成線とは別運賃で計算される。
千葉急行線は京成電鉄と小湊鉄道が出資して1973年に設立、
その後沿線の千葉・市原ニュータウン計画が持ち上がり、
関係する千葉県、千葉市、市原市、住宅・都市整備公団なども出資に参加した。
千葉急行線は京成千葉中央から千葉・市原ニュータウンを経由し、
最終的には小湊鉄道海士有木を目指して造られた。
あまり知られていないが小湊鉄道は京成電鉄の系列会社であり、
京成電鉄は京成千葉線を延伸して系列の小湊鉄道に接続することを目指していた。
そもそも小湊鉄道はその名の通り、
内房線五井から外房線安房小湊を結ぶ路線として地元有志によって造られた。
しかし当初から資金不足に悩み、
五井から上総中野まで延伸した段階で計画は事実上凍結された。
外房線まで延伸は出来なかったが、“小湊”は会社名だけに残されることになった。
1942年(昭和17年)には戦時下の交通統合政策により京成電鉄の系列下になった。
戦時中は燃料不足、路線の破壊などで鉄道会社の経営が厳しくなるが、
国内輸送路の確保が軍事上にも重要事項であったため、
中小鉄道会社が政治的指導によって国鉄や大手私鉄の系列下になった。
小湊鉄道もそういった事情によって千葉県の大手私鉄京成電鉄の系列下になった。
これは推測に過ぎないが、
京成にとっては“お荷物”を無理矢理押しつけられたと思っていたに違いない。
戦後の復興政策により、国鉄千葉駅の移転が計画された。
しかしそれに際して京成千葉線との交差が問題となり、
京成千葉駅はそれまでの千葉の中心街から現在位置に移転された。
しかしそれでは千葉の中心街から移転する京成にとっては不利であり、
その代償として国鉄本千葉駅を500m南に移転して跡地を京成に譲り、
更に系列会社の小湊鉄道が海士有木(あまありき)から千葉への延伸が推進された。
京成千葉線と小湊鉄道が直通すれば、系列会社の小湊鉄道にも好機になるし、
それまで国鉄内房線に流れていた小湊鉄道の客も京成に取り込める。
1958年2月にこの計画は一斉に行われた。
しかし小湊鉄道は創立当時から資金難に見舞われて、
この路線を建設することがなかなか出来なかった。
そのため京成電鉄と小湊鉄道が共同出資して1973年2月千葉急行を設立、
同年7月に小湊鉄道が所有していた免許が千葉急行に譲渡された。
その後千葉・市原ニュータウンの計画が具体化し、
千葉・市原ニュータウン内を貫通するルートに変更された。
しかしこのニュータウンの造成が遅れたことや建設費が高騰などが影響し、
千葉急行線が千葉中央-大森台間が部分開業したのは1992年4月になってしまった。
その後も延伸工事がなされ、1995年4月にはちはら台まで延伸した。
しかし千葉・市原ニュータウンの入居率が思ったほど延びなかったことや、
一部の乗客が首都圏へのアクセスがよい外房線鎌取駅に流れたことなどがあり、
千葉急行電鉄の経営は予想以上に悪化してしまい、
1998年10月1日にとうとう経営が破綻して会社は解散、
経営は京成電鉄に引き継がれた。
引き継ぎの条件として千葉急行線の運賃もそのまま継続し、
京成線とは別料金で計算されることとなった。
現在では設立の経緯が違うために京成津田沼-千葉中央間が京成千葉線、
千葉中央-ちはら台間が京成千原線となっているが、
実質的には直通運転されている。




 篠栗線 ささぐりせん

篠栗線は1904年6月19日に九州鉄道が石炭輸送のために吉塚から篠栗までを敷設、
篠栗もこの時に終着駅として同時に開業した。
翌年1905年2月16日には博多まで鹿児島本線と変更する単線を敷設した。
九州鉄道は1907年7月1日に国有化、1909年10月12日の線路名称制定で篠栗線となる。
敷設当時は鹿児島本線も篠栗線も単線として使用されていたが、
篠栗線を鹿児島本線に編入して複線化に利用するため、分岐点が再び吉塚となる。
筑豊地区から博多方面の短絡線として1968年5月25日に篠栗から桂川まで延伸、
筑豊本線と接続することになった。
2001年10月6日には篠栗線の電化が完了、
これと同時に電化路線として福北ゆたか線の愛称設定が決まった。


 佐世保線 させぼせん

佐世保線は長崎本線肥前山口から分岐して佐世保までを結ぶ48.8kmの幹線である。
交流電化されている単線で、博多から特急も直通する。
早岐から大村線も分岐していて、ハウステンボス行きの特急も通過する。
九州新幹線長崎ルートが開業すると肥前山口から武雄温泉までの区間が組み込まれる予定になっている。
九州鉄道が鳥栖と長崎を結ぶ幹線鉄道(現・長崎本線)の一部として建設されたもので、
1895年5月5日に佐賀から武雄(現・武雄温泉)までが開業、
1897年7月10日に早岐まで延伸、1898年1月20日に支線として佐世保まで延伸した。
長崎本線となる幹線も1897年7月22日に長崎(現・浦上)まで延伸している。
九州鉄道は1907年7月1日に国有化され、
1909年10月12日に佐賀から早岐までが長崎本線、早岐から佐世保が佐世保線となった。
有明線として開業していた肥前山口から諫早までの区間が1934年12月1日に長崎本線に編入、
これと同時に長崎本線として開業していた肥前山口から早岐までと、
既に佐世保線として開業していた支線の早岐から佐世保までを佐世保線とした。
1935年11月9日に北佐世保まで延伸したが、
1936年10月1日に佐世保鉄道が国有化されて松浦線が設立、
この時に佐世保線にも接続したが、1943年8月30日に佐世保から北佐世保までが松浦線に編入された。


 山陽電気鉄道 さんようでんきてつどう

山陽電気鉄道は兵庫から明石までに軌道線を敷設した兵庫電気軌道と、
明石駅前(現・山陽明石)から姫路駅前(現・山陽姫路)までを敷設した神戸姫路電気鉄道に由来する。
1907年に設立された兵庫電気軌道は1917年4月12日に兵庫から明石の区間が完成した。
1919年に設立された明姫電気鉄道、のちに社名変更して神戸姫路電気鉄道は、
1923年に明石から姫路までの区間を完成させた。
現在の関西電鉄の前身となった宇治川電気が1927年1月1日に兵庫電気軌道を合併、
3ヶ月後の同年4月1日には神戸姫路電気鉄道を合併し、
翌年の1928年8月26日には兵庫から姫路への直通運転も開始された。
宇治川電気は1933年6月6日に電鉄部を独立させ、山陽電気鉄道が設立された。


 山陰本線 さんいんほんせん

山陰本線は中国地方の日本海側、山陰地方を結ぶ、
京都から幡生までの676.0kmの幹線で全区間がJR西日本の所有である。
京都から園部までは京都鉄道に敷設され、国有化後に綾部まで延伸された。
綾部から福知山までは現在の福知山線の一部として阪鶴鉄道によって敷設、
阪鶴鉄道が国有化後に阪鶴線となった。
福知山から香住までは播但線の一部として敷設された。
一方、宇田郷から阿川までは美祢線の一部として開業、
阿川から幡生までは小串線として開業、
間の香住から宇田郷までは山陰本線として順次開業され、
1933年2月24日に須佐から宇田郷までが延伸開業して全通、
全区間を山陰本線に編入した。


 山陽本線 さんようほんせん

山陽本線は私鉄の山陽鉄道が敷設した神戸から下関までの区間を国有化してもので、
1888年11月1日に兵庫から明石までの区間が開業、12月23日には明石から姫路まで延伸、
1989年9月1日には兵庫から神戸まで延伸、官設鉄道(現・東海道本線)と接続する。
同年11月11日には姫路から竜野仮停車場まで延伸、
1890年7月10日には竜野仮停車場から有年まで延伸、12月日に三石仮停車場まで延伸、
1891年3月18日に岡山まで延伸、4月25日は倉敷まで延伸、
同年7月14日には笠岡まで延伸、9月11日には福山まで延伸、11月31日には尾道まで延伸、
1892年7月20日には三原(現・糸崎)まで延伸、1894年6月10日には広島まで延伸、
1987年9月25日には徳山まで延伸、1898年3月17日には三田尻(現・防府)まで延伸、
1900年12月3日には厚狭まで延伸、1901年5月27日には馬関(現・下関)まで延伸、全通された。
山陽鉄道は1906年12月1日に国有化され、1909年10月12日の線路名称制定で山陽本線となった。



 事業用車両 じぎょうようしゃりょう

事業用車両は営業用車両以外に保線や運搬などの事業継続のために投入される車両のことである。
検測車などには新造車もあるが、多くは改造車が使用されている。


 四国旅客鉄道 しこくりょきゃくてつどう

四国旅客鉄道株式会社1987年4月1日に国鉄分割民営化によって誕生した、
四国及び本四備讃線のJR西日本との境界域の岡山県に路線を所有する鉄道会社である。
略称は「JR四国」、コーポレートカラーは水色である。
本社所在地は香川県高松市浜ノ町8番33号で支社はない。
企画部、営業部、事務所として、
愛媛企画部、徳島企画部、高知企画部、岡山企画部、大阪営業部、東京事務所がある。
形態は株式会社だが、株主は独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構が100%保有しており、
完全民営化はされていない。
所有路線は9路線、855.2kmで、JR旅客各社の中では少ない。

※JR四国の「現有路線」及び「車両基地」はこちら


 試作用車両 しさくようしゃりょう

試作車両は新しい量産車両を造る前に試験的に造る車両で、
試験終了後に量産化改造して営業投入される場合と、廃車にされる場合とがある。


 車両記号の基礎 しゃりょうきごうのきそ


JRの車両記号は国鉄時代に作られたルールを基本的に継承している。
但し、JR東日本は自社の開発車両として“E”をつけ、
またJR四国では独自の4桁の車両記号を採用している。

電車の場合、基本編成は3桁で顕し、それに繋げて個別車両を識別する数字をつけていく。
更に別系列にするほどではない多少の変化を番台をつけることで顕すこともある。

更に個別車両には車両の特徴を顕すカタカナの記号を付ける。
カタカナ記号には車両の構造を顕す記号と座席の等級を顕す記号が組みあらわされる。

車両の構造をあらわす記号は以下の3種類がある。

  ・・・制御車(運転台のある車両)
  ・・・電動車(モーターが取り付けられている車両)
  ・・・付随車(中間のモーターのない車両)

運転台のある車両にモーターがついている場合は“クモ”となる。
また気動車(内燃機関で動く列車)の場合、統一で以下の記号を使用する。

  ・・・気動車(気動車全てに使用)

気動車の場合、全て“キ”で顕し運転台のあるなしの区別はしない。
現実的にはほとんどの車両が運転台が着いており、運転台のあるなしを区別する必要がほとんどない。

座席の等級をあらわす記号は“イロハ”で顕し、以下のようになる。

  ・・・グリーン車
  ・・・普通車

これは鉄道創設当時から1960年までは一等車から三等車を“イロハ”で顕していた時の名残である。

電車の形式を表す数字は3桁で表され、百の位は供給される電気の方式、十の位は使用用途を顕す。
一の位は奇数で原則として登場順につけられていく。
またこの数字にマイナス1した数字と組み合わせて使用される。
これは前後にある制御車や2両をひとつとして使用する新性能電車の電動車に対してペアで使用される。

  百の位・・・1~3直流、4~6交直流、7~8交流、9試作車両等
  十の位・・・0~3通勤形、近郊形、5~8急行型、特急型、9試験車など


 準大手私鉄 じゅんおおてしてつ

大手私鉄15社と営団地下鉄が民営化された東京メトロを合わせた16社が、
国土交通省鉄道局などの統計資料などで大手私鉄とされている。
それに対し、中小私鉄ほど規模は小さくないが、大手私鉄に数えられない企業を準大手私鉄という。
明確な定義はないが、現在以下の5社が準大手私鉄として数えられている。

新京成電鉄・・・京成電鉄の持分法適用関連会社であり、京成グループの一つである。東証一部上場。
山陽電気鉄道・・・兵庫電気軌道と神戸姫路電気鉄道が宇治川電気と合併し、鉄道部門が独立してできた会社。大証一部上場。
大阪府都市開発・・・大阪府が中心となって設立された第三セクター。鉄道事業だけでなく、流通センターなども運営している。
北大阪急行電鉄・・・阪急阪神ホールディングスの連結子会社であるが、大阪府も出資しているため、第三セクター鉄道でもある。
神戸高速鉄道・・・阪急電鉄、阪神電気鉄道、山陽電気鉄道、神戸電鉄の路線を接続するための路線のみを所有する第三セクター鉄道。

※準大手私鉄の企業別詳細はこちら


 ジョイフルトレイン じょいふるとれいん

ジョイフルトレインの正確な定義は不明だが、国鉄時代から登場した団体専用列車やイベント、行楽を目的とした特別列車をいう。
客車改造の特別列車が以前は多く存在したが今では多くが廃車となった。
電車は485系特急車両の足回りを再利用して車体新造のジョイフルトレインが多く誕生したが、
現在では車体も再利用した小規模の更新にとどめたジョイフルトレインも造られるようになった。


 上越新幹線「とき325号」脱線事故 じょうえつしんかんせんとき325ごうだっせんじこ

2004年10月23日17時56分に新潟県中越地震が発生し、
震源地に近い上越新幹線浦佐-長岡駅間で、
走行中の東京発新潟行下り「とき325号」200系K25編成が脱線した。
新幹線の脱線事故としては東海道・山陽新幹線も含めて開業以来初めてとなる。
乗客乗員に負傷者はなかった。
「とき325号」の脱線地点手前のレールに大きな損傷はなく、
地震の揺れによる脱線と見られている。


 上越線 じょうえつせん

上越線は高崎から信越本線宮内までを結ぶ162.6kmの路線で、
1920年から建設が開始された。
それまでは首都圏から新潟に行くには信越線経由で碓氷峠を越え、
直江津から日本海側を行かなければならなかった。
特に碓氷峠は勾配がきつく、日本の鉄道で最難関の箇所といわれていた。
そのため開通当時はアプト式鉄道で結び、
EF63型電気機関車が誕生し、粘着運転が出来るようになってからも、
横川と軽井沢で機関車の付け替えを行わなければならず、
またかなりの遠回りになってしまっていた。
そこで高崎から上越地区へダイレクトに結ぶ路線のニーズが高まり、
信越本線のバイパス路線として上越線が建設された。
1920年宮内側から上越北線が建設され、
翌年には新前橋から上越南線の建設が始まった。
1931年9月1日に単線路線として全線開通した。
その5年後には信号場だった土合が駅に昇格している。
1957年からは複線化工事が新前橋から始まり、
1967年には新清水トンネルが完成している。
それまでは勾配差の大きい上越線はループ線を描いて山岳区間を抜けていた。
しかし戦後トンネル掘削技術が向上し長いトンネルを掘ることが可能になり、
新しくできた下り線はトンネル内を一気に進む線形を取った。


 蒸気機関車 じょうききかんしゃ

蒸気機関車は蒸気機関によって動く機関車のことで、
Steam Locomotiveの略として“SL”と呼ばれている。
また「汽車」や蒸気船に対して「陸蒸気」などと云われたりもする。
駆動方式としてはピストン方式、タービン方式などがあり、
車体構造からタンク式、テンダー式などがある。

※「蒸気機関車 図鑑」はこちら
※「蒸気機関車 解説」はこちら
※「蒸気機関車 一覧表」はこちら


 譲渡車 じょうとしゃ

一般的に都市部で使用されていた大手私鉄などの車両を、
地方鉄道などに有償、もしくは無償で譲渡し、使用される車両のこと。
譲渡に際してワンマン化、台車や集電装置などを改造することが多い。
また場合によっては第三セクター化された際に、
それまでの使用車両をそのまま譲渡することもある。


 新幹線 しんかんせん

新幹線はそれまでの国鉄車両とは全く新しい思想で造られた幹線でそれまでの国鉄の狭軌から、
国際的に多く使用されている標準軌が採用されている。
大きく東海道・山陽新幹線系列と東北・上越新幹線の系列に大別できる。
また東北新幹線に接続する山形新幹線、秋田新幹線は在来線を改軌して直通させたミニ新幹線である。
車両ももちろん新幹線用に新造され、カタカナによる分類は存在しない。
国鉄分割民営化後は東海道新幹線がJR東海、山陽新幹線はJR西日本、九州新幹線はJR九州、
その他の東北・上越新幹線系列はJR東日本に属する。
系列は100桁で顕し、初めて誕生した車両は他との分類が必要ないために0系と呼ばれている。
またJR東日本は途中から自社開発車両に“E”をつけるようになり、
それに伴って新幹線車両は独自に分類するようになった。
600系として開発されていた車両が“E1系”を名乗ったために600系は欠番になっている。


 寝台列車 しんだいれっしゃ

寝台列車とは夜行列車のうち、寝台設備を備えた寝台車で構成される列車をいう。
寝台列車のうち、特急列車として運転される列車を特に“寝台特急”という。
一般的には客車を寝台車として機関車が牽引する形が一般的であるが、
一部には寝台設備を有する電車が充当されることもある。
かつては日本全国に多くの寝台列車が走っていたが、最近では年々減少しており、
国鉄分割民営化以降、JRによって寝台車両が製造されたのは、
E26系客車「カシオペア」と285系直流電車「サンライズエクスプレス」の2系列のみである。

※寝台列車に関する詳細はこちら





 外房線 そとぼうせん

外房線はその名の通り、房総半島の外側を走る路線であり、
総武本線千葉から安房鴨川までの93.3kmを結ぶ区間である。
また安房鴨川で内房線と接続し、房総半島を一周する。
外房線は以前は房総東線と呼ばれていたが、
1972年の房総東線、房総西線の房総線全線電化完了を機に、
房総東線を外房線、房総西線を内房線と名称変更した。
房総東線、房総西線と云うよりも外房線、内房線と云う方が路線をイメージしやすい。
以前は房総一周の急行も運行されていたが、
現在では外房線の特急「わかしお」は安房鴨川まで、
内房線の特急「さざなみ」は館山までで一部千倉まで行くが、特急同士の接続はない。
外房線は当初馬車鉄道として計画され、「房総鉄道馬車」の社名で設立された。
そのご計画が変更され1893年(明治26年)に「房総鉄道」に社名変更され、
1896年(明治29年)に蘇我-大網間が開業し、
更に資材運搬用の仮線として建設した千葉-蘇我間も本線として営業が許可された。
1897年(明治30年)2月には一ノ宮まで延伸、
1899年(明治32年)12月には大原間で延伸した。
大網から房総本線成東までの延伸工事も同時に進められていたが、
1907年(明治40年)に施行された鉄道国有法によって国に買収され、
大網-成東間は東金線になり、千葉-大原間は房総線となった。
国有化されてから1913年(大正2年)6月に勝浦まで、
1927年(昭和2年)4月には上総興津まで、
1929年(昭和4年)4月には安房鴨川まで延伸が完了した。
1892年(明治25年)に公布された鉄道施設法に従って、
当初から国によって建設された北条線(現・内房線)が、
1925年(大正14年)に安房鴨川まで既に開通していた。
北条は現在の館山である。
もともとは木更津線の名前で建設されていたが北条まで延伸した時に改称した。
1929年に房総線が北条線安房鴨川まで延伸して直通した段階で、
房総線が房総東線、北条線が房総西線に名称変更された。
房総東西線を合わせて房総線として呼ばれることもあった。
房総両線の電化が進み、1972年(昭和47年)には全線の電化が完了、
この時に房総東線を外房線、房総西線を内房線と名称変更した。
同時に大網駅を現在の場所に移設し、スイッチバックを解消した。
外房線特急は以前は総武本線経由で千葉まで来ていたが、
1990年(平成2年)に京葉線が東京駅まで延伸したのを機に京葉線経由に変更された。



 第三セクター鉄道 だいさんせくたーてつどう

第三セクター鉄道とは、第三セクター方式で運営される鉄道会社のことである。
本来は国や地方公共団体が経営する公企業を第一セクター、
私企業を第二セクターとするのに対し、それ以外の法人という意味であるが、
一般的には国や地方公共団体と民間が合同で出資・経営する企業を第三セクターという。
第三セクター鉄道は以下のように分類できる。

1.旧国鉄やJRの赤字ローカル線である特定地方交通線、及び建設中に凍結された工事路線を引き継いだもの。
2.整備新幹線の開業に伴い、JRから分離された並行在来線区間を引き継いだもの。
3.赤字の私鉄路線を引き継いだもの。
4.臨海工業地帯の貨物鉄道のため、旧国鉄やJR貨物が沿線自治体と荷主企業の共同出資で設立した臨海鉄道。

国土交通省のホームページで紹介されている「地方鉄道・第3セクター」で現有路線は37社。

※第三セクター鉄道の会社別詳細はこちら


 太宰府線 だざいふせん

太宰府線は西日本鉄道天神大牟田線西鉄二日市から分岐して太宰府までを結ぶ2.4kmの単線である。
現在の鹿児島本線に当たる九州鉄道二日市と太宰府を結ぶ馬車軌道を敷設するため、
1902年5月15日に設立された太宰府馬車鉄道により、
同年5月1日太宰府から二日市駅前(湯町口)までの区間が開業する。
太宰府馬車鉄道は太宰府軌道に社名を変更、1913年から動力を馬力から蒸気に変更する。
現在の西日本鉄道となる九州鉄道の傘下に入り、1927年9月24日に太宰府から二日市までを電化、
蒸気区間として残された二日市から二日市駅前(湯町口)までが1929年9月5日に廃止され、
太宰府軌道は1934年6月30日に九州鉄道に合併され、太宰府線となった。


 弾丸列車 だんがんれっしゃ

戦前、戦中にあった東京から大阪、下関へ至る標準軌採用の高速鉄道計画。
対馬海峡に海底トンネルを掘り、朝鮮半島や満州国への延伸計画もあり、
朝鮮総督府鉄道や南満州鉄道で採用されていた標準軌で敷設することが計画された。
東海道本線、山陽本線と平行して新しく主要幹線を敷設することから、
鉄道省内部では「新幹線」、「広軌幹線」と呼ばれていたが、
一般的には「弾丸列車」と称されていた。
一部工事もスタートしたが、太平洋戦争の激化で頓挫し、終戦を迎えた。



 智頭急行 ちずきゅうこう


智頭急行は建設途中の智頭線を引き受けて設立された設立された第三セクター鉄道である。
山陽本線と山陰本線を繋ぐ連絡線として計画されていた智頭線は、
日本鉄道建設公団により建設が進められていたが、
国鉄の経営悪化を受け1980年に成立した日本国有鉄道経営再建促進特別措置法で建設が凍結された。
凍結時点で用地買収は95%、路盤は30%、軌道は10%が完成しており、
鳥取、岡山、兵庫の3県が中心となって出資された第三セクターが建設を継続することとなり、
1986年5月31日に“智頭鉄道”の社名で設立された。
その後智頭鉄道が引き受けて工事が進められ、
1994年6月17日に社名を“智頭急行”に変更、同年12月3日に智頭線は開業した。


 中央本線 ちゅうおうほんせん

中央本線の元となったのは、明治の鉄道黎明期に誕生した甲武鉄道である。
これは甲斐(現・甲府)と武蔵(現・東京)を結ぶ鉄道として、
1889年4月11日に新宿-立川間を開業させた。
その後、1894年10月19日には牛込(現・廃止)まで延伸、
翌年には飯田町まで延伸した。
飯田町は現在の飯田橋とは異なる。
1904年12月31日には御茶ノ水まで延伸した。
1906年3月31日公布の鉄道国有法により、甲武鉄道は国有化された。
その一方で八王子より先は官設鉄道として建設された。
1901年8月1日には八王子から上野原までが開業し、
1903年6月11日には甲府までの延伸した。
更に官設鉄道は延伸を進め、1906年6月11日には塩尻までの延伸を完了する。
また1908年4月19日には御茶ノ水から更に昌平橋(現・廃止)まで延伸し、
1909年10月12日に国有鉄道線路名称設定で中央東線となった。
1911年には中央西線を編入する形で中央本線となる。
1912年4月1日には万世橋が開業して昌平橋は廃止、
1919年1月25日に東京駅に乗り入れとなった。
こうして中央東線は現在の形で全通するのだが、
この時は塩尻峠を迂回するため、岡谷から辰野を経由して塩尻に至るルートであった。
現在の辰野支線が本線としての正式ルートだったのである。
現在のみどり湖を経由する新ルートになったのは1983年6月21日からで、
この時に岡谷から辰野に至り、塩尻に行くルートは辰野支線に格下げになった。
現在では言い出せんが岡山で直通していることから岡谷-辰野間はいいが、
塩尻-辰野間は123系1両編成が1両のみで運行をになっているのが現状である。
一方で中央西線は官設鉄道として1900年7月25日に名古屋-多治見間が開業し、
1911年5月1日には木曽福島まで延伸した。
塩尻-宮ノ越間は1910年11月25日に中央東線として開業したが、
1911年5月1日に宮ノ越-木曽福島間が開業し、
中央本線が全通した時に宮ノ越-塩尻間が中央西線に編入されている。


 中小私鉄 ちゅうしょうしてつ

中小私鉄とはJR、大手私鉄16社と準大手私鉄5社以外の鉄道会社のこと。
地方公共団体の資本が入った第三セクター鉄道とそれ以外の地方鉄道に分けられる。
国土交通省のホームページで紹介されている「地方鉄道・中小民鉄」で現有路線は61社。

※中小私鉄の会社別詳細はこちら



 通勤形電車 つうきんがたでんしゃ

通勤、近郊形電車は系列を顕す3桁の数字の十の位は0~3を使用するが特に0をロングシート車に使用する。
つまり通勤形車両は原則的に十の位が0となる。
但し、最近では通勤形と近郊形の両方の用途に使用できる汎用型車両も開発され、特に3が使用される。

直流型通勤電車

モハ90系として登場した新性能電車は国鉄の電車の型式番号が3桁に整理された時に101系となった。
国鉄が開発したのは205系までで、207系以降は分割民営化後のJRの開発である。
但し、301系は営団地下鉄(当時)直通用に開発された車両で、103系をベースとしているため、
その数字をひっくり返して301系と名付けたものと思われる。
103系は地下鉄直通の貫通扉が設置されものは1000番台に分類され、
営団(現・東京メトロ)千代田線・常磐緩行線相互乗り入れ用は1000番台、
営団(現・東京メトロ)東西線・総武緩行線相互乗り入れ用は1200番台、
福岡市営地下鉄空港線・筑肥線相互乗り入れ用は1500番台がある。
209系はJR東日本が「寿命半分、重量半分、コスト半分」の思想の元に開発した車両で、
E231系以降の開発にその存在が活かされている。
1992年に901系が試作され、A~C編成が2年間に渡って試験走行し、2年後に209系が誕生した。
その後量産化改良され、901系900番台から920番台として営業投入されている。

交直流型通勤電車

交直流型でロングシートの通勤需要特化の車両はE501系のみである。
常磐線は取手以遠で交流に変わるため、従来の通勤電車はすべて取手止まりで、そこから先は403系列に任されていたが、
沿線の宅地化などで取手以遠の通勤需要が伸びてきたため、
これに対応するために209系をベースに交直流通勤形電車が開発された。

交流型通勤電車

交流型通勤電車はJR東日本所属の701系のみである。
JR東日本の交流区間である東北地区で幅広く活躍している。



 ディーゼル機関車 でぃーぜるきかんしゃ

電気機関車はディーゼルエンジンを動力源とする機関車のことで、
Diesel Locomotiveの略称として“DL”と呼ばれることがある。
エンジンを積んだ機関車を「内燃機関」と呼び、
かつてはガソリン機関車もあったが、今は存在しないため、
内燃機関車をディーゼル機関車の意味で使われることがある。
動力伝達方式には機械式、電気式、液体式の3種類がある。
液体式はディーゼルエンジンの出力をトルクコンバータと遊星歯車を介して変速し、
動輪に伝えることで駆動力を得る機関車。
電気式はディーゼルエンジンで発電機を回すことで電力を得てモーターで駆動する機関車。
機械式はマニュアルトランスミッションの自動車同様、ディーゼルエンジンの出力をクラッチで断続し、
ギアボックスの歯車の組み合わせを変えて必要な駆動力を得る機関車。

※「ディーゼル機関車 図鑑」はこちら
※「ディーゼル機関車 解説」はこちら
※「ディーゼル機関車 一覧表」はこちら


 帝都高速度交通営団 ていとこうそくどこうつうえいだん

帝都高速度交通営団は帝都高速度交通営団法によって1941年7月4日に設立された、
第二次世界大戦時の国家体制維持のための経営財団のひとつで、
東京都の地下鉄の整備運営を目的に設立された。
一般的には略して“営団地下鉄”と呼ばれていた。
戦後GHQによって営団は解体、公社化されたが、営団地下鉄はそのまま残された。
現在日比谷線、銀座線、丸ノ内線、東西線、南北線、有楽町線、千代田線、半蔵門線、8路線を所有している。

 銀座線/浅草-渋谷 14.3km(1927年/軌間1435mm、直流600V・第三軌条方式)
 丸ノ内線/池袋-荻窪、中野坂上-方南町 27.4km(1954年/軌間1435mm、直流600V・第三軌条方式)
 日比谷線/北千住-中目黒 20.3km(1961年/軌間1067mm、直流1500V・架空電車線式)
 東西線/中野-西船橋 30.8km(1964年/軌間1067mm、直流1500V・架空電車線式)
 千代田線/綾瀬-代々木上原、綾瀬-北綾瀬 24.0km(1971年/軌間1067mm、2直流1500V・架空電車線式)
 有楽町線/和光市-新木場、同新線 28.3km(1974年/軌間1067mm、直流1500V・架空電車線式)
 半蔵門線/ 渋谷 - 押上 16.8km(1978年/軌間1067mm、直流1500V・架空電車線式)
 南北線/目黒 - 赤羽岩淵 21.3km(1991年/軌間1067mm、直流1500V・架空電車線式)
 副都心線/和光市-池袋 20.2km(2008年/軌間1067mm、直流1500V・架空電車線式)


 鉄道院 てつどういん

鉄道院は明治時代後期から大正時代に存在した鉄道行政を司る行政機関であり、のちに鉄道省に昇格した。
鉄道関係の所轄官庁はもともと工部省鉄道寮(後の工部省鉄道局)が受け持ち、
工部省が廃止され、鉄道局は内閣直属となった。
その後、現業部門が独立して帝国鉄道庁となったが、再度鉄道局と帝国鉄道庁を統合して、
1908年12月5日に内閣鉄道院が新設され、内閣の直属機関となった。
1920年5月15日に内閣直属機関から省として独立し、鉄道省となった。


 鉄道国有法 てつどうこくゆうほう

1906年3月31日に公布された民間の鉄道を国有化させるための法律である。
これによって多くの私鉄が国有化され、
施行前の官設鉄道の営業距離は約2,600kmだったが、施行後は約7,100kmとなった。
これによって全国規模の国有鉄道が実現し、私鉄は地域輸送に限定されることとなった。
買収された私鉄は以下の17社である。

買収年月日 買収鉄道会社名 現路線名 買収営業キロ 買収車両
機関車 客車 貨車
1906年10月1日 北海道炭礦鉄道 函館本線の一部 329.1 km 79 102 1753
甲武鉄道 中央線御茶ノ水-八王子間 44.7km 13 62 266
1906年11月1日 日本鉄道 東北本線、山手線など 1,385.3 km 368 857 6411
岩越鉄道 磐越西線郡山-喜多方間 79.7km 23 112
1906年12月1日 山陽鉄道 山陽本線など 667.7 km 152 534 2075
西成鉄道 大阪環状線の一部など 7.4km 23 227
1907年7月1日 九州鉄道 鹿児島本線の一部など 712.6 km 256 391 7148
北海道鉄道 函館本線函館-南小樽間 255.9km 27 44 265
1907年8月1日 京都鉄道 山陰本線の一部 35.7 km 100
阪鶴鉄道 福知山線尼ヶ崎-福知山間 113.1km 17 44 260
北越鉄道 信越本線の一部 138.1km 18 74 298
1907年9月1日 総武鉄道 総武本線の一部 117.8 km 24 121 274
房総鉄道 外房線の一部 63.4km 32 95
七尾鉄道 七尾線 55.4km 19 77
徳島鉄道 徳島線徳島-川田間 34.6km 25 46
1907年10月1日 関西鉄道 関西本線など 442.9 km 121 571 1273
参宮鉄道 紀勢本線の一部、参宮線津-山田間 42.0km 10 88 74


 鉄道事業者 てつどうじぎょうしゃ

1986年12月4日に公布された鉄道事業法によって、
鉄道事業の運営形態を線路の所有と車両運行により、3つに分類される。

第1種鉄道事業

自らが敷設する線路を使用して鉄道運送を行う事業。
線路と車両の両方を所有する形態。

第2種鉄道事業

他社が所有する線路を使用して鉄道運送を行う事業。

第3種鉄道事業

線路を他社に譲渡する目的で敷設する事業、及び線路を敷設して第2種鉄道事業者に専ら使用させる事業。


 鉄道事業法 てつどうじぎょうほう

鉄道事業法は1986年12月4日に公布された鉄道事業及び索道事業等の運営について規定する日本の法律である。
日本国有鉄道の分割民営化に伴い、日本国有鉄道法、地方鉄道法、索道規則に代わって制定された、
日本の鉄道事業を一元的に規定する法律である。
所管省庁は国土交通省である。


 鉄道省 てつどうしょう

鉄道省は大正時代から太平洋戦争中まで存在した鉄道行政を司る省である。
現業部門の帝国鉄道庁と監督行政を受け持つ鉄道院が統合され、
1908年に誕生した鉄道院は内閣の直属機関だったが、
権限の強化などを目指して省として昇格し、1920年5月15日に鉄道省となった。
鉄道省は1943年11月1日、戦時体制に伴う官庁統廃合で逓信省と合併し、運輸通信省となった。
旧鉄道省が所管していた部門は運輸通信省鉄道総局が所掌した。
1945年5月19日、運輸通信省は内閣所轄の逓信院として分離させ運輸省に改組した。
戦後、国有鉄道の管理運営を1949年6月1日に日本国有鉄道に移管した。
運輸省は2001年1月6日に建設省や国土庁など再編され、国土交通省となった。


 鉄道敷設法 てつどうふせつほう

鉄道敷設法は、1892年6月21日に公布された国が建設すべき鉄道路線を定めた法律である。
この法律では北海道以外の予定線33線が規定されていた。

北海道については北海道鉄道敷設法が1896年5月14日公布に規定。

鉄道省が発足した1920年には鉄道敷設法に掲げられたほとんどの路線が完成していたが、
地方路線がほとんど規定されておらず、全国の路線網のさらなる充実を図るために、
同年抜本的な改正が実施された。
これを一般に改正鉄道敷設法という。
改正鉄道敷設法別表には、予定線として149路線が掲げられており、
ローカル線(地方交通線)建設の根拠とされた。
別表には順次52路線が追加されていった。

鉄道敷設法は1988年、日本国有鉄道改革法等施行法が施行されたことにより、鉄道国有法、地方鉄道法とともに廃止された。

鉄道敷設法第2条に規定する予定鉄道線路はこちら


 田園都市線 でんえんとしせん

池上線は池上本門寺への参詣客輸送のため設立された池上電気鉄道によって敷設された路線で、
1922年10月6日に蒲田から池上までの区間が開業した。
翌年、1923年には池上から雪ヶ谷(後に調布大塚と統合、現・雪が谷大塚)まで延伸、
1927年8月28日には桐ヶ谷(現・廃止)まで延伸、同年10月9日には大崎広小路まで延伸、
1928年6月17日には五反田まで延伸して全通した。
全通後の1934年10月1日に池上電気鉄道は目黒蒲田電鉄に吸収合併、
1939年10月1日に東京横浜電鉄が目黒蒲田電鉄に合併後、東京横浜電鉄に改称する。
戦時中の1942年5月1日に小田急電鉄、京浜電気鉄道(現・京浜急行電鉄)を合併、
社名も東京急行電鉄に改称されたが戦後に小田急と京急は独立した。


 電気機関車 でんききかんしゃ

電気機関車は電気を動力源としている機関車のことで、
Electric Locomotiveの略称として“EL”と呼ばれることがある。
架線からパンタグラフを通じて電力を取り入れ、電動機で動力へ変換し走行する。
電源の種類により、直流、交流、交直流に分類される。

※「直流電気機関車 図鑑」はこちら
※「交直流電気機関車 図鑑」はこちら
※「交流電気機関車 図鑑」はこちら
※「民間鉄道の電気機関車 図鑑」はこちら
※「電気機関車 解説」はこちら
※「直流電気機関車 一覧表」はこちら
※「交直流電気機関車 一覧表」はこちら
※「交流電気機関車 一覧表」はこちら


 電車 でんしゃ

パンタグラフなどで外部から電気を取り入れ、電動機によって走行する鉄道車両である。
一般的には旅客用車両がほとんどであり、「電動客車」の略とされる。
機関車牽引による列車を動力集中方式と呼ぶのに対し、動力分散方式と呼ばれる。
一般的に鉄道車両全般を“電車”と呼ぶこともある。
電車車両の詳細については拙作「電車」を参考にされたい。

「電車」
http://train.bokunenjin.com/


 電車の形式 でんしゃのけいしき

鉄道車両の形式は国鉄、JR各社と民間鉄道それぞれで違うが、
一般的に電車の場合、国鉄、JR四国を除くJR各社は3桁、
JR四国と民間鉄道会社は4桁を使用する場合が多い。
また民間鉄道では4桁で表現出来なくなった場合、5桁を使用しているところもある。
気動車の場合は一般的に“形”で表すことが多いが、
電車の場合、“形”をまとめて“系”で表すことが多い。
3桁の国鉄の形式表記は国鉄時代に規定で決められ、
百の位は電気の方式、十の位は車両の種類を表すとしている。
百の位は1から3が直流、4と5が交直流、7と8が交流を表す。
十の位は0から2が通勤形、近郊形、5から7が急行形、8が特急形としていた。
これはあくまで国鉄での規定であり、分割民営化後のJR各社では独自の形式を符合できる。
しかし国鉄から引き継いだ車両を多く所有していることもあり、
JR各社は基本的にこの形式符号を引き継いでいる。
JR四国では4桁の独自の符号形式を採用し、
JR東日本は途中から自社の車両であることを表す“E”をつけるようにしている。
また急行が減少し、急行形の専用車両の製造がないことから、
十の位の付番はJR化以降、独自に決められているようである。
ただ、百の位の区分けは原則としてJR化以降も守られている。

 ※「国鉄、JRの電車の付番法則」の詳細はこちら


 天神大牟田線 てんじんおおむたせん

天神大牟田線は九州鉄道と大川鉄道によって敷設された路線で、
福岡から熊本までの開業を目指していたが、用地買収などが難航し大牟田までの延伸で断念された。
1924年4月12日に福岡(現・西鉄福岡(天神))から久留米の区間が開業、
この時終着駅として開業、1932年12月28日に津福まで延伸した。
上久留米から津福、大善寺を経由して榎津までを敷設していた大川鉄道が、
1937年6月22日に九州鉄道に合併され、津福から大善寺の区間が改軌して電された。
同年10月1日には大善寺から柳河(現・西鉄柳川)までが延伸、
1938年9月1日に柳河(現・西鉄柳川)から中島(現・西鉄中島)までが開業、
同年10月1日には栄町(現・新栄町)まで延伸、1939年7月1日に大牟田まで延伸、全通した。
戦時中の1942年9月19日に陸上交通事業調整法により、
九州電気軌道は福博電車、九州鉄道、博多湾鉄道汽船、筑前参宮鉄道等と合併、
その3日後の9月22日に九州電気軌道は西日本鉄道に改称された。



 東海旅客鉄道 とうかいりょきゃくてつどう

東海旅客鉄道株式会社は1987年4月1日に国鉄分割民営化によって誕生した、
東海、甲信、近畿地方および神奈川県の一部の在来線と東海道新幹線を所有する旅客鉄道会社である。
略称は「JR東海」、コーポレートカラーはオレンジ色である。
本社所在地は愛知県名古屋市中村区名駅1丁目1番4号、
東京本社は東京都港区港南2丁目1番85号JR東海品川ビルA棟がある。
他に東海鉄道事業本部(旧名古屋鉄道管理局)、新幹線鉄道事業本部(旧新幹線総局)、
静岡支社(旧静岡鉄道管理局)、三重支店、飯田支店、関西支社、海外事務所はワシントン、ロンドン、シドニー。
2005年7月29日までに独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構保有の224万株のうち、
約195万株が一般市場に売却、
2006年4月5日に同機構保有の全株(28万6071株)がJR東海に売却され、
JR東日本、JR西日本に次いで完全民営化を果たした。
1,982.0kmの鉄道路線を第一種鉄道事業として所有している。
2006年11月25日からICカード乗車券「TOICA(トイカ)」のサービスを開始した。
「TOICA」は「TOkai Ic CArd」の略である。
鉄道総合技術研究所と共同でジェイアール式マグレブ(磁気浮上式鉄道)の実験を行っており、
首都圏と中京圏の間にリニアモーターカー式の中央新幹線を全額自己負担で建設する予定である。

※JR東海の「現有路線」及び「車両基地」はこちら


 東北本線 とうほくほんせん

東北本線は明治時代に日本鉄道という会社が施設した長距離路線で、
1883年に上野-熊谷間が開業した。
つまり上野-大宮間は高崎線と東北本線が共有しているが、
そもそもこの区間は高崎線の路線として開業した区間なのである。
その後1885年には大宮-宇都宮間が開業したが、
まだ利根川橋梁が完成していなかったため、この区間は船を利用していた。
約1年後の1886年6月17日に利根川橋梁が完成し、宇都宮まで直通した。
その後もどんどん北に延伸していき、1891年には青森まで開通している。
1906年には鉄道国有法によって国有化されたが、
東京-上野間が完成したのは1925年11月1日になってからである。
つまり東北本線の始発駅は長い間上野駅であり、
現在も東京-上野間は東北本線ということになっているが、
実際は京浜東北線や山手線の一部であって、
現在でも東北本線、高崎線の列車はほとんどが上野駅を始発としている。


 特急電車 とっきゅうでんしゃ

特急型車両は1958年11月に東海道本線に登場したモハ20系(現・151系)がその礎となる。
特急とは「特別急行」の略で、急行の上位バージョンに当たるが、急行列車の衰退で“特急”そのものがひとつの固有名詞化した。
国鉄時代には直流181系列、交直流481系列が主力として全国ほぼ一律のデザインで、
「月光型」と呼ばれたシンボリックな車両が賑わいを見せていたが、
国鉄分割民営化後は、JR各社が挙って観光需要を喚起しようとオリジナルデザインの車両を投入し、
JR各社の特色が出ている多種多様な車両が全国を駆けめぐっている。

直流特急型電車

181系列は国鉄時代に誕生した直流特急型の標準タイプで1958年に登場した151系の出力増強版として登場した。
登場時はボンネット型だったが、後に581系の姿を模したデザインとなり、交直流の485系と並んで国鉄特急型の顔となった。
国鉄時代に通勤需要にも対応できる特急型車両として185系が登場した。
JR化後はJR東日本、西日本が主に百の位を2、JR東海は好んで3を使用する。
百の位の3は振り子型に用いられる傾向がある。
十の位はJR東日本が5、JR西日本が8を好んで使用する。

交直流特急型電車

481系列は1960年代に登場した首都圏の直流区間と地方の交流区間を結ぶ中長距離対応の特急型電車である。
直流と関西圏の60Hz交流区間を走る481系が1964年に登場、続いて関東圏の50HZ交流区間を走る483系が登場、
1968年には汎用型の直流、交流50Hz、交流60Hzの全区間を走れる485系が誕生した。
581系列は昼夜兼用特急として開発された車両で、昼は座席車両、夜は寝台車両として使用できる。
581系は京阪神-九州間を結ぶ車両として直流、交流60KHz走行可能の車両として登場し、
翌年には東北エリア投入のため交流50KHz間も走れる3電源走行可能な車両として583系が誕生した。

交流特急型電車

交流型特急車両は1978年に北海道の寒冷地仕様として登場した781系に始まる。
国鉄型としては781系のみが造られた。
JR三島会社で交流型は新造され、特にJR九州では百の位に8を好んで使用する。

JR九州の883系は製造年次により、フロントデザインが異なる。

 1編成 1次車 7両編成 リーフ型フロントグリル
 2編成 1次車 7両編成 リーフ型フロントグリル
 3編成 2次車 7両編成 スリット型フロントグリル
 4編成 3次車 7両編成 S字型フロントグリル
 5編成 3次車 7両編成 S字型フロントグリル
 6編成 4次車 7両編成 S字型フロントグリル フロントカラーシルバー
 7編成 4次車 7両編成 S字型フロントグリル フロントカラーイエロー
 8編成 4次車 7両編成 S字型フロントグリル フロントカラーブラック



 中越鉄道 なかごしてつどう

中越鉄道は1897年5月4日に黒田-福野間を開業させたのがその始めである。
開業当時は既に官設鉄道北陸線の計画はあったものの、
まだ現在の高岡駅の場所が決まっていなかったために暫定的に黒田駅を開設した。
北陸線の場所が決定して高岡駅の場所が決定した1989年1月2日に、
現在の高岡駅に始点を変更している。
官設鉄道北陸線(現・北陸本線)が開業したのは1899年11月1日で、
結果的には中越鉄道に官営鉄道北陸線がそこに乗り入れる形になっている。
中越鉄道は更に1897年内に福光、城端と延伸を果たしている。
城端-高岡間を開業した中越鉄道は更に高岡駅を越えて、
1900年12月29日には伏木まで延伸した。
12年後の1912年4月4日には島尾まで延伸、
同年9月1日には氷見まで延伸が完了した。
1920年には中越鉄道が国有化されたが、
この時城端-伏木間が城端線、伏木-氷見間が氷見軽便線となった。
2年後には氷見軽便線が氷見線に改称、
1942年に城端線を城端-高岡、氷見線を高岡-氷見間と変更し、現在の形になる。


 ナローゲージ なろーげーじ

普通鉄道は2本のレールの上を車輪で走る形になっているが、
このレールの間を軌間といい、その長さには幾つかの種類がある。
日本では新幹線や一部の私鉄などで採用されている1,435mmの軌間で、
これは“標準軌”と呼ばれる。
日本では一番多いわけではないが、欧米で一般的に採用されているためにこう呼ぶ。
この1,435mmより広い軌間を“広軌”といい、国際的には“ブロードゲージ”と呼ばれる。
しかし現在の日本にはブロードゲージはない。
1,435mmより狭い軌間を“狭軌”といい、国際的には“ナローゲージ”と呼ぶ。
日本の標準的な狭軌(と、云う言い方も変だけれど)は、
現在のJRグループの在来線で採用されている1,067mmである。
また私鉄でもこの軌間を採用しているところは多い。
日本では「狭軌」と呼ぶ場合、1,067mmの軌間を差すことが多い。
「標準軌」と「狭軌」の間に1,372mmという軌間があり、
京王本線や都電、東急世田谷線などが採用しており、“偏軌”という。
また「馬車軌間」とも呼ばれる。
この軌間を最初に採用した経緯が、
馬車鉄道時代に標準軌では馬の足がレールに引っかかってしまうため、
標準軌より少し狭い軌間として採用されたことに由来する。
日本の鉄道は多くで相互乗り入れしている。
そのため相互乗り入れ先の軌間に改軌していることが多い。
これらの3つの軌間が日本の鉄道のほとんどで採用されているのだが、
一部の鉄道では更に狭い軌間を採用しているところがある。
これは“特殊狭軌”と呼ばれ、762mmの軌間である。
日本では762mmの軌間に対して“ナローゲージ”と呼ぶことが多い。
この軌間は鉄道黎明期で多く採用されたもので、軽便鉄道で多く採用された。
しかしその多くは廃止されたり、国鉄などに吸収された際に改軌され、
現在762mmのナローゲージが残っている路線は、
観光路線である黒部峡谷鉄道本線を除くと、
近畿日本鉄道内部と八王子線、
かつて近鉄路線でありながら地方鉄道である三岐鉄道に移管された北勢線などしかない。
近畿日本鉄道内部線は「うつべ」と読み、
営業距離は5.7km、8駅の単線路線。
近畿日本鉄道八王子線は営業距離1.3km、2駅の単線路線で、
八王子線は内部線日永から分岐していることから、
二つの路線を総称して“近鉄内部・八王子線”と呼ぶことが多い。
また三岐鉄道北勢線は営業距離20.4km、13駅の単線路線である。



 西日本旅客鉄道 にしにほんりょきゃくてつどう

西日本旅客鉄道株式会社は1987年4月1日に国鉄分割民営化によって誕生した、
北陸、近畿、中国地方、信越地方の一部の在来線と山陽新幹線の路線を所有する旅客鉄道会社である。
略称は「JR西日本」、コーポレートカラーは青色である。
本社所在地は大阪府大阪市北区芝田二丁目4-24、
東京本部は東京都千代田区丸の内3丁目4-1新国際ビルヂング9Fである。
支社は在来線の金沢支社、京都支社、大阪支社、和歌山支社、神戸支社、福知山支社、岡山支社、米子支社、広島支社と、
新幹線管理本部(旧新幹線総局)及び福岡支社である。
2004年3月12日に独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構保有の全株式が売却され、
JR東日本についで2番目に完全民営化を果たした。
新幹線644.0kmと在来線4,369.7kmの500線区の計5,013.7km、51線区を所有している。
2003年11月1日からICカード乗車券「ICOCA(イコカ)」のサービスを開始した。
「ICOCA」は「IC Operating CArd」の略である。
関西圏において昔から私鉄との激しい競争があり、
無理なスピードアップが2005年の福知山線脱線事故を引き起こしたとの指摘もある。

※JR西日本の「現有路線」及び「車両基地」はこちら


 日車式ブロック工法 にちしゃしきぶろっくこうほう

車両製造メーカーの日本車輌製造が開発した軽量ステンレス車両の製造法。
今までは車両の1両分の側構体を製造してから組み立てる方式がとられていたが、
その分大きなスペースが工場内に必要となり、組み立て工程での取り扱いも難しかった。
そこで側構体をいくつかのブロックに分けて別々に組み立ててから溶接する方法が編み出された。
最終工程の組み立て作業以外は狭い場所での製造が可能となり、
溶接時に継ぎ目の微調整が可能となるために寸法精度を高める効果もある。


 日南線 にちなんせん

日南線は宮崎空港線の起点駅になっている田吉までは交流電化されているものの、
大部分は非電化単線区間となっている全区間88.9kmの地方交通線である。
日南線の起点の南宮崎から内海までの区間を最初に敷設したのは宮崎軽便鉄道で、
1913年に 赤江(現・南宮崎)から内海までの全区間がが開業した。
宮崎軽便鉄道は1920年に社名を宮崎鉄道に変更、戦時政策によって宮崎鉄道は宮崎交通になる。
1962年1月に起きた土砂崩れのため一部区間が休止、同年7月1日に路線廃止となった。
油津から飫肥までの区間は宮崎県営鉄道が飫肥線として敷設した区間で、
1913年8月18日に飫肥から油津までの区間が開業した。
この時開業した飫肥は1931年9月8日に東飫肥に改称の上、新しく飫肥が延伸開業した。
これとは別に1932年8月1日に宮崎県営軌道が星倉から大藤までの区間が開業した。
宮崎県営鉄道飫肥線と宮崎県営軌道は1935年7月1日に国有化され、油津線となった。
志布志から北郷までは志布志線として開業した区間で1935年4月15日に志布志から榎原までが開業、
1936年3月1日に大堂津まで延伸、1937年4月19日に油津まで延伸、
1941年10月28日に北郷まで延伸した。
廃線となった宮崎交通の南宮崎から内海までの区間を流用して北郷までが新規に敷設され、
志布志線を編入して南宮崎から志布志までの区間が1963年5月8日に日南線として開業した。
1996年7月18日に宮崎空港線が開業し、それに併せて南宮崎から田吉までの区間が電化された。


 日本貨物鉄道 にほんかもつてつどう

日本貨物鉄道株式会社は1987年4月1日に国鉄分割民営化によって誕生した、
貨物事業専門の鉄道会社で、旅客事業会社とは違い、全国機補で事業を引き継いだ。
路線は貨物専用線のみを引き継ぎ、旅客路線と供用区間は分割された旅客会社の所有とし、
そのかわり線路使用料はアボイダブルコストを採用し、最小限に抑えている。
略称は「JR貨物」、コーポレートカラーはコンテナブルー色である。
本社所在地は東京都千代田区飯田橋3丁目13番1号、
他に北海道支社、東北支社、関東支社、東海支社、関西支社、九州支社がある。

※JR貨物の「現有路線」及び「車両基地」はこちら





 のと鉄道 のとてつどう

のと鉄道は1987年4月30日に設立された第三セクターで、
翌年3月25日に国鉄能登線を引き継いだ。
能登線は北陸本線津幡から輪島まで伸びる七尾線の穴水駅から蛸島まで延びる路線で、
国鉄の特定地方交通線として廃止が決まった。
特定地方交通線とは、「日本国有鉄道経営再建促進特別措置法」、
所謂「国鉄再建法」に規定された地方交通線の中で、
旅客輸送密度4000人未満で鉄道路線廃止バス転換が妥当とされた路線のことである。
能登線は第3次廃止対象の12路線として選定路線の1つである。
輸送密度とは1日の平均輸送人数のことである。
のと鉄道は1988年3月25日から能登線を引き継いで開業した。
蛸島は能登半島の石川県珠洲市にある駅で、能登半島の先端に近い場所まで行く。
のと鉄道は更に1991年9月1日から七尾線の一部を引き継いだ。
七尾線はJR北陸本線津幡から輪島までを結ぶ107.9kmの路線だが、
津幡から和倉温泉が電化した際、非電化区間の和倉温泉-輪島の48.4kmを引き継ぎ、
更に電化区間の七尾-和倉温泉間をJR西日本と共同使用することによって、
七尾-輪島間を開業させた。
七尾-和倉温泉間5.1kmは在来線はのと鉄道が走るが、
特急「サンダーバード」が和倉温泉まで乗り入れるために、
ふたつの鉄道会社の運賃が発生し、そのため料金の設定が複雑になっている。
能登線、七尾線を引き継いだのと鉄道だが、
1年半にして七尾線の一部である穴水-輪島間を廃止し事業を縮小、
更に論議を呼んだ設立の基礎となった能登線穴水-蛸島間も2005年4月1日に廃止、
自社路線を持たない第2種鉄道事業者となった。



 廃車 はいしゃ

本来の使用目的を終了して車籍を抹消した鉄道車両のこと。
廃車の理由については大まかに、
経年による廃車、余剰、用途消失による廃車、事故廃車などが考えられる。
解体される場合と他の事業者に譲渡される場合がある。

※「廃車&保留車 電車」はこちら
※「廃車&保留車 気動車」はこちら
※「廃車&保留車 客車」はこちら
※「廃車&保留車 貨車」はこちら


 伯備線 はくびせん

伯耆国(現在の鳥取県の一部)と備前国(現在の岡山県の一部)を結ぶ鉄道線として、
戦前の鉄道院、鉄道省によって丙線として建設された。
南北から建設が開始され、
山陰本線伯耆大山から建設が始まった伯備北線は1919年8月10日に伯耆溝口が部分開通し、
その後、徐々に延伸して192612月1日までに足立まで延伸した。
倉敷から建設された伯備南線は1925年2月17日に宍粟まで部分開通し、
その後延伸されて1927年7月31日に備中川面まで延伸された。
1928年10月25日に備中川面-足立間が開通して伯備線は全通した。



 東日本旅客鉄道 ひがしにほんりょきゃくてつどう

東日本旅客鉄道株式会社は1987年4月1日に国鉄分割民営化によって誕生した、
東北地方、関東甲信越地方の大部分、静岡県の一部の在来線と東北、上越、北陸新幹線などを所有する旅客鉄道会社である。
略称は「JR東日本」、コーポレートカラーは緑色である。
本社所在地は東京都渋谷区代々木2-2-2、
他に東京支社、横浜支社、八王子支社、大宮支社、高崎支社、水戸支社、千葉支社、仙台支社、盛岡支社、秋田支社、新潟支社、長野支社がある。
2001年1月26日に独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構保有の株式が売却され、
JRの中では一番最初に完全民営化を果たした。
所有路線は計7526.8kmでJRグループでは一番長い。
2001年11月25日からICカード乗車券「Suica(スイカ)」のサービスを開始した。
「Suica」は「Super Urban Intelligent Card」の略である。

※JR東日本の「現有路線」及び「車両基地」はこちら


 日高本線 ひだかほんせん

日高本線は苫小牧から様似までの142.5kmの非電化単線路線である。
本線とは名ばかりで、終点の様似まで行く列車は一日7本しかなく、
最終列車は静内止まりとなってしまうため、実質6本といっていい。
しかも142.5kmという長距離区間に拘わらず、
交換可能な駅は鵡川、日高門別、静内、本桐の4駅しかない。
このことからも以下に列車本数が少ないかが伺える。
当初の予定では様似から襟裳岬を通って広尾、帯広まで結ぶ予定であった。
しかし日高本線は様似まで、
帯広から広尾までは広尾線が開通していたがこれも既に廃止になっている。
それでも様似から襟裳岬に向かうバスが接続しているため、
観光路線としても成立している。
日高本線は苫小牧軽便鉄道、日高拓殖鉄道の二つの軽便鉄道が礎となっている。
苫小牧軽便鉄道は苫小牧の王子製紙にパルプの原料となる木材を運搬するために、
鵜川から馬車鉄道が敷設されたのに始まり、1913年に正式に設立された。
設立の2年前には蒸気鉄道に変更、佐瑠太(現・富川)まで延伸されている。
日高拓殖鉄道は1923年3月に設立され、
翌年には佐瑠太(現・富川)-厚賀間が開業、1926年に静内まで延伸された。
1927年8月1日にこの二つの軽便鉄道は国有化され、日高線となった。
1933年12月15日には日高三石、1935年10月24日には浦河
そして1937年8月10日に様似まで延伸して全通した。
戦時中の1943年11月1日に日高本線に改称された。


 日立電鉄 ひたちでんてつ

2005年3月まで日立電鉄線を営業していた鉄道会社である。
1927年7月30日に常北電気鉄道として設立され、
翌年12月27日に大甕-久慈(現・久慈浜)間が開業、
1929年7月3日には常北太田駅まで延伸した。
1941年に日立製作所の傘下に入り、1944年7月31日に日立バスと合併し、日立電鉄に改称する。
大甕-鮎川間が開業したのは戦後になってからの1947年9月1日になってからである。
利用客の減少や設備更新の経費が捻出できないことなどから、
2005年4月1日に全線が廃止された。
同年10月1日に日立電鉄バス、日立電鉄観光、日立電鉄サービスを統合して日立電鉄交通サービスを設立、
日立電鉄は日立電鉄交通サービスの持ち株会社となった。

 日立電鉄線/常北太田-鮎川18.1km




 ヘッドマーク へっどまーく

列車の愛称名を表示するために前面に取り付けられるもの。
かつては板状の愛称板を使用する事が多かったが、
近年では方向幕を使用したものも出てきて、運転席内から変更することが可能になった。
またJR化以降、デジタル表示による愛称名の表示をする車両も登場している。

※ヘッドマーク&トレードマークコレクションはこちら



 豊肥本線 ほうひほんせん

豊肥本線は大分から熊本を結ぶ九州を横断する路線で、148.0kmの単線路線で、
熊本から肥後大津までが交流電化され、肥後大津から大分までは非電化区間となっている。
豊肥本線は大分から玉来までは犬飼軽便線として敷設、宮地から熊本までは宮地軽便線として敷設され、
両線を繋いで豊肥本線となった地方交通線で、一部にはスイッチバックもある。
1914年4月1日に犬飼軽便線として大分から中判田間が部分開業、
1916年9月1日には竹中まで延伸、1917年7月20日には犬飼まで延伸、
1921年3月27日には三重町まで延伸した。
犬飼軽便線は1922年9月2日に犬飼線に改称、同年11月23日には緒方まで延伸、
1923年12月20日には朝地まで延伸、1924年10月15日には豊後竹田間まで延伸、
1925年11月30日には玉来まで延伸して犬飼線としては全通した。
一方、熊本側からは1914年6月21日に宮地軽便線として肥後大津まで部分開業、
1916年11月11日には立野まで延伸、1918年1月25日には宮地まで延伸した。
宮地軽便線も1922年9月2日に宮地線に改称されている。
1928年2月12日には立野から高森までの区間も開業している。
同年12月2日には犬飼線と宮地線を結ぶ区間が開業、両線を併せて豊肥本線と改称された。
この時宮地線の支線であった立野から高森までの区間は高森線として分離されたが、
1986年4月1日に高森線は廃止され、第三セクターの南阿蘇鉄道が継承している。


 北陸鉄道浅野川線 ほくりくてつどうあささのかわせん

北陸鉄道は石川線と浅野川線のふたつの路線を所有するが、
このふたつの路線は接続しておらず、独立した路線である。
しかも使用されている車両が浅野川線では元京王3000系を使用しているため、
東急7000系を使用している石川線とは同じ鉄道とは思えないほど、
イメージを異にしている。
北鉄金沢駅は地下に設置されており、
金沢駅東口の「もてなしドーム」には地下へのエスカレーターが設置されている。
北陸鉄道には無料急行という設定があり、ほぼ一駅飛ばしで運行される。


 北陸鉄道石川線 ほくりくてつどういしかわせん

北陸鉄道はふたつの鉄道路線を有するが、
前回金沢に来た時に取材した浅野川線がJR北陸本線の北側に延びるのに対し、
石川線は南側に延び、この新西金沢駅で接続するものの、
JR北陸本線とは基本的に独立した線形を描く。
その一つの終点の野町駅まで行く。
北陸鉄道石川線は元東急の7000系を譲り受けて2両編成化して使用している。
そのため東急7000系の前面のデザインをそのまま残している車両と、
中間車両に運転台を新設した車両とが存在する。
東急7000系は貫通扉が存在するが、
運転台を新設した車両は貫通扉はなく、妻切り型の正面を覆って窓を付けただけの、
ちょっとのっぺりとした印象の車両である。
この車両に乗って終点の野町まで行き、ここで駅取材する。
東急7000系は片側3扉車だが北陸鉄道石川線ではそれ程乗客も多くないため、
まん中の扉は開かなくなっている。


 北海道旅客鉄道 ほっかいどうりょきゃくてつどう

北海道旅客鉄道株式会社は1987年4月1日に国鉄分割民営化によって誕生した、
北海道全域と青函トンネル、JR東日本との境界域の青森県内に路線を所有する旅客鉄道会社である。
略称は「JR北海道」、コーポレートカラーは萌黄色である。
本社所在地は北海道札幌市中央区北11条西15丁目1番1号。
他に釧路支社、旭川支社、函館支社がある。
形態は株式会社だが、株式は独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構が100%保有しており、
完全民営化はされていない。
国鉄分割民営化時には鉄道路線は21路線、3,176.6kmを引き継いだが、
8路線、764.0kmを廃止し、新たに2路線、90.4kmを開業、線路付け替え等により3.2km減となっている。
現在は14路線、2,499.8kmを保有している。
2008年10月25日からICカード乗車券「Kitaca(キタカ)」のサービスを開始した。
「JR北海道の“北(きた)”のICカード」の意味である。

※JR北海道の「現有路線」及び「車両基地」はこちら



 マヤ検 まやけん

軌道検測車「マヤ34」によって軌道を検測すること。
「マヤ34」は1959年から1981年にかけて製造された軌道検測用の車両である。
10系客車をベースにした17m級車で、走行振動を抑えるような工夫がされている。
1959年に1が東急車輌で作られ、これは1967年に耐寒耐雪化工事を施されて北海道用2501となった。
2002から2010は日立製作所で作られた。
検測項目は軌間、水準、通り、高低、平面性、動揺の6項目で「マヤチャート」と呼ばれる記録紙に記録する。
国鉄分割民営化後、2501は廃車され、2002から2004の3両がJR東日本、2005、2007がJR西日本、
2006がJR四国、2008がJR北海道、2009がJR九州、2010がJR東海に引き継がれた。
老朽化や新型の軌道検測車の登場で活躍の場が次第に失われ、
1998年にJR東海の2010が廃車、2004年にJR東日本の2002、2003、
2007年にJR西日本の2005、2007が廃車になった。
現存するのはJR北海道札幌運転所の2008、JR東日本尾久車両センターの2004、
JR九州熊本車両センターの2009に在籍している。


 マレー式 まれーしき

マレー式は、関節蒸気機関車の様式のひとつで、スイスの技師アナトール・マレーによって考案された。
蒸気機関車で1個のボイラーに対して、2組の走行装置を持つ機関車のことである。
動輪が2組あるため、シリンダーが前後で高圧と低圧の2つを備えており、左右合わせて4つある。
駆動輪の数が多いために高出力で、駆動軸間の距離も短いために横圧が小さく急曲線にも対応出来る。
急勾配や曲線の多い山岳路線に適している。
しかし構造が複雑で製造費が高く、また保守点検も困難なために日本ではあまり使用されなかった。

4500型 マッファイ社(独)製/日本鉄道が購入→国有化 1両
4510型 マッファイ社(独)製/北海道鉄道が購入→国有化 1両
9020型 アメリカン・ロコモティブ(アルコ)社(米)製 6両
9750型 アメリカン・ロコモティブ社(米)製 24両
9800型 ボールドウィン社(米)製 18両
9850型 ヘンシェル・ウント・ゾーン社(独)製 12両



 水島臨海鉄道 みずしまりんかいてつどう

水島臨海鉄道は倉敷市交通局から譲渡された鉄道路線を有する第三セクター鉄道である。
水島本線などの鉄道線はもともと水島工業都市開発が所有したもので、
1952年に倉敷市交通局が発足してこれを継承、
この路線を継承するため国鉄や倉敷市などの出資で水島臨海鉄道は1970年2月2日に設立された。
1970年4月1日に倉敷市交通局の市営鉄道線全線を譲渡されて営業を開始したが、
その当時は貨物線のみで、旅客営業を開始したのは1972年9月18日である。
現在でも倉敷市から三菱自工前までの旅客営業線のほか、貨物専用線もいくつか存在する。





 モノレール ものれーる

モノレールは1本の軌条を使用する交通機関として誕生した。
2本のレールを使用する一般的な鉄道に対する意味で、
「一つのレール」という意の名称が付けられている。
一般的にレール上に車両を跨がせて走る跨座式と、
レールからぶら下がる懸垂式に分類される。
日本では跨座式が6路線、懸垂式が4路線の10路線が存在する。

東京モノレール羽田線17.8km(跨座式/アルヴェーグ式)
東京都交通局 - 上野懸垂線 0.3km (懸垂式:上野式)
多摩都市モノレール - 多摩都市モノレール線 16.0km (跨座式:日本跨座式)
千葉都市モノレール - 1号線 3.2km 2号線 12.0km (懸垂式:サフェージュ式)
舞浜リゾートライン - ディズニーリゾートライン線 5.0km (跨座式:日本跨座式)
湘南モノレール - 江の島線 6.6km (懸垂式:サフェージュ式)
大阪高速鉄道 - 大阪モノレール線 21.2km 国際文化公園都市線 6.8km (跨座式:日本跨座式)
スカイレールサービス - 広島短距離交通瀬野線 1.3km (懸垂式:ロープ駆動懸垂式)
北九州高速鉄道 - 小倉線 8.8km (跨座式:日本跨座式)
沖縄都市モノレール - 沖縄都市モノレール線 12.9km (跨座式:日本跨座式)




 湯前線 ゆのまえせん

湯前線は肥薩線人吉から湯前を結ぶ路線で、改正鉄道敷設法で人吉から杉安まで計画され、
1924年3月30日に人吉から湯前までの区間が敷設された。
その先杉安まで計画されていたが延伸されることなく、
1987年2月3日に第3次特定地方交通線として廃止承認、
国鉄分割民営化後にJR九州に転換されたのち、
1989年10月1日に第三セクターのくま川鉄道に転換された。
本来はさらに日豊本線砂土原から杉安まで敷設されていたと接続する予定だったが、
妻線も1981年9月18日に第1次特定地方交通線として廃止承認され、
第三セクターに継承されることもなく1984年12月1日に全線廃止、バス路線に転換された。




 ライトレール らいとれーる

多くは超低床の新型軽量車両を用いた都市内交通のことで、
「Light Rail Transit」の略で「LRT」などと云われる。
日本語に訳せば「軽量軌道交通」となるものである。
海外では多少意味合いが異なるが、日本では「路面電車」と混同されることもある。
現在、超低床車両のみによる運行を行っているのは東急世田谷線と富山ライトレールだけで、
多くの日本の軌道線は超低床車両を一部に導入しているところはあるものの、
旧来の車両と共同使用が多く、その効果を発揮できないでいる路線がほとんどである。
しかし既存の軌道線、路面電車の将来的なあり方として注目されている。
路面電車、ライトレールの詳細については拙作「ライトレールの時代」を参考にされたい。

「ライトレールの時代」
http://lightrail.nekonikoban.org/



 陸上交通事業調整法 りくじょうこうつうじぎょうちょうせいほう

日中戦争が開戦し戦時体制が色濃くなった1938年(昭和13年)8月に施行された、
鉄道、バス会社の整理統合の政策的促進を図るための法律である。
当時乱立気味であった日本の交通機関は他社との競合や昭和恐慌による経営悪化を招いた。
都市圏の交通機関は大手私鉄による吸収合併が進んでいたが、利益優先のあまり疑獄事件にも発展する種々の問題を孕んでいた。
そのため苦心する交通事業者は政府に交通統合を正当化する法律の立法を求め、要請を受けた政府は同法を制定した。
当時日本は日中戦争に突入し戦時体制になりつつあったため
国家総動員法による国家統制と見られがちだがそれとは趣旨の異なるものであった。
同法の制定後「交通事業調整委員会」が設置され、
審議の結果同法を適用する地域として東京市及びその周辺、大阪市及びその周辺、富山県、香川県、福岡県の5地域が指定された。

※陸上交通事業調整法の詳細はこちら







参考資料

 書籍

伊藤久巳「よくわかる鉄道知識」イカロス出版、2002年11月出版
谷藤克也監修「史上最強カラー図解 プロが教える電車のメカニズム」ナツメ社、2011年3月出版


 雑誌

「JR列車リバイバル傑作選・各駅停車編58頁~85頁『JRローカル車両のすべて』」鉄道ジャーナル社、2002年6月出版
「鉄道ファン2001年5月『変化する首都圏のJR通勤形電車』2001年5月発行、第41巻5号 通巻481号
「鉄道ファン2002年3月号『JR特急BOX』」交友社、2002年3月1日発行、第42巻第3号通巻491号
「鉄道ダイヤ情報2002年3月号『165系列直流電車最前線 国鉄新性能電車の名脇役はいま』」交通新聞社、2002年3月1日発行、第31巻第3号通巻234号
「鉄道ファン2003年3月号『国鉄型特急電車2003』」交友社、2003年3月1日発行、第43巻第3号通巻503号
「鉄道ファン2003年3月号『POST』」交友社、2003年3月1日発行、第43巻第3号通巻503号
「鉄道ファン2003年4月号『JR機関車2003』」交友社、2003年4月1日発行、第43巻第4号通巻504号
「鉄道ファン2004年2月号『ブルートレイン大辞典』」交友社、2004年2月1日発行、第44巻第2号通巻514号
「鉄道ファン2004年3月号『POST』」交友社、2004年3月1日発行、第44巻第3号通巻515号
「鉄道ファン2004年3月号『REPORT JR貨物・門司機関区のディーゼル機関車』」交友社、2004年4月1日発行、第44巻第4号通巻516号
「鉄道ファン2005年7月号『JR各社の車両配置表平成17年4月1日現在』」交友社、2005年7月1日発行、第45巻第7号通巻531号
「鉄道ファン2006年7月号『省形電気機関車出生の記録1』」交友社、2006年7月1日発行、第46巻第7号通巻543号
「鉄道ファン2006年8月号『省形電気機関車出生の記録2』」交友社、2006年8月1日発行、第46巻第8号通巻544号
「鉄道ファン2006年9月号『省形電気機関車出生の記録3』」交友社、2006年9月1日発行、第46巻第9号通巻545号
「鉄道ファン2006年10月号『省形電気機関車出生の記録4』」交友社、2006年10月1日発行、第46巻第10号通巻546号
「鉄道ファン2006年12月号『省形電気機関車出生の記録5』」交友社、2006年12月1日発行、第46巻第12号通巻548号
「鉄道ファン2007年1月号『省形電気機関車出生の記録6』」交友社、2007年1月1日発行、第47巻第1号通巻549号
「鉄道ファン2007年2月号『省形電気機関車出生の記録7』」交友社、2007年2月1日発行、第47巻第2号通巻550号
「鉄道ファン2007年3月号『省形電気機関車出生の記録8』」交友社、2007年3月1日発行、第47巻第3号通巻551号
「鉄道ファン2007年4月号『省形電気機関車出生の記録9』」交友社、2007年4月1日発行、第47巻第4号通巻552号
「鉄道ファン2007年5月号『省形電気機関車出生の記録10』」交友社、2007年5月1日発行、第47巻第5号通巻553号
「鉄道ファン2007年6月号『省形電気機関車出生の記録11』」交友社、2007年6月1日発行、第47巻第6号通巻554号
「鉄道ファン2007年7月号『省形電気機関車出生の記録12』」交友社、2007年7月1日発行、第47巻第7号通巻555号
「鉄道ファン2007年8月号『省形電気機関車転身の記録1』」交友社、2007年8月1日発行、第47巻第8号通巻556号
「鉄道ファン2007年10月号『省形電気機関車転身の記録3』」交友社、2007年10月1日発行、第47巻第10号通巻558号
「鉄道ファン2009年7月号『JR各社の車両配置表平成21年4月1日現在』」交友社、2009年7月1日発行、第49巻第7号通巻579号
「鉄道ファン2009年2月号『日本海縦貫線にEF81を追う』」交友社、2009年2月1日発行、第49巻第2号通巻574号
「鉄道ファン2009年7月号『最終章を迎えた国鉄D形交流電気機関車~その1~』」交友社、2009年7月1日発行、第49巻第7号通巻579号
「鉄道ファン2009年4月号『JR「F」ブランドの国鉄形機関車 続編』」交友社、2009年4月1日発行、第49巻第4号通巻576号
「鉄道ファン2009年4月号『北の大地を駈けるDD51』」交友社、2009年4月1日発行、第49巻第4号通巻576号
「鉄道ファン2009年8月号『田端のEF81~その運用について~』」交友社、2009年8月1日発行、第49巻第8号通巻580号
「鉄道ファン2009年8月号『最終章を迎えた国鉄D形交流電気機関車~その2~』」交友社、2009年8月1日発行、第49巻第8号通巻580号
「鉄道ファン2009年8月号『JR特急形電車最新カタログ』」交友社、2009年8月1日発行、第49巻第8号通巻580号
「鉄道ファン2009年8月号『最終章を迎えた国鉄D形交流電気機関車~その2~』」交友社、2009年8月1日発行、第49巻第8号通巻580号
「鉄道ファン2009年10月号『旅客会社のEF65PF形』」交友社、2009年10月1日発行、第49巻第10号通巻582号
「鉄道ファン2009年12月号『DD51 近況報告』」交友社、2009年12月1日発行、第49巻第12号通巻584号
「鉄道ファン2011年10月号『EF64・EF65Pダイヤ改正後の近況』」交友社、2011年10月1日発行、第51巻第10号通巻606号
「鉄道ファン2012年4月号『貨物牽引用DD51 最新の動向』」交友社、2012年4月1日発行、第52巻第4号通巻612号
「鉄道ファン2013年9月号『DD51形「西日本組」のわだい』」交友社、2013年9月1日発行、第53巻第9号通巻629号
「鉄道ファン2014年10月号『DD51[愛]の今』」交友社、2014年10月1日発行、第54巻第10号通巻642号
「鉄道ファン2014年12月号『EF81 81[田]お召塗装に復帰!』」交友社、2014年12月1日発行、第54巻第12号通巻644号
「鉄道ファン2014年12月号『富山機関区 注目の電機を狙って』」交友社、2014年12月1日発行、第54巻第12号通巻644号
「鉄道ファン2015年3月号『トワイライト&北斗星の四半世紀』」交友社、2015年3月1日発行、第55巻第3号通巻647号
「鉄道ファン2015年4月号『さらば!北海道の貨物用DD51』」交友社、2015年4月1日発行、第55巻第4号通巻648号
「鉄道ファン2015年7月号『JR会社間の譲渡車両』」交友社、2015年7月1日発行、第55巻第7号通巻651号


 ホームページ

フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」http://ja.wikipedia.org/
「ライトレールの時代」http://reiringono.hp.infoseek.co.jp/
十和田観光電鉄 http://www.toutetsu.co.jp/
国土交通省 http://www.mlit.go.jp/
東日本旅客鉄道株式会社http://www.jreast.co.jp/
東海旅客鉄道株式会社 http://www.jr-central.co.jp/


 パンフレット

JR東日本列車カタログ1999-2000(JR東日本営業部)
九州新幹線800系つばめ(JR九州)
小樽市総合博物館本館(小樽市)


 その他

梅小路蒸気機関車館パンフレット
九州鉄道記念館パンフレット
青梅鉄道公園パンフレット
鉄道博物館フロアガイド
交通博物館(秋葉原、東京)の展示資料



REI RINGONO Railway Encyclopedia
All rights reserved,
Copyright (C) Semisweet Apple Company and REI RINGONO 2012-2017