電気機関車 解説


 電気機関車の形式

国鉄時代の電気機関車の形式の付け方は、
最初のアルファベットの“E”はElectricのことで、つまり電気機関車を表す。
次のアルファベットは駆動軸数を表す。
駆動軸とは動力が伝わる車軸のことで、片面の車輪の数で確認できる。
アルファベットの順番で駆動軸数を表し、Dは4軸、Fは6軸を表す。
次の2桁の数字は最高速度と交流、直流などの電流の種類を表す。
10から49は最高速度が85km/h以下で、
10から29が直流、30から39が交直流、40から49が交流を表す。
50から89か゜最高速度85km/h以上で、
50から69が直流、70から79が交流、80から89が交直流を表す。
また90台は試作車を表すようになっている。

国鉄分割民営化後に主にJR貨物が製造する機関車からは、
3桁の数字を用いるようになる。
電気機関車を表す“E”と駆動軸数については国鉄時代と同じである。
JR化後は2両連接で合計8軸のHが登場している。
JRでは最高速度ではなく、主電動機の種類によって区分している。
100から399が直流で、
100番台が直流電動機、200番台が交流電動機、300番台はその他になる。
400から699は交直流で、
400番台は直流電動機、500番台が交流電動機、600番台はその他になる。
700から999は交直流で、
700番台は直流電動機、800番台が交流電動機、900番台はその他になる。
100から399に付いては電気式ディーゼル機関車についても同じである。


 国鉄直流形電気機関車


 EC40形電気機関車

EC40形電気機関車は信越本線横川−軽井沢間のためにドイツより輸入された、
アプト式直流電気機関車である。
AEGとエスリンゲン社の合作である。
横川−軽井沢は急勾配のため、レールの間にラックレールを敷き、
車体の下の歯車でラックレールを噛んで走るアプト式が採用されている。
電気方式は直流600Vで、電動機形式はMT3A形×2基で、軸配置はCbである。
輸入時は10020形であったが、1928年10月の車両形式称号規定改正により、
EC40形に改番された。

1911年に製造され、1912年に12両が輸入された。

 ED11形電気機関車

ED11形電気機関車は東海道本線電化に合わせて、
アメリカのゼネラル・エレクトリック社で1922年10月に製造され、
1923年に鉄道省によって輸入された直流電気機関車である。
電気方式は直流1500Vで、電動機形式はMT8形×4基、
最高速度は65km/h、軸配置B+B1ある。
輸入時は1010形であったが、1928年10月の車両形式称号規定改正により、
ED11形に改番された。

アメリカのゼネラル・エレクトリック社で2両が製造された。


 ED16形電気機関車

ED16形電気機関車は中央本線や上越線の電化に合わせて、
EF2形を基本に低速形中速機として誕生した直流電気機関車である。
電気方式は直流1500Vで、電動機形式はMT17形×4基、
最高速度は65km/h、軸配置1B+B1である。

1931年に18両が製造された。


 ED17形電気機関車

ED17形電気機関車は旅客用電機のED13形、ED50形、ED51形、ED52形などから、
貨物牽引用に改造され誕生した直流電気機関車である。
電気方式は直流1500Vで、電動機形式はMT6A形×4基、軸配置B+Bである。
改造種車のED13形はパケット・アンド・サンズ社(英)製で1924年製造の2両、
ED50形は電気部分は英国電気製、機械関係はノース・ブリティッシュ社製で1923年製造の17両、
ED51形は英国電気製で1925年製造の3両、
ED52形は電気部分は英国電気製、機械関係はノース・ブリティッシュ社製で1923年製造の6両である。

1930年から1950年にかけて1から17、19から28の27両が改造された。


 ED40形電気機関車

ED40形電気機関車は信越本線横川−軽井沢間のために製造された、
アプト式直流電気機関車である。
横川−軽井沢は急勾配のため、レールの間にラックレールを敷き、
車体の下の歯車でラックレールを噛んで走るアプト式が採用されている。
電気方式は直流600Vで、最高速度は25km/h、ラックレール区間は18km/hである。
電動機形式はMT3A形×2基で、軸配置はDbである。
製造時は10020形であったが、1928年10月の車両形式称号規定改正により、
ED40形に改番された。

1919年から1923年にかけて14両が製造された。


 ED41形電気機関車

ED41形電気機関車は信越本線横川−軽井沢間のためにスイスより輸入された、
アプト式直流電気機関車である。
ブラウン・ボベリ社(スイス)とスイス・ロコモティブ・アンド・マシン・ワークスの合作である。
横川−軽井沢は急勾配のため、レールの間にラックレールを敷き、
車体の下の歯車でラックレールを噛んで走るアプト式が採用されている。
ED42形電気機関車製造のためのプロトタイプに位置づけられる。
電気方式は直流600Vで、電動機形式はMT21形×3基、軸配置はB-b-Bである。
製造時は10040形であったが、1928年10月の車両形式称号規定改正により、
ED41形に改番された。

1926年に2両が輸入された。


 ED42形電気機関車

ED42形電気機関車は信越本線横川−軽井沢間のために製造された、
アプト式直流電気機関車である。
横川−軽井沢は急勾配のため、レールの間にラックレールを敷き、
車体の下の歯車でラックレールを噛んで走るアプト式が採用されている。
電気方式は直流600Vで、電動機形式はMT27形×3基、軸配置はB-b-Bである。

1934年から1948年にかけて28両が製造された。


 ED62形電気機関車

ED62形電気機関車はED61形を飯田線に投入するために、
改造によって誕生した中形直流電気機関車である。
軸重の軽減を目的に改造された。
電気方式は直流1500Vで、電動機形式は直流直巻MT49形×4基である。
軸配置はBo+1+Boである。

1974年から1979年にかけて1から18の18両が改造された。


 EF10形電気機関車

EF10形電気機関車はEF53形電気機関車を基本に貨物列車牽引用に製造した直流電気機関車である。
電動機形式はMT28形、軸配置は1C-C1である。

1934年から1942年にかけて1から41の41両が製造された。


 EF11形電気機関車

EF11形電気機関車はEF10形電気機関車を基本に電力回生ブレーキを搭載した、
勾配区間用の貨物列車牽引用の直流電気機関車である。
最高速度は75km/で、電動機形式はMT28形、軸配置は1C-C1である。

1935年から1937年にかけて1から4の4両が製造された。


 EF12形電気機関車

EF12形電気機関車はEF10形電気機関車の出力増強した貨物列車牽引用の直流電気機関車である。
最高速度は75km/で、電動機形式はMT39形、軸配置は1C-C1である。

1941年から1942年にかけて1から17の17両が製造された。


 EF13形電気機関車

EF13形電気機関車はEF12形電気機関車を簡素化して製造された戦時対応の貨物列車牽引用の直流電気機関車である。
最高速度は65km/で、電動機形式はMT39形×6基、軸配置は1C-C1である。

1944年から1947年にかけて1から31の31両が製造された。


 EF14形電気機関車

EF14形電気機関車はEF52形電気機関車を低速運転用に改造した直流電気機関車である。
最高速度は95km/で、電動機形式はMT17形×6基、軸配置は2C-C2である。

1944年から1945年にかけて1から2の2両が改造された。


 EF15形電気機関車

EF15形電気機関車は貨物列車牽引用に製造された直流電気機関車である。
旅客列車牽引用のEF58形電気機関車と主要部品が共通化されている。
電気方式は直流1500Vで、最高速度は75km/h、電動機形式はMT42形×6基である。
軸配置は1C+C1である。

1947年から1958年の1から202の202両が製造された。


 EF16形電気機関車

EF16形電気機関車はEF15形電気機関車のブレーキを改造して、
勾配区間用に改造された直流電気機関車である。
電気方式は直流1500Vで、最高速度は75km/h、電動機形式はMT41形×6基である。
軸配置は1C+C1である。

基本番台は1951年から1952年にかけて1から22の22両が改造された。
20番台は1955年から1957年にかけて20から31の12両が改造された。


 EF52形電気機関車

EF52形電気機関車は国産電気機関車の標準形として計画された直流電気機関車である。
最高速度は95km/で、電動機形式はMT17形×6基、軸配置は2C-C2である。

1928年から1931年にかけて1から9の9両が製造された。


 EF53形電気機関車

EF53形電気機関車はEF52形電気機関車をベースに製造された、
デッキのついた直流電気機関車である。
最高速度は95km/で、電動機形式はMT17A形×6基、軸配置は2C-C2である。

1932年から1934年にかけて1から19の19両が製造された。


 EF54形電気機関車

EF54形電気機関車はEF52形電気機関車を高速運転用に改造した直流電気機関車である。
最高速度は95km/で、電動機形式はMT17形×6基、軸配置は2C-C2である。

191931年に1から2の2両が改造された。


 EF55形電気機関車

EF55形電気機関車は1936年に誕生した流線形のフォルムを持つ直流形電気機関車である。
電気方式は直流1500Vで、最高速度は95km/h、電動機形式はMT28A形×6基である。
軸配置は2C+C1である。
1エンドは流線形だが2エンドは妻切り形となっていて、方向転換には転写台が必要となるなど、
運用は限定的で3両しか製造されなかった。

1936年に3両が製造された。


 EF56形電気機関車

EF56形電気機関車はEF53形電気機関車をベースに製造された、
蒸気発生装置を搭載して旅客列車に対応した直流電気機関車である。
電気方式は直流1500Vで、最高速度は95km/h、電動機形式はMT17A形×6基、軸配置は2C-C2である。

1937年から1940年にかけて1から12の12両が製造された。


 EF57形電気機関車

EF57形電気機関車はEF56形電気機関車の出力を増強し1号機として登場した、
蒸気発生装置を搭載した旅客列車牽引用の直流形電気機関車である。
直流電気機関車である。
2号機以降もこの形式によって製造された。
電気方式は直流1500Vで、最高速度は95km/、電動機形式はMT38形×6基、
軸配置は2C+C2である。

1940年から1943年にかけて1から15の15両が製造された。


 EF58形電気機関車

EF58形電気機関車は旅客列車牽引用の直流形電気機関車である。
電気方式は直流1500Vで、最高速度は100km/hで電動機形式はMT42×6基である。
軸配置2C+C2である。

初期形

1946年から1948年にかけて1から31の31両が製造された。

欠番

製造中の32から34は完成直前に製造中断され、その後貨物用直流機であるEF18形に改造された。

改良形

1952年から1958年にかけて35から175の141両が製造された。


 EF59形電気機関車

EF59形電気機関車は山陽本線の瀬野−八本松間にある急勾配を通過するために、
EF53形電気機関車を改造して19両が登場した直流電気機関車である。
のちにEF56形電気機関車から5両が追加で改造された。
電気方式は直流1500Vで、最高速度は95km/、
電動機形式は1から12がMT17形×6基、13から24がMT17A形×6基である。
軸配置は2C+C1である。

1964年から1968年にかけて1から24の24両が改造された。


 EF60形電気機関車

EF60形電気機関車は平坦路線向けに開発された直流用電気機関車である。
基本番台は貨物列車用、500番台は旅客列車用である。
最高速度は基本番台1次形は90km/h、基本番台2次形、3次形と500番台は100km/hで、
電動機形式は基本番台1次形がMT49B×6基、基本番台2次形、3次形と500番台はMT52形×6基である。
軸配置はB-B-Bである。

試作機

1960年に1と2の2両が製造された。

基本番台

1960年から1964年にかけてに3から129の119両が製造された。

500番台

1963年から1964年にかけて501から514の14両が製造された。


 EF61形電気機関車

EF61形電気機関車は旅客車牽引用製造された直流用電気機関車である。
EF60形をベースに暖房用蒸気発生装置や旅客車牽引に不要な機器の省略などの改造を加えた。
1961年に新造された基本番台18両とEF60形から改造された200番台8両が存在する。
最高速度は95km/h、電動機形式はMT49B直流直巻電動機×6基、軸配置はBo-Bo-Boである。

基本番台

1961年に1から18の18両が製造された。

200番台

1977年にEF60形から8両が改造された。


 EF62形電気機関車

EF62形電気機関車は信越本線横川−軽井沢間の急勾配区間を通過することを想定して、
粘着運転のための機関車として製造された直流電気機関車である。
またEF63形電気機関車との協調運転が可能なように設計されている。
電気方式は直流1500Vで、最高速度は100km/hで電動機形式はMT52形×6基である。
軸配置はC-Cである。

試作機は1962年に1の1両が製造され、
そのあと1963年と1969年に2から53の52両が製造された。


 EF63形電気機関車

EF63形電気機関車は信越本線横川−軽井沢間の急勾配区間通過の補助機として、
EF60形をベースに開発された直流形電気機関車である。
それまでアプト式を採用されていた横川−軽井沢区間で、
66.7‰の急勾配を粘着運転で通過されるために開発され、横川方に重連で連結される。
また電車との連結運転のため、軽井沢方に双頭連結器が装備され、
また使用される列車には協調運転機能を装備した169系、189系、489系などを使用する。
電気方式は直流1500Vで、最高速度は100km/hで電動機形式はMT52形×6基である。
軸配置B-B-Bの2軸ボギー台車3台である。

試作機は1962年に1の1両が製造され、
そのあと1963年から1976年までに2から25の24両が製造された。


 EF64形電気機関車

EF64形電気機関車は国鉄時代に勾配線区向けに製造された直流電気機関車である。
最高速度は115km/hで電動機形式はMT52である。
軸配置B-B-Bの2軸ボギー台車3台である。

基本番台

1964年から1976年にかけて1から79の79両が製造された。

1000番台

1980年から1982年にかけて1001から1053の53両が製造された。


 EF65形電気機関車

EF65形電気機関車は国鉄時代に平坦区間向けに製造された直流電気機関車である。
電気方式は直流1500Vで、最高速度は110km/hで電動機形式はMT52A6基である。
軸配置B-B-Bの2軸ボギー台車3台にそれぞれ主電動機を2台ずつ装架する抵抗制御方式の直流電気機関車である。

基本番台

1965年から1970年にかけて1から135の135両が製造された。
非貫通式運転台である。

500番台P形

高速旅客列車牽引用として1965年から1966年にかけて、
501から512、527から531の17両が新造された。
また1968年に基本番台最新77から84の5両から改造され、535から542が誕生した。
P形は「旅客」の「Passenger」の意味の頭文字である。

500番台F形

高速貨物列車牽引用として1965年から1966年にかけて、
513から526、532から534の17両が新造された。
F形は「貨物」の「Freight」の意味の頭文字である。

1000番台PF形

旅客客列車と貨物列車の両方に使用できる汎用機として1969年から1979年にかけて、
1001から1139の139両が製造された。
1969年から1972年にかけて造られた1001から1055が前期形、
1976年から1979年にかけて造られた1056から1139は後期形と呼ばれる。
標準で重連総括制御機能を備え、寒冷地での重連使用を考慮して貫通扉を備えている。

2000番台

国土交通省鉄道に関する技術上の基準を定める省令によって100km/hを超える運転を行う際に新たな保安装置の搭載が義務付けられ、
この装置の搭載の有無を区別するため、保安装置搭載のJR貨物所属の1000番台に対して1000を加算して2000番台とする措置が取られた。

基本番台131から135が山陽本線瀬野−八本松間の急勾配、通称セノハチ専用の補助機として、
EF67形101から105に改造された。


 EF66形電気機関車

EF66形電気機関車は国鉄時代に平坦区間向けに製造された直流電気機関車である。
電気方式は直流1500Vで、最高速度は110km/hで電動機形式は直流直巻電動機MT56、6基である。
軸配置B-B-Bの2軸ボギー台車3台にそれぞれ主電動機を2台ずつ装架する抵抗制御方式の直流電気機関車である。

基本番台

東海道、山陽本線系統の高速貨物列車専用機として、
1968年から1974年にかけて1から55の55両が製造された。
1968年から1969年に製造された1から20が1次車、
1973年から1974年に製造された21から55が2次車である。
1985年3月14日のダイヤ改正から寝台列車牽引に2次車が一部転用されていた。
現在は定期寝台列車での運用はない。

100番台

国鉄分割民営化後、JR貨物によって増備された。
1989年から1991年にかけて101から133の33両が製造された。
前面形状が変更されている。

そのほか、1966年に試作機として製造したEF90形が量産化改造され、901に編入された。

 EF67形電気機関車

EF67形電気機関車は山陽本線の瀬野−八本松間にある急勾配を通過するために、
貨物列車に連結する補機として開発された直流電気機関車である。
瀬野−八本松間は大山峠、通称“瀬野八”と呼ばれる22.6‰の急勾配で、
通過する場合には蒸気機関車時代から補機が必要であった。
軸配置はB-B-Bで、最高速度は100km/hである。

基本番台

1982年にEF60形から3両が1から3に改造された。

100番台

19990年にEF65形から5両が101から105に改造された。

 国鉄交直流形電気機関車


 ED46形電気機関車

ED46形電気機関車は常磐線取手−藤代間に設けられたデッドセクション通過の試験機として、
1959年に日立製作所で造られた交直流電気機関車である。
直流1,500Vと交流20000V、50Hzの電源方式に対応している。
最高速度は100Km/h、電動機は直流直巻電動機MT913形である。
軸配置はB-B、台車はDT112形である。
2段組み合わせ弱界磁制御を採用している。

1959年に1の1両が製造された。


 EF30形電気機関車

EF30形電気機関車は直流電化されている関門トンネルから、
交流電化された鹿児島本線へ直通できるように設計された交直流電気機関車である。
関門トンネル内の22‰勾配を重連で1,200t貨物列車の牽引が可能な性能を有している。
直流1,500Vと交流20000V、60Hzの電源方式に対応している。
最高速度は直流区間85Km/h、交流区間35km/h、
電動機は1号機が直流直巻電動機MT102形×6基、2号機以降が直流直巻電動機MT51形×6基である。
軸配置はB-B-Bの2軸台車3台で両端はDT117形、中間はDT118形で、
直並列制御、バーニア抵抗制御を採用している。

試作機は1960年に1の1両、量産機は1961年から1968年にかけて2から22の21両が製造された。


 EF80形電気機関車

EF80形電気機関車は交流電化された常磐線の取手以北へ直通できるように設計された交直流電気機関車である。
直流1,500Vと交流20000V、50Hzの電源方式に対応している。
最高速度は100Km/h、電動機は1次形が直流直巻電動機MT53形×3基、2次形が直流直巻電動機MT53形A×3基である。
軸配置はB-B-Bの2軸台車3台で両端はDT127形、中間はDT128形で、
抵抗制御、2段組み合わせ弱界磁制御を採用している。

1次形は1962年から1963年にかけて1から50の50両が製造された。
2次形は1966年から1967年にかけて51から63の13両が製造された。


 EF81形電気機関車

EF81形電気機関車は国鉄時代に交流50Hz、60Hzと直流の三電源方式に対応できる電気機関車として開発された。
日本の交流電化区間は一般的に糸魚川を境界として東側が50Hz、西側が60Hzであり、
また本州の中心部は直流電化されており、日本海縦貫線を直通するためにはこの3つの電源に対応する必要がある。
そのため直流1,500Vと交流20000V、50Hzと20000V、60Hzの電源方式に対応できるように設計されている。
最高速度は110Km/h、電動機形式は直流直巻電動機MT52A、6基である。
軸配置はB-B-Bの2軸台車3台で両端はDT138形、中間はDT139形で抵抗制御方式を採用している。

基本番台

一般仕様車として1968年から1979年にかけて1から152の152両が製造された。

300番台

関門トンネル用のEF30形の増備用として1973年から1974年にかけて301から304の4両が製造された。
関門トンネル使用のため、ステンレスの車体外板を採用している。

400番台

基本番台と重連できるように総括制御機能を付加した車両で、1986年から1987年にかけて基本番台から401から414の14両が改造された。

450番台

400番台の増備用として1991年から1992年にかけて451から455の5両がJR貨物によって製造された。

500番台

日本海縦貫線の輸送力増強のために1989年に501から503の3両がJR貨物によって製造された。

 国鉄交流形電気機関車



 ED70形電気機関車

ED70形電気機関車は北陸本線田村から敦賀の区間の交流電化開業に併せ、
1957年に登場し、計19両が新造され、北陸本線で使用された。
軸配置Bo-Boで、電気方式は架空電車線方式単相交流交流20kV、単相60Hz、
主電動機は直巻電動機MT100形×4基、低圧タップ、水銀整流器タップ間連続電圧制御。
しかし機器のトラブルも多く製造は19両で打ち切り、1975年までに全車廃車となった。


 ED71形電気機関車

ED71形電気機関車は東北本線を単機で1000t、重連で25‰勾配区間において、
1200tの貨物列車を牽引可能な交流電気機関車として開発された。
軸配置B-Bで、試作機において日立、東芝、三菱の3社に開発を委ね、
日立製作所製の1号機は送油風冷式変圧器と風冷式エキサイトロン水銀整流器、
東京芝浦電気製の2号機は乾式変圧器と風冷式イグナイトロン、
三菱電機、新三菱重工業製の3号機は送油風冷式変圧器と水冷式イグナイトロンを採用し、
試験の結果量産には振動に強いエキサイトロンを採用した。

試作機

1959年に3社に試作機を発注し、それぞれ独自の電気方式を採用し、1から3の3両が製造された。

1次量産機

1959年から1961年にかけて4から44の41両が製造された。

2次量産機

1962年から1963年にかけて44から45の2両が製造された。
ED75形開発のために45号機で製造は打ち切られた。


 ED72形電気機関車

ED72形電気機関車は九州向けに製造された交流電気機関車である。
旅客列車牽引のため、製造時には暖房用蒸気発生装置を搭載した。
電気方式は交流20000V、60Hzである。
軸配置はB-2-Bで、主電動機は直流直巻電動機MT103形×4基である。

1961年から1962年にかけて1から22の22両が製造された。


 ED73形電気機関車

ED72形電気機関車は九州向けに製造された交流電気機関車である。
ED73形電気機関車の貨物牽引用で暖房用蒸気発生装置を搭載していない。
電気方式は交流20000V、60Hzである。
軸配置はB-Bで、主電動機は直流直巻電動機MT52形×4基である。
後に100km/h運転対応に改造した1000番台に順次改造された。

基本番台

1962年から1963年にかけて1から22の22両が製造された。

1000番台

1968年から1969年にかけて基本番台を1001から1022の22両が改造された。


 ED75形電気機関車

ED75形電気機関車は汎用形として設計されたの交流電気機関車である。
電気方式は交流20000V、50Hzで、最高速度は100km/hである。
軸配置はB-Bで、主電動機は直流直巻電動機MT52形4基である。

基本番台

1963年から1967年にかけて1から160の160両が製造された。
東北本線、常磐線用の50Hz仕様車である。

300番台

1965年から1968年にかけて301から311の11両が製造された。
九州地区用で60Hz仕様車である。
1986年3月に全機廃車となった。

500番台

1966年に北海道交流電化の試作機として501の1両が製造された。
耐寒設備が強化され、量産形はED76形500番台となった。
1987年に廃車になっている。

700番台

1971年から1976年にかけて701から791の91両が製造された。
奥羽本線、羽越本線の耐雪、耐塩害機として製造された、34両がED79形に改造された。

1000番台

1968年から1976年にかけて1001から1039の39両が製造された。
東北本線の高速貨物列車、20系客車寝台特急牽引用として製造された。


 ED76形電気機関車

ED76形電気機関車は九州地区、北海道地区向けにED75形を基に製造された交流電気機関車である。
列車暖房用の蒸気発生装置を搭載していて、そのため補助の中間台車があり、軸配置B-2-Bとなる。
九州向けの基本番台、1000番台は電気方式が交流20000V、60Hz、主電動機がMT50A形4基である。
北海道向けの500番台、550番台は電気方式が交流20000V、50Hz、
主電動式は500番台がMT50A形4基、550番台がMT52C形4基である。
最高速度は基本番台、500番台、1000番台が100km/h、550番台が110Km/hである。

基本番台

1965年から1976年にかけて1から94の94両が製造された。
九州地区向けで前面は非貫通となっている。

1000番台

1970年から1979年にかけて1001から1023の23両が製造された。
九州地区での高速貨物列車、20系客車の牽引用として製造された。

500番台

1968年から1969年にかけて501から522の22両が製造された。
北海道地区の交流電化用として、試作機ED75形501号機を基に設計された。
1994年までに514が550番台551に改造され、残りは全機廃車された。

550番台

1994年に500番台514より551が改造された。
青函トンネル用のED79形の増備として誕生したが、2001年に廃車となった。


 ED77形電気機関車

ED77形電気機関車は交流50Hz区間の支線用として製造された交流電気機関車である。
電気方式は交流20000V、50Hzで、最高速度は100km/hである。
軸配置はB-2-Bで、主電動機は直流直巻電動機MT52形4基である。

試作機

1965年にED93形1号機として製造され、1968年に量産化改造を受け、ED77形901号機に編入された。

量産機

1967年、1970年に1から15の15両が製造された。


 ED78形電気機関車

ED78形電気機関車は奥羽本線にある急勾配板谷峠のために開発された交流電気機関車である。
電気方式は交流20000V、50Hzで、最高速度は100km/h、抑速機構として交流回生ブレーキを搭載している。
軸配置はB-2-Bで、主電動機は直流直巻電動機MT52形である。

試作車

1967年にED94形1号機として製造され、1968年に量産化改造され、ED78形901号機として編入された。

量産車

1968年から1980年にかけて1から13の13両が製造された。


 ED79形電気機関車

ED79形電気機関車は青函トンネル通過のための津軽海峡線専用として製造された交流電気機関車である。
電気方式は交流20000V、50Hzで、主電動機は直流直巻電動機MT52C形4基である。
軸配置はB-Bで、最高速度は基本番台、100番台は110km/h、50番台は100km/hである。
1986年から1989年にかけて製造された。

基本番台

1から21までの21両がED75形700番台から改造された。
改造種車はED75形765、772〜776、782、763、778〜781、784〜791、760、783である。

50番台

1989年に51から60の10両がJR貨物によって新造された。

100番台

101から113までの13両が ED75形700番台から改造された。
基本番台の重連補助機として誕生した。
改造種車はED75形769、718、717、720、761、719、724、709、732、738、737である。


ED90形、ED91形電気機関車

ED90形、ED91形電気機関車は日本で初めての交流電化区間である仙山線用として、
ED44形、ED45形の形式名で誕生した交流電気機関車である。

ED90形1号機

直接式交流電機として1955年7月にED44形1号機の形式名で誕生した試作機である。
直接式とは交流電流により整流子式の交流モーターを駆動する方式である。
日立製作所水戸工場で製造され、仙山線で試験後、1957年3月に国鉄に編入、
1961年の形式称号改正に伴い、ED90形1号となった。
電気方式は交流20000V、単相50Hzで電動機形式はMT950形×4基、
軸配置はB-Bで、最高速度は65km/hである。
量産化されることなく1966年に廃車となった。

ED91形1号機

清流器式交流機として1955年9月にED45形1号機の形式名で誕生した試作機である。
整流器式とは交流電流を整流器によって直流に整流し、直流モータを駆動する方式である。
三菱電機、新三菱重工業で製造され、仙石線での試験後、1957年3月に国鉄に編入、
1961年の形式称号改正に伴い、ED90形1号となった。
電気方式は交流20000V、単相50Hzで電動機形式はMT903形×4基、
軸配置はB-Bで、最高速度は85km/hである。

ED91形11号機

清流器式交流機として1956年12月にED45形11号機の形式名で誕生した試作機である。
東京芝浦電気で製造され、仙石線での試験後、1957年3月に国鉄に編入、
1961年の形式称号改正に伴い、ED90形11号となった。
電気方式は交流20000V、単相50Hzで電動機形式はMT902A形×4基、
軸配置はB-Bで、最高速度は100km/hである。

ED91形21号機

清流器式交流機として1957年にED45形21号機の形式名で誕生した試作機である。
日立製作所で製造され、仙石線での試験後、直ぐに国鉄に編入、
1961年の形式称号改正に伴い、ED90形21号となった。
電気方式は交流20000V、単相50Hzで電動機形式はMT904形×4基、
軸配置はB-Bで、最高速度は100km/hである。


EF70形電気機関車

EF70形電気機関車は11.5‰の連続勾配のある北陸トンネルがある北陸本線用として、
国鉄が製造したF形の交流電気機関車で、電源方式は交流20000V、60Hzである。
最高速度は100Km/h、電動機形式は直流直巻電動機MT52×6基である。
軸配置はB-B-Bの2軸台車3台で両端はDT120形、中間はDT121形で高圧タップ切換方式、弱め界磁制御である。

基本番台

1961年から1965年にかけて1から81の81両が製造された。
1964年製造の22から大幅な設計変更されている。

1000番台

基本番台22から28を高速列車牽引対応の改造を施し、1001から1007に改番した。

 JR貨物直流電気機関車


EF200形電気機関車

EF200形電気機関車はJR貨物がVVVFインバータ制御を採用するなど、実験的な意味合いも込められ製造された直流形電気機関車である。
電気方式は直流1,500VでGTO素子式VVVFインバータ制御方式で、1基のインバータで1台の三相交流誘導電動機を駆動する1C1M方式である。
軸配置はB-B-Bで、最高速度は120 km/hである。

試作機

1990年に901の1両が製造された。

量産機

1992年から1993年にかけて1から20の20両が製造された。


EF210形電気機関車

EF210形電気機関車はJR貨物が平坦路線向けに開発した直流電気機関車である。
電気方式は直流1,500Vで基本番台はGTO素子式VVVFインバータ制御方式で、主電動機はかご形三相誘導電動機、FMT-4形×6基の1C2M方式である。
軸配置はB-B-Bで、最高速度は110km/hである。
100番台は整流素子をIGBTを変更し、1C1M方式に変更された。
「ECO-POWER 桃太郎」の愛称が付けられている。

試作機

1996年3月に901の1両が製造された。

基本番台

1998年7月から1月にかけて1から18の18両が製造された。

100番台

2000年3月から製造されていて、現在も量産中である。


EH200形電気機関車

EH200形電気機関車はJR貨物が勾配線区用に開発した直流電気機関車で、EF64形重連に匹敵する牽引力を確保するため、2車体連接とした。
IGBT素子VVVFインバータを搭載し、主電動機はかご形三相誘導電動機、FMT-4形×8基の1C1M方式である。
軸配置は2車体連接の(B-B)+(B-B)で、最高速度は110km/hである。
「ECO POWER ブルーサンダー」の愛称が付けられている。

試作機

2001年に901のの1両が製造された。

量産機

2003年3月から製造されていて、現在も量産中である。

 JR貨物交直流電気機関車

EF500形電気機関車

EF510形電気機関車はJR貨物が試作した交流50Hz、60Hz、直流の電気方式に対応出来る電気機関車である。
GTO素子VVVFインバータを搭載し、主電動機はかご形三相誘導電動機、FMT-1形×6基の1C1M方式である。
最高速度は120km/hで軸配置はB-B-Bである。
「INVERTER HI-TECH LOCO」の愛称が付けられている。

試作機

1990年7月に901の1両が製造された。


EF510形電気機関車

EF510形電気機関車はJR貨物がEF81形置き換え用として交流50Hz、60Hz、直流の電気方式に対応出来る電気機関車である。
IGBT素子VVVFインバータを搭載し、主電動機はかご形三相誘導電動機、FMT-4形×6基の1C1M方式である。
軸配置はB-B-Bである。
「ECO-POWER レッドサンダー」の愛称が付けられている。

先行量産機

2002年2月に1の1両が製造された。

量産機

2003年から製造されて、現在も量産中である。


EH500形電気機関車

EH500形電気機関車は

JR貨物が勾配線区用に開発した交直流電気機関車で、2車体連接車である。
電気方式は直流1500V、交流20000V、50Hzと20000V、60Hzの電源方式に対応できるように設計されている。
IGBT素子VVVFインバータを搭載し、軸配置は2車体連接の(B-B)+(B-B)で、最高速度は120km/hである。
「ECO-POWER 金太郎」の愛称が付けられている。

試作機

1997年に901の1両が製造され、1988年3月にJR貨物に車籍編入しさた。

量産車

2003年3月から製造されて、現在も量産中である。



 民間鉄道電気機関車


 秩父鉄道

秩父鉄道は羽生から三峰口までの71.7kmを所有する地方鉄道である。
また武甲山から産出される石灰石の貨物輸送も盛んで、貨物専用線も所有する。
そのためデキ100形、デキ200形、デキ300形、デキ500形の自社発注電機を所有する。


デキ1形

電気方式は製造時は直流1200Vで、1952年に1500Vに昇圧された。
主電動機は93.3kW(600V)×4基、昇圧後は116.6kW(750V)×4基、軸配置はB-Bである。

車両 製造年月 製造会社 製造時所属 備考
デキ1 1921年7月 ウェスティングハウス(米) 自社発注 ※1988年12月1日廃車、秩父鉄道車両公園で静態保存。
デキ2 1921年7月 ウェスティングハウス(米) 自社発注 ※1994年11月30日廃車
デキ3 1921年7月 ウェスティングハウス(米) 自社発注 ※1984年10月31日廃車
デキ4 1921年7月 ウェスティングハウス(米) 自社発注 ※1984年10月31日廃車
デキ5 1921年7月 ウェスティングハウス(米) 自社発注 ※1984年10月31日廃車
デキ6 1925年 イングリッシュ・エレクトリック(英) 自社発注 ※1977年1月10日廃車
デキ7 1925年 イングリッシュ・エレクトリック(英) 自社発注 ※1977年1月10日廃車


デキ100形

電気方式は直流1500Vで、主電動機はHS-277Ar形×4基、軸配置はB-Bである。

車両 製造年月 製造会社 製造時所属 備考
デキ101 1951年11月 日立製作所 自社新造 ※2006年3月廃車、広瀬川原車両基地に静態保存
デキ102 1954年 日立製作所 自社新造  
デキ103 1954年 日立製作所 自社新造  
デキ104 1956年 日立製作所 自社新造  
デキ105 1956年 日立製作所 自社新造  
デキ106 1956年 日立製作所 自社製造  
デキ107 1951年 日立製作所 松尾鉱業鉄道ED501 ※1973年1月よりデキ107に編入
デキ108 1951年 日立製作所 松尾鉱業鉄道ED502 ※1973年1月よりデキ108に編入


デキ200形

電気方式は直流1500Vで、主電動機はHS-277Dr形×4基、軸配置はB-Bである。

車両 製造年月 製造会社 製造時所属 備考
デキ201 1963年 日立製作所 自社新造 ※パレオエクスプレス塗色
デキ202 1963年 日立製作所 自社新造 ※2000年6月廃車、三岐鉄道に譲渡
デキ203 1963年 日立製作所 自社新造 ※2000年6月廃車、三岐鉄道に譲渡


デキ300形

電気方式は直流1500Vで、主電動機はHS-277Dr形×4基、軸配置はB-Bである。

車両 製造年月 製造会社 製造時所属 備考
デキ301 1967年 日立製作所 自社新造  
デキ302 1967年 日立製作所 自社新造  
デキ303 1967年 日立製作所 自社新造  


デキ500形

電気方式は直流1500Vで、主電動機はHS-277Dr形×4基、軸配置はB-Bである。

車両 製造年月 製造会社 製造時所属 備考
デキ501 1973年 日立製作所 自社新造  
デキ502 1973年 日立製作所 自社新造  
デキ503 1979年3月 日立製作所 自社新造  
デキ504 1979年3月 日立製作所 自社新造  
デキ505 1980年3月 日立製作所 自社新造  
デキ506 1980年9月 日立製作所 自社新造  
デキ507 1980年9月 日立製作所 太平洋セメント ※太平洋セメント私有機


ED38形

電気方式は直流1500Vで、主電動機はTDK556A形×4基、軸配置はB-Bである。

車両 製造年月 製造会社 製造時所属 備考
1号機 1931年7月 東洋電機、日本車輌 阪和電鉄 ※阪和電鉄国有化→国鉄、1960年移籍、1983年9月廃車、秩父鉄道車両公園で静態保存。
3号機 1931年7月 東洋電機、日本車輌 阪和電鉄 ※阪和電鉄国有化→国鉄、1960年移籍、1983年9月廃車



 長野電鉄

JR長野駅から須坂を経由して湯田中に至る長野線33.2kmと、
長野線須坂からしなの鉄道屋代までを結ぶ屋代線24.4kmを所有する地方鉄道である。

ED5000形

電気方式は直流1500Vで、自重 36.27t、主電動機はHS-261-A形×4基、駆動方式は釣り掛け式、軸配置はB-Bである。

車両 製造年月 製造会社 製造時所属 備考
5001号機 1927年5月 日立製作所 自社新造 ※501号機から改番→2002年3月に廃車、須坂駅で構内入れ換え用に従事
5002号機 1927年5月 日立製作所 自社新造 ※502号機から改番→1969年越後交通に譲渡、ED511に改称→1980年1月24日廃車→1980年10月長野電鉄小布施駅で静態保存
5003号機 1927年5月 日立製作所 自社新造 ※503号機から改番→1969年越後交通に譲渡、ED512に改称→1980年1月24日廃車解体


ED5100形

電気方式は直流1500Vで、自重 50.0t、主電動機はMB-266-BFVR形×4基、駆動方式は釣り掛け式、軸配置はB-Bである。

車両 製造年月 製造会社 製造時所属 備考
5100号機 1957年5月 三菱電機 定山渓鉄道 ※1969年定山渓鉄道より譲渡→1979年9月に越後交通に譲渡→1995年廃車


 大井川鐵道

JR東海道本線金谷駅から千頭までの電化路線大井川本線39.5kmと、
千頭から井川までの非電化単線井川線25.5kmがある地方鉄道である。
井川線は中部電力の専用線として敷設され、大井川鉄道が運営を委託されて旅客営業している。
長島ダムの完成により一部区間が水没するため、新線を建設してその区間を電化し、ラック式にした。

E10形(大井川本線)

電気方式は直流1500Vで、自重 45.0t、主電動機は1号機、2号機はMB-266-A形×4基、3号機はHS-267A形×4基、
駆動方式は釣り掛け式、軸配置はB-Bである。

車両 製造年月 製造会社 備考
E101 1949年 三菱重工  
E102 1949年 三菱重工  
E103 1949年 日立製作所 ※1970年9月岳南鉄道に譲渡→1984年4月に返却、千頭駅にて留置


ED500形(大井川本線)

電気方式は直流1500Vで、自重 50.0t、主電動機はHS-277-Br-16形×4基、駆動方式は釣り掛け式、軸配置はB-Bである。

車両 製造年月 製造会社 製造時所属 備考
501号機 1956年 日立製作所 大阪窯業セメント ※いぶき501として誕生→1999年6月で大井川鐵道に譲渡→中部国際空港埋立土砂輸送のため三岐鉄道に貸し出し→2003年3月18日返却
502号機 1956年 日立製作所 大阪窯業セメント ※いぶき501として誕生→1999年6月で大井川鐵道に譲渡→中部国際空港埋立土砂輸送のため三岐鉄道に売却→西藤原駅構内で静態保存


ED90形(井川線)

井川線アブト運転区間専用のラック駆動式電気機関車。
電気方式は直流1500Vで、自重は56.0t、主電動機はHS-22228形×4基、ラックホイール駆動用はHS-22337形×2基、
駆動方式は吊り掛け式、ラックホイール駆動式、軸配置はAaA-AaAである。

車両 製造年月 製造会社 備考
1号機 1989年 日立製作所  
2号機 1989年 日立製作所  
3号機 1989年 日立製作所  


 東武鉄道

1897年11月に創立された鉄道会社で、2年後の8月には現在の伊勢崎線となる北千住−久喜間が開業した。
1905年より根津財閥の根津嘉一郎を社長に迎え経営再建が図られる。
その後佐野鉄道(現・佐野線)、太田軽便鉄道(現・桐生線)、上州鉄道(現・小泉線)等と合併し、
1920年7月22日には現在の東武東上線である東上鉄道との大形合併を果たした。
東上鉄道は東京から渋川を経て上越までの延伸を目指していたが、寄居までで計画は挫折した。
戦時中、陸上交通事業調整法により総武鉄道(現・野田線)、下野電気鉄道(現・鬼怒川線)等とも合併し、
東上本線は越生鉄道(現・越生線)と合併し勢力を伸ばしていった。
路線は伊勢崎線を中心とした東武本線系統と東上本線系統に分けられているが自社線での接続はない。

ED10形

英・イングリッシュ・エレクトリック社で新製、東武鉄道が輸入した電気機関車である。
電気方式は直流1500Vで、自重50.8t、主電動機はDK-98B、駆動方式は吊り掛け式、軸配置はB+Bである。

車両 製造年月 製造会社 製造時所属 備考
101号機 1928年 英・イングリッシュ・エレクトリック社 東武鉄道 1930年5月輸入→1955年ED4000形に改番→1972年6月22日除籍→
近江鉄道に譲渡→2004年7月1日廃車←2009年東武鉄道に変換、東武博物館に静態保存


 岳南鉄道

岳南鉄道は富士急行グループの鉄道会社だが、設立当時は西武鉄道系列であった。
1948年12月15日に駿豆鉄道が路線免許を所得、資本金の約半額を出資して岳南鉄道を設立させた。
駿豆鉄道は1957年6月1日に伊豆箱根鉄道に社名変更する西武鉄道系列の鉄道会社である。
1949年11月18日に鈴川(現・吉原)から吉原本町が部分開業、
1953年1月20日に岳南江尾まで延伸され、全通した。
1956年9月に駿豆鉄道系列から富士山麓電気鉄道(現・富士急行)系列になった。

ED29形

豊川鉄道が新造、戦時買収で国有化、岳南鉄道に売却された電気機関車。
電気方式は直流1500V、主電動機は直流直巻電動機MT15B、主電動機出力100kW、駆動方式は吊り掛け式、軸配置はBo+Boである。

車両 製造年月 製造会社 製造時所属 備考
ED291号機 1927年月 機械部分は日本車輌製造、
電気部分は東洋電機製造
豊川鉄道 ※豊川鉄道デキ52形→戦時買収で国有化ED29形1に改称→1959年3月岳南鉄道に売却→休車


ED40形

奈川渡ダム建設資材輸送を目的に2両が製造された電気機関車である。
電気方式は直流750/1500V、主電動機は直流直巻電動機NE-128DK-98B、主電動機出力512kW、駆動方式は吊り掛け式、軸配置はBo+Boである。

車両 製造年月 製造会社 製造時所属 備考
ED402号機 1965年10月 日本車輌製造 松本電気鉄道(現・アルピコ交通) ※松本電気鉄道が1965年10月新造→1972年1月26日に岳南鉄道に入線
ED403号機


ED50形

上田温泉電軌が新造、名古屋鉄道に移設、岳南鉄道に転籍した電気機関車。
電気方式は直流1500V、主電動機は直流直巻電動機K7-4503-C、主電動機出力111.9kW、駆動方式は吊り掛け式、軸配置はBo+Boである。

車両 製造年月 製造会社 製造時所属 備考
ED501号機 1928年 川崎造船所 上田温泉電軌(現・上田電鉄) ※上田温泉電軌(現・上田電鉄)が1928年に新製デロ300形→
名古屋鉄道に移設、デキ500形501に改称→1970年3月16日岳南鉄道に移設ED50形ED501に改称


 北陸鉄道

北陸鉄道は北陸本線の北側に浅野川線、南側に石川線を所有する地方私鉄会社だが、
会社の内情は鉄道事業よりもバス路線の方が中心で一時は鉄道全廃の方針も打ち出していが2路線は残った。
石川線は1915年6月22日に石川電気鉄道(後に石川鉄道に改称)が部分開業させた路線が最初で、
1923年5月1日には金沢電気軌道が石川鉄道を買収、
1941年8月1日に設立された北陸合同電気(現・北陸電力)が金沢電気軌道を合併、
1942年には北陸合同電気から交通部門が切り離されて北陸鉄道となり、
1943年10月13日に北陸鉄道、金石電気鉄道、温泉電軌、金名鉄道、能登鉄道等が合併し新生北陸鉄道が誕生する。
浅野川線は1925年5月10日、浅野川電気鉄道により部分開業したのが最初で、
1945年に浅野川電気鉄道は北陸鉄道に合併した。

ED30形

大日川ダムおよび大日川第1、第2発電所建設のために導入された電気機関車。
電気方式は直流600V、主電動機は東洋電機製造TDK-565A×4基、改造後は日立製作所HS836Frb、電動機出力480kW。

車両 製造年月 製造会社 製造時所属 備考
ED301号機 1954年月 東洋工機 北陸鉄道 ※石川総線で貨物輸送に従事→1976年4月石川操船の貨物輸送が終了→2010年廃車
 →若桜鉄道若桜線隼駅に無償譲渡


 近江鉄道

近江鉄道は1889年に東海道本線が開業した時、
東海道本線や草津線のルートから外れた近江盆地の穀倉地帯を縦断する鉄道が計画され、
東海道本線彦根から関西鉄道(現・JR草津線)深川(現・甲南)までが免許されて、
1896年6月16日に設立された。
1898年6月11日に彦根−愛知川間が開業し、
1900年12月28日には当初の計画を変更し、貴生川まで延伸された。
1914年3月8日には多賀線が開業、
1931年3月15日には米原−彦根間が開業して本線が全通した。
電化のため1926年10月1日に宇治川電気の系列となるが、
戦時中の電力統制政策で宇田川電気から分離し、箱根土地の系列下となった。
1944年3月1日には八日市鉄道を傘下とするが、一部は後に廃止された。
現在でも西武鉄道が74.5%、西武建設が20.5%の株式を所有する西武鉄道系列である。

ED14形

東海道線電化に伴って米国ゼネラル・エレクトリック社から輸入され、近江鉄道に転籍した電気機関車。
電気方式は直流1500V、主電動機は直流直巻電動機MT8、主電動機出力244kW、駆動方式は吊り掛け式、軸配置はB+Bである。

車両 製造年月 製造会社 製造時所属 近江鉄道入線 備考
1号機 1926年 米国ゼネラル・エレクトリック社 鉄道省 1965年12月23日 ※1060形→1960年休車→1966年除籍→近江鉄道
2号機 1962年4月25日 ※1060形→1960年休車→廃車→近江鉄道
3号機 1962年4月25日 ※1060形→1960年休車→廃車→西武鉄道→近江鉄道
4号機 1966年10月31 ※1060形→1960年休車→1966年除籍→近江鉄道


ED31形

伊那電気鉄道デキ1形として新造、国有化後ED31形に形式変更、一部は西武鉄道を経由して近江鉄道に転籍した電気機関車。
電気方式は直流1500V、主電動機は直流直巻電動機MT4、主電動機出力85kW、駆動方式は吊り掛け式、軸配置はBo+Boである。

車両 製造年月 製造会社 製造時所属 近江鉄道入線 備考
1号機 1923年 芝浦製作所及び石川島造船所 伊那電気鉄道 1960年8月18日 ※伊那電気鉄道→国有化→1952年ED31形に改称→西武鉄道→近江鉄道
2号機 1960年8月18日
3号機 1951年9月23日 ※伊那電気鉄道→国有化→1952年ED31形に改称→近江鉄道
4号機 1953年2月21日
5号機 1951年12月1日


  ※廃止鉄道


 草軽電気鉄道

1909年に草津興業の名で発足し、1912年に草津軽便鉄道に社名変更した軽便鉄道で、
草津温泉へのアクセス鉄道として1913年11月より敷設が開始され、
1926年9月に新軽井沢から草津温泉間が全通した。
1939年4月28日に草軽電気鉄道に社名変更し、1945年4月1日に東京急行電鉄の傘下に入る。
台風の被害などが引き金となり、部分廃止バス代行などが続き、
1962年2月に全廃された。

車両 製造年月 製造会社 製造時所属 備考
デキ12形13号機 1920年 ジェフリー社(米) 東京電燈発電所建設工事用 ※1924年11月電化の際に譲受、廃線時まで使用


 十和田観光電鉄

十和田観光電鉄は三沢から十和田市までの14.7kmを所有する地方鉄道である。
設立当時は地元資本だったが、十勝沖地震の影響などもあり、1969年10月に国際興業の傘下となった。
電気機関車2両、無蓋車2両を所有する。

ED300形

電気方式は直流1500Vで、自重 30.0t、主電動機はHS-226CY×4基、駆動方式は釣り掛け式である。

車両 製造年月 製造会社 製造時所属 備考
301号機 1951年5月 日立製作所 自社新造  


ED400形

電気方式は直流1500Vで、自重 35.0t、主電動機はK7-1203A×4基、駆動方式は釣り掛け式である。

車両 製造年月 製造会社 製造時所属 備考
402号機 1962年5月 川崎車両 自社新造  




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